見出し画像

180日目(何を見てる)

次女

久々にゆっくり次女と公園で過ごした気がする。最近気持ちや気候が騒がしかったせいか、落ち着いて次女を見ていなかった。何を見ているのか、何を考えているのか、何がしたいのか、その感度も少しずつ落ちていた気がするのだ。今日は、ほんの少しだけ、次女の視点になれた気がする。飛行機やどんぐりなど、いろいろなものに目を向け、三輪車を引きたいのか、引いてほしいのか、ヘルメットをどこにかけてほしいのか、一緒に考えた。

長女

今日もあさから学校いきたくない病が発症。習い事のテニスをモチベーションにして「学校行く」と張り切っていたが、直前になって「とうちゃんが休んでいいというなら休む」「一日休むと疲れが取れる」とお得意の交渉術へ。なぜ休みたいかと聞くと「通学路が長いからいや」と言ったので、「それなら送っていくよ」というと、「うーんそれはそれでいや」「なんかいやなんだよねー」と言いながら、タイムリミットのキッチンタイマーが鳴り、あっさり出発。なかなかめんどくさい。帰りに途中までお迎えに行ったら6年生をボディーガードにし、堂々たる下校に見えたが、6年生がいなくなるとなんだか不安そうに歩く。家に帰って、学校が嫌な理由をもう少しゆっくり聞いてみると、通学路より、学校で怒られる(友達が準備が遅くて怒られるのだが、それが自分が怒られるように感じて辛い)ほうが長女にとっては嫌な理由として大きいようだ。幼稚園からほとんど怒られることがなく育ったら彼女にとって、怒られることはなかなかのハードルなのだろう。(どの程度怒られるのかはちょっとわからないが)。「怒る人はいるから少しは慣れた方がいいと思うのだけれど…」と、毒にも薬にもならないことを言ってみたが、何だか自分でもイマイチ感があったので、付け加えて「前に、怒る時は廊下か外で怒って欲しいと言っていたよね?それを先生に伝えるのはどうかな?」と提案してみた。すると、「それは(しなくても)いい」とのこと。「それじゃあ、朝、いきたくないなぁと行っている時もうんうんと聞くだけにするね」というと、「うん、それでいい」と長女。ここは我慢のしどころだなぁと再認識。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?