20. 問いながら言い聞かせる
いつも近くにいる大切な人のことを、きちんと見守ることはできているだろうか。
毎朝の、よく眠れたかの問いに対する答えの言葉の中身を聞きとれているだろうか。
ほんの少しずつ変わり続けている事象が日常として平穏に見えることに安心して、控え目な訴えを見逃していないだろうか。
または、大胆な動きに、ただ驚くだけで済ませていないだろうか。
行動が自分の理解を越えた時に、噛み砕く努力無しに「分からない」と線を引いていないだろうか。
『見ていてほしい 』という声を拾うのを後回しにしていないだろうか。
その人の視界や体験、時間や想いに想像力を働かせることの尊さを、知識やどこかからの思想に呑まれて、ないがしろにしていないだろうか。
その人はその人しかいない奇跡を意識しなくなってしまったとして、それがいつからだったか思い出せるだろうか。
その大切な人たちの中に、自分自身もカウントされているだろうか。
時を経ると、見過ごされて少し痒い程度の体感だったものは、時間の経過と様々の巡り合わせで回復することもあれば、低温火傷のように深く巣くってしまうこともある。
バランスをとりながらどうにか消してしまえる人、無くならない痛みを活かし糧にして必死に歩いている人、『大丈夫かも』と『もう動けない』の間の色々な地点でもどかしさに呼吸が苦しくなっている人も、多分居る。
問いに対して無数の不安定な肌感覚がある。
全てに心当たりがある。
向き合うことから逃げてきたこと
申し訳ない。
これらの問いに気付いて
今日も また これから。