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夢が夢である条件を定義してみた
夢が夢である条件を定義してみた
先日、いしかわゆきさん著の『書く習慣』を読んだ。
その本の巻末には「書く習慣 1ヶ月チャレンジ」というワークシートが添付されていて、読者が今日から継続的に「とりあえず書く」習慣をつけるためのきっかけとなっている。そして30日間毎日課されるお題が面白い。例えば「昔はどんな子どもだったのか」、「自分があまり賛成できない常識」、「今日1日にあった印象的なこと」といった具合だ。
わたしはその本を読み終えて以降、タグで検索し実際に30日チャレンジを始めた人のサイトを覗くのが日課のようになっている。
それがとってもワクワクし、楽しい気持ちになる。
それがどうしてなのかは分からないが、おそらくその書き手に対し、同じ本を読んだ同士・仲間のような親近感を持つからだろう。
ここまで書いてみて、自分でも「いや、自分は始めないんかい!」というツッコミを入れたくなるのだが、どうにも初っ端のDay1 から質問が重い。
1日目のお題は「夢」についてなのだ。
個人的には、最初からあまり「重い」「考えるのが大変」という印象を持ってしまうと、何事もきっと続かないのではないかと思う。もちろん、普段から夢を持ちそこにまっすぐ突き進む読者にとっては、「よくぞ聞いてくれました!」なのかもしれないが。。。
そんなわけで巻末にある30日チャレンジにチャレンジこそしないが、同じ本の読者がどんな想いで自身の夢を綴るのかには興味津々な私は、何人かの記事を拝見した。
その中でも、先日見つけたいとゆきさんという方の夢の記事は面白かった。
いとゆきさんは、ご自身の経験を通して夢って誰かに誘導されて持つものじゃないよね、自分で決めて良いんだよね、と爽やかに語る。
本当にその通りだなぁ!
彼女のnoteを読みながら私も考えた、確かに、、、夢ってなんだろう?
叶えたいもの。叶えるもの。。。?
その、大きさは?
現段階での、実現可能性は?
こうして、これまで何気なく使っていた「夢」という言葉の周りにさまざまな「?」が浮かび始めた。
例えば・・・
わたしの夢は、大学教授になること!
わたしの夢は、ギリシャを旅すること!
わたしの夢は、モスクワで本場のボルシチを食べること!
うむ。
このどれもに違和感はなさそうだ。
一方で、例えばその夢の旅の目的地が隣町の公園だったり、いつかは食べたいと夢に見るものが駅前のファミレスのドリアだったりと考えてみると、、、
それはちょっと違う気がする。
つまり、夢とは今すぐには実現不可能なもの?
でも、将来的に絶対に無理なわけではない?
そんな絶妙な距離感が必要なのだろうか。
なぜ、「絶対的に実現不可能なもの」が夢になり得ないかというと、夢が実現可能性のボーダーを越えるとそれは「夢のまた夢」、「理想」といったふわふわとした何か別のものに姿を変えると考えたからだ。
例えばわたしが故・スティーブ・ジョブズ氏と対面することが夢だと言ったり、既婚者であり、知人ですらない遠い遠い存在のジャスティン・ビーバー氏と結婚することが夢だと言ったら、、、
果たしてそれは「夢」と呼べるだろうか。
このような実現可能性が極めて低い「夢」は夢であっても、これまで述べてきた「夢」とは別の種類のものであるように思う。
夢は、実現可能性が0ではいけない。でも100でもいけない。
コツコツと努力と研鑽を積めば、達成できそうなもの。
でもそれがすぐには実現し得ないもの。
そしてなにより、いとゆきさんが伝えているように、そこに本人の熱量が乗るもの。。。
それが夢が夢である条件なのではないだろうか。
つまり私はこう考えた。
【夢が夢である条件】
その1:実現可能性が高すぎず、低すぎず。コツコツと努力すればいつか手が届きそうな可能性のあるもの。
その2:今すぐには実現できないもの。今日明日必死に頑張ったからといって、達成できるものではなく、数ヶ月から数年、或いは十数年かかる距離にあるもの。
その3:そこに当人の意志があること。
ただし、それらの条件を満たしているかを測るためのものさしは、人それぞれ大きさが異なっていることを決して忘れてはいけない。
実現可能性とその距離というものはそれぞれが今、どこにいるかによって異なるのだから。
世の中には人の夢を笑ったり、そんなの実現するのは簡単だとバカにしたりする人間もいるが、それは間違っている。
そもそも、人の夢を測ろうとすること自体が間違いだとも言える。
夢はその人のものであり、誰かに干渉されたり、触れられていいものではない。
その人が今いる場所から未来を遠く臨むとき、そこにあってほしいと願う意志や希望がそこにあるのだから。