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夏風邪と三ツ矢サイダー。

あーって扇風機の前で言ってみる。
あーってふるえる声が辺りに放たれる。

蝉が鳴いていた。

いつか網戸に蝉がくっついていて、部屋中に
蝉の声が鳴り響いていた。

あんなに思い切りなにかを言えたらすっきり
するだろうなって夏の蝉に勝手に憧れる。

あー風邪ひいたかもしれん。

大学の終りの夏。
卒論疲れを感じていたわたしは
身体だけが取り柄だったはずなのに風邪をひいて、彼の部屋で悔しがっていた。

おでこに手をやるんじゃなくて、おでこで熱を測るあれをやってくれて、すこしだけおでこを引いた。

子供とちゃうわと内心思いながら、ふたりですこし笑う。

わたしの笑い声が鼻声だった。

喉があつい。
身体も熱かった。

おでこで熱を測るってどうなのって思いながら温度計を探し出してきて測ってくれる。

微熱があった。

負けてしもたって不貞腐れる。

引いてしもたんやろ。それはしゃーないやん。

風邪に負けんのだけは嫌やってんって抗う。

時々なんでも負けてた方がええんやで。彼が言う。

しょーもない戦いかたすなって言われて猫みたいに鳴く。

喉は痛くない。咳も出ないけれどただ身体がだるくて。
ぬらりひょんにでもなって、ぬらぬらとそこらへんを漂いたいぐらい。

彼はどちらかというと病気がちだったけど。

誰かが具合が悪い時はじぶんの出番やみたいにすこぶる力を発揮した。

なにが欲しい?なにが食べたい?食べたいもんなんでも作ったるから。

旅館の朝みたいなやつ。

おかゆにおかかと少量のおしょうゆが入っていて。
卵焼きに大根おろしがのってて。お豆腐のお味噌汁と甘塩の鮭をやいてくれたのを作ってくれた。焼き海苔もあった。

わたしはおふとんの中で彼の年季の入った冷蔵庫を見ていた。

彼の実家は酒屋さんだった。

お母さんは夏になると、店内を飾る飲料水や新商品などを取り交ぜて、宅急便で彼のアパートに送ってくる。

いつでも手書きのお手紙つきのその愛ある段ボールを何度も目にしていた。

そして夏の風物詩のように彼の冷蔵庫にはたくさんの三ツ矢サイダーが詰め込まれていた。

冷蔵庫の庫内にずらりと並ぶ三ツ矢サイダーをみるとわたしも夏の訪れを感じていた。

それは圧巻で。

ビールを入れておくスペースがないと嘆いていたけど。

どこか彼も嬉しそうだった。

夏が今年もやってきたことと。
ふたりでまた夏を迎えられたことがどことなく幸せだった。

1884年から三ツ矢サイダーがあるんやで。俺らのおじいさんより年上やなって、言うのを聞きながら。

どうしても喉にしゅわしゅわとくる
刺激がほしくて。

三ツ矢サイダーを飲みたいとわたしはリクエストした。

ちゃんとコップに入れてもってきてくれた。

至れり尽くせりだ。

病んでいる時の特典は思い切り甘えられる
ことかもしれない。

風邪を引いて悔しがっているわたしに
炭酸の刺激が、熱っぽい喉を潤してゆく。

他の炭酸よりも刺激だけじゃなくて
ほんのり甘みが舌のうえに残る。

思いがけなくやさしい味だなって思った。

そして精一杯わたしを看てくれる彼のどれもこれもが優しくて、ほんとうは泣きたい気持ちだった。

ありがとうがなかなか言えないわたしだったけど。

早く元気になってお返ししたいと思っていた。

三ツ矢サイダーをはじめて飲んだのはもっと
小さかった頃かもしれないけれど。

弱った心と身体を潤してくれたあの日の
味は、この間少し身体を弱らせていたわたしの記憶の中に蘇っていた。

三ツ矢サイダーの記憶にそっと救われていた。




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