ヤシの木と高知市 ――南国土佐を訪れて♪
高知県の県庁所在地、高知市。この街では印象的なヤシの並木を見ることができます。それにしても、高知市の東に南国市(なんこくし)があるとはなんとも象徴的ですね。
高知駅前に植えられたフェニックス。駅前ロータリーにはこの1本しか植えられていませんが、昭和35年(1960年)時点では、小さなワシントンヤシが植えられていたようです。
※高知新聞PLUS「写真でタイムスリップ!○○年前はどんな街? 今回は高知駅です」(https://www.kochinews.co.jp/article/detail/709730)との比較
高知駅前を市街地のほうへ南下していきましょう。
とさでん交通の路面電車の高知橋電停付近には、背の高いワシントンヤシがぽつぽつと植えられています。
そして、高知橋を渡りながら見えてくるのは……
ご覧のように川に沿って立ち並ぶワシントンヤシです。そしてよく見ると背の低いフェニックスも植えられていることが分かります。
さらに進んで高知市の名物「日曜市」が開かれる追手筋に向かいましょう。
私が訪れた時もちょうど日曜日で、道路には市が所狭しと出店されていました。そして、その道路の中央分離帯には、フェニックスが立ち並んでいます。
なお、このフェニックスは昭和33年(1958年)2月時点ですでに小さな株が植えられていたようです。ハワイブームや宮崎への新婚旅行ブームよりも前に植えられていたわけですから、比較的早い段階でヤシの木が植えられたという印象を受けます。
また、現在は植えられていませんが、昭和33年(1958年)11月には、はりまや橋交差点で路面電車とフェニックスが写った写真が撮られているようです。こちらはかなり大きな木ですので、やはり昭和30年代前半にはヤシの木が植えられていたと推定されます。
では、この高知市のヤシの木はどのような意図でもって植えられたのでしょうか。
私は「南国土佐を後にして」という歌謡曲がカギなのではないかと推察しています。
この曲は、アジア・太平洋戦争の時代に高知出身の部隊が遠く離れた戦地でふるさとをしのんで歌った歌が原曲で、後にペギー葉山さんという歌手の方が歌われて1959年に大ヒットしたようです。
1950年代後半(昭和30年~)にはすでに「南国土佐」という言い回しがあったと想像されますので、高知市に植えられたヤシの木たちも「南国」らしさにあやかって植えられたと考えられるのではないでしょうか。
では、そんな南国らしさとヤシの木イメージはどのように紐づいていったのでしょうか。
拙著『雰囲気ヤシの木』では、南国のイメージだったり、シティポップの象徴だったり、色々なイメージが含まれているヤシの木というものについて、豊富なカラー図版を交えながら様々な観点で考察しています。
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