ヘモグロビン2.4で緊急入院初日
きっかけは数週間前からの自傷瀉血。
「まだ大丈夫だろう」をおまじないのように繰り返していたし、あわよくばこのまま失血死してもいいと思っていた。
たった6畳の部屋の中を歩くだけで息が上がる。心臓が苦しい。
なるべく歩かなければいいだけだ、とベッドの上で寝たきりの生活をしていた。
家から徒歩1分のコンビニに行くために休憩を挟まないといけない。
通院では病院に着いた瞬間崩れ落ちて、処置質で点滴をしていただいた。
ちょっとやばいんじゃないか?と思い始めたのがこのころ。
やめられない瀉血
それから600mlの瀉血を週を開けて2回やった。
血はビュービュー流れ出てきて500mlペットボトルと、予備に用意していたペットボトルにプラス150〜200mlくらい溜まった。
これでもまだ、家の中でトイレの往復とレトルト食品の用意くらいはできていた。
もちろん動悸と息切れが苦しくて、家にあるオフィスチェアを車椅子代わりにしていた。
動けるから大丈夫だろう、自分で傷つけた代償なのだから助けを求めてはならない。
その意識を胸に日々ベッドの上で寝たきりの生活を送っていた。
急変
嘔吐が止まらなくなった。
何を食べても吐いてしまう。
とにかく胃が気持ち悪い。
鏡を見ると唇は真っ白で、爪も真っ白。
トイレに行くまでも一苦労なのに数時間おきに襲ってくる強烈な吐き気。
それでも昼までベッドの上で様子を見た。
もうダメだと思った瞬間119を押していた。
家から出られない
間もなくして到着した救急隊員さんに抱えられて家を出たが、10mもないであろう廊下が全く歩けない。
足はガクガクして目の前は真っ暗で、一歩進むのに何秒もかかる。
最終的に救急隊員さんに抱えられて救急車に乗せられた。
やっとストレッチャーに横になることができ、少し落ち着いた。
事前に双極性障害ということを申告していたので、それに関わる精神症状ではないか、という旨の質問をされたが、自傷瀉血が原因とわかっていたので首を振るばかりであった。
救急搬送で救急治療室へ
治療室に運び込まれるなり、リーダーと思しきお医者様が「予想Hb(ハーべー)3!」と私を指差した。
結果Hb(ヘモグロビン値)は2.4で、お医者様方もにわかにざわざわし始めた。
そこからはとんとん拍子で輸血、入院が決まった。今回は救急の内科なので精神科入院に比べてだいぶ気が楽だった。
病床へ
病床は4人部屋で、救急搬送された都合上荷物をほとんど持っていなかったこと以外は特に不便もなく、スマホも使い放題だった。
しばらくはどこへ移動するにも車椅子で、ベッドに戻ると動悸が止まらなくなる。酸素吸入をつけられていた。
スマホの充電器を持っていなかったため、機内モードにしてダウンロード済みだったKindle本を読んでいた。
初めての輸血
1日目の輸血は赤血球を2本。
終わった頃にはすっかり体調がよくなっていた。まず歩けることに感動した。
車椅子なしでもトイレに行けるようになった。
日に日に回復していくことは喜ばしいはずなのに、迫り来る現実が私を不安にさせていた。
健康になると不安定になる
今まで体調が悪すぎて精神にむける余裕のなかった分が一気に襲い掛かってくる。
退院してまた虚無のひきこもり生活にもどるのか、とか病棟は物音がして安心するけど家は無音なんだろうな、とかゴミを出さないで出てきちゃったな、とか。
毎日退院日までを指折り数えては消灯後しくしくと泣いていた。
その後は書類の手続きだなんだで悲しんでいる間もなかったのだけど、今になって思えばもっと休養を取っておけば良かったと思う。
輸血を2本入れてこの日の治療は終わり。
この輸血でHb5まで上がった。
Hb5でも2.4の頃とは雲泥の差で、まず歩けるようになったことが驚きだった。
翌日の予定は再び輸血2本。
これでHb10まで上がる見込みらしい。
内科と閉鎖病棟の違い
私は精神科閉鎖病棟に2回入院したことがある。
今回久しぶりに内科に入院して、その処遇に驚かされた。
まずドアに鍵がかかってない。
エレベーターの行き来は自由。
やろうと思えば脱走なんて思いのそのだったんじゃなかろうか。とにかく自由がある。
あまりにも開放的だった。
正直今精神科でも開放病棟なら入院したいという気持ちが強い。
居住空間にひとりぼっちじゃないという感覚があまりにも心地良かった。
火曜日の診察では私の希死念慮に終始してしまい、入院のにゅの字も出なかった。
不安感が強いのでリボトリール1mgにしてほしかったのだが、それも言い出せずじまいだった。
もう一度自傷瀉血を始めそうになってしまったら、入院かリボトリールの増量について相談してみたいと思う。
少々脱線しましたが、救急搬送内科入院1日目の日記でした。