春に始まる暦と季節女神ホーライ(春、夏、秋)。うるわしい季節のみを表す?


古代ローマの暦は春から始まった

年初はいろいろ


今日から3月。
現在日本で使用しているグレゴリウス暦では1月1日が年初だが、学校や行政の年度は4月1日という春に始まる。

古代地中海世界でも、中世西ヨーロッパでも、年初はいろいろであったが(アテネは夏至など)、最初期の古い古代ローマの暦では、一年は春に始まった。

マルス月(3月)に始まるヌマ暦


3月、英語表記でMarchは、ラテン語のMartius(マルス)月に由来し、この月がローマ最初の暦とされる「ヌマ暦」の年初であった。当時の戦争も、農業も、春にならないと始まらなかった。戦争は冬には自然休戦となった。なお、「ヌマ暦」は第2代のローマ王ヌマ・ポンピリウスの名前から取られている。ローマの創始者ロムルスが制定したとされるが、この名称が一般に使われている。

そして、なんと、現在の1月や2月に当たる日々には、何もできない季節だから、名づける価値もないとして、月の名前がなかったといわれている。一年10か月だった。

このことは、暦月の名前にも残っており、現在の7月から12月に当たる月名は以下の通り;
Quintilis (クィンティリス)月=第5月     
Sextilis (セクスティリス)月=第6月
September(セプテムベル)月=第7月 
October(オクトベル)月=第8月
November (ノウェムベル)月=第9月
December(デケムベル)月=第10月

マルティウス月(3月)が第1月だったからである。

お気づきのように、September,  October, November, Decemberはそれぞれ、現在の英語の暦月名に残っている。しかし、現在ではそれぞれ、9月、10月、11月、12月なのだ。

ヌマ暦の後、紀元前5世紀頃から、ほぼ太陰暦に当たる一年12か月355日の暦が使われ始めた。これは、慣例上「前ユリウス暦」と称されるが、この時にIanuarius(ヤヌス)月、Feburuarius(フェブルア)月が策定されたとされる。それぞれ、英語のJanuary、Februaryに入っている。

1月から始まる1年(ユリウス暦)

その後、暦の改革によって、ヤヌス月を一年の第1月とすることになり、現在の月の順序になった。

かのユリウス・カエサルが暦の改革を行い、ユリウス暦となったのだが、その時、カエサルは自分の生まれた月7月の名前を、クィンティリス月(第5月の意)からJulius月と、自分の名前を冠した月名に変えたのである。

このユリウス暦をさらに初代皇帝アウグストゥス帝が改良したのだが、その時に、自分の生まれた8月、セクスティリス月(第6月の意)をAugustus月と改名したのだ。

それぞれ、現在の英語のJuly、Augustとなる。

この後も、第5代皇帝ネロ帝が自分にちなんで、4月をネロネウス月などと改名したり、第10代皇帝ドミティアヌス帝が10月を自分の名前に変えたり、第15代皇帝コンモドゥス帝(映画「グラディエーター」に描かれた人)も12か月全部を自分の名前や添え名に変えたりしたが、幸い?これらの皇帝の死後取り消され、それらは残らなかった。今なら、トランプ大統領が自分の誕生した月をトランプ月などと改名しかねない…

各月の名称の由来

さて、1月に名前を与えたヤヌス神については、一般に「扉や門の神」とされ、また、第1に名前が呼べれるべき神とされるが、その本来的性質についてはいまだ議論が分かれている。

2月に現れる、フェブルアというのは、古代ローマの祭で使われた「浄めの棒/杖」で、この月の15日(イドゥス=満月の日)から行われるルペルカリア祭で用いられた。

3月のマルス神は一般には軍神とされるが、農業の神でもあったようだ。

4月はアプリリスApprilis月。この名称の由来は、ラテン語のaprire(開く)から来ているとも。

5月はMaiusマイウス月。女神マイアから来ているとも。

6月はJuniusユニウス月。女神ユノーから来ているとも。

ホーライ(季節女神)

四季の表現と季節女神

さて、古代地中海世界では、四季の女神の表現が好まれたが、これは元をたどると、古代ギリシャの季節女神ホーライの像に行き着く。

ホーライhorai、ラテン語形horae(horaの複数形)とは、「時、時間」を表す。英語のhourの語源というより、恐らくインド・ヨーロッパ語の祖語から来ていると思われる。

また、女神ヘラHera(至高神ゼウスの姉妹にして妻)の名前にも関連し、heraは1年のうち「美しい季節」を具現。

ホーライの最初の表現は、春と夏だけであったとも。次に秋が加わり、最後に冬の表現もなされるようになった。

これは、暦の上で、冬の期間が名づける価値もないと考えられたことと同じ観念を表しているように私は思う。







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