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メディアと社会心理(2)

経緯について

課題内容

教科書の第7章から第14章までをすべて読んだ後で、最も興味をいだいたテーマ(章)を1つ選び、論じなさい。その際、(1)教科書の内容を簡潔に要約し、(2)参考文献などから、関連する本・論文・新聞記事などを読み、引用し、 (3) それに対する自分の考え・意見・感想など、議論を発展させながら論じてください。

答案要約(忙しい人向け)

  • 文化は国家の枠組みを超えた複雑なものであり、グローバル文化の生産と流通は、国際的な分業や連携を深めながら進んでいる。一方で「クールジャパン」は、文化を経済的利益や政策に結びつけすぎて単純化している。  

  • メディア文化の市場化が進む中、一部の支配的な価値観を反映するコンテンツが主流となり、周縁的な声や対抗的な表現が排除される傾向がある。  

  • 「ブランド・ナショナリズム」により文化が国益増進に利用される一方で、労働搾取や著作権問題、制作者の環境改善などの課題が軽視されている。  

  • 日本文化の輸出では、翻訳や受容の過程で文脈や文化的側面が切り捨てられることがある。また、「売れる」コンテンツのみが選ばれることで、日本文化の負の側面が隠されやすい。  

  • 日本文化への外国人の関心は高まっており、理解が進むことで、より多面的な語りや表現が促進される可能性がある。  

答案(評価 A)

(1)
 本来文化は、国家の枠組みに収まりきらない複雑なものである。実際に現在起こっているグローバル文化の生産・流通は、ヒト、モノ、カネ、メディアの流れが国境を大量に、ばらばらに横断していく複雑なものになっている。そのなかで、クリエイティブ産業間の国境を越えた連携はますます加速・深化しており、新しい国際的文化生産分業体制を構成している。クールジャパンという概念は通常、文化を日本という国家の経済的利益や政策にばかり関連付けてとらえようとする。商品化しやすいかどうかをほぼ唯一の基準に文化を再定義し、それ以外のものを切り捨ててきた。その過程では、クールジャパンの主な市場であると想定されている西洋のまなざしに媚びたセルフ・オリエンタリズム的な日本文化表象を一般化し、さらには文化商品のグローバルな生産・流通・消費の複雑さを単純化しており、依然としてナショナルな語りを定着させている。

(2)
 岩渕功一 [*1] によると、日本と他のアジア地域とのメディア文化をとおしたつながりには、以下のような大きな変化が見られるとしている。
 一つは、メディア文化のさらなる市場化がもたらす新たな包摂と排除である。根源的な問題としては、メディアアクセス環境が整っていない多くの国・地域・人々・文化がそこにはいまだ含まれていない。また、地域内での流通・消費が促されているメディア文化の多くは、一部の国や地域の主流マスメディアが政策するものに偏っている。それらはそれぞれの国において支配的な価値観やものの見方を表象しているものが多く、ジェンダー、セクシャリティ、エスニシティ、階級などの点で社会の周縁的な位置に置かれる人々の声や、社会の支配的な価値観に対抗的な表現はあまり含まれていない。
 もう一つは、実利的かつ便宜的にメディア文化を利用して国際的なネーション・ブランディング向上に専心する「ブランド・ナショナリズム」の高まりであるが、国益増進に向けてメディア文化を活用しようという議論が、グローバル化の複雑な過程がもたらしている文化をめぐる重要な問題への取り組みを文化政策論から取りのけてしまうことである。クリエイティブ産業やコンテンツ産業のような国内の文化産業奨励に向けた政策論議は、アニメなど既に一定の人気が確立した文化商品をさらに売り込むことを目指しており、(多国籍)企業による市場化、著作権寡占、労働搾取の問題に取り組み、制作者の創造力を底上げする環境作りをしようとはしていない。また、文化外交の議論は交流を謳いながらも、海外でのより好意的な日本理解推進、そしてアジア地域における「不幸な歴史」の超越に向けた一方的なイメージ投射が主な関心であり、メディア文化をとおして市民の間の対話と相互理解をどのように育むのかという視点が欠落している。

(3)
 歴史的に日本文化として浸透していて、現代にも影響を与えている思想の一つとして、儒教を挙げて考察したい。五倫五常とよばれる教えのうち、「夫婦の別」や「長幼の序」といった教えは、現代の日本人の話し方にも現れていると考えられ、人間関係にも依然として深く影響を及ぼしている。例えば、日本の漫画を外国語に翻訳する際の問題として、日本語話者であれば台詞の内容(話し方や語尾)から、そのキャラクターの性別や年齢を窺い知ることができるが、英語に翻訳されると、そのような情報は含まれなくなる、というものがある[*2]。日本語では男女や年齢、立場の違いによって一人称や敬語の有無など、話者の性格や特徴によって話し方が異なることは少なくない。多くの日本語話者にとって文脈に応じて話し方を使い分けることは自然な慣習であるが、外国語に翻訳されるとこれが切り捨てられてしまう場合があり、話し方に現れる文化的な側面が伝えられないままとなる。
 上記はほんの一例にすぎないが、それでも、日本のメディア文化を単に商品として海外に輸出し、これが日本の文化であると喧伝するのは乱暴に思われる。海外で受容されず商品としてみなされないコンテンツは「クールジャパン」として認識されないため、岩渕の言う「文化的無臭性」 [*1] の強いコンテンツばかりが選択的に流通することが予想される。本来、文化には良い面も悪い面もあり、海外で売れるかどうかが唯一の基準になってしまうと、日本の好ましくない文化は積極的に描かれなくなる恐れがある。岩渕の指摘する「社会の周縁的な位置に置かれる人々の声」や「社会の支配的な価値観に対抗的な表現」、「不幸な歴史」といった内容は隠ぺいされ、セルフ・オリエンタリズム的な日本文化表象はますます強まるかもしれない。とはいえ、インバウンド需要も増加している昨今では日本に関心を寄せている外国人は多いので、日本文化への理解が進めば、より多面的に語られるようになることも期待する。

参考文献
[*1] 岩渕功一 『トランスナショナル・ジャパン ~ ポピュラー文化がアジアをひらく』2016年 岩波現代文庫
[*2] 住田哲郎 『日本マンガの翻訳不可能性に関する一考察』 2021 年 神戸大学文学部 国文論叢

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