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家族は作るんじゃなくて、なってゆくもの。その間にはいつも「おいしいごはん」があった。(創作大賞感想)
年齢を重ねると、じぶんが育ってきた
「家族」って如実に輪郭をあらわにしてくる。
ああわたしはこの「家族」の一員になることが最初から決められていたのだな。
あんなにぶつかりあったのに、
ふしぎなことよ。
みたいに思うことがよくあって。
若い時は「家族」がうっとうしかったし。
ひとりになりたいねんっていつも思ってた。
いつもその時に考えているのはじぶんの「心」であり、「気持ち」であり、これからどうしようでも笑っていたい楽して暮らしていたいという甘えた想いだったような気がする。
でも年月が経ってみるともちろん「心」も
大切なのだけれど。
「家族」でしか味わえなかった「食べ物」ってあったなとか、あの時みんなで餃子の皮を包みあって、ぶさいくな形の餃子ができあがったこと、今になるとなんか懐かしいなみたいなことがよくある。
それだけわたしも歳を取ったということだけど。
家族の間に食が橋渡しのように繋がれているエッセイが最近好きになった。
わたしがはじめて読んだ時から、なんか好きやなって思ったnoteがわたなべますみさんのこちらの作品です。
冒頭から、情景が浮かんでくる。もう一行目から引き込まれていた。
11年前の夏。私と息子が暮らしていた築30年の木造アパート2階の部屋は、その日の夕方も昼間の熱を逃さずしっかり溜め込んで、床まで熱くなっていた。
「家の中の方が暑いやん!」
大きめの独り言が出た。仕事から帰ってきた私は、ドサっと雑に買い物袋をテーブルに置いた。
「アイス買うてきた?」
これって、もう。ドラマの始まりのようだ。
わたしの好きな世界で言うと、向田邦子の世界だ。
そしてこのアイス買うてきた?をますみさんに問いかけるのはご子息。
ますみさんは一度離婚されていることの描写やその頃のご子息のことが綴られる。
その視線が、温かい。
そして、ますみさんのお母さんとしての
立ち居振る舞いがとてもおおらかである
ことに読者であるわたしは包まれて
ゆく。
そんなますみさんにはご子息に言わな
ければいけない大事なことを抱えていた。
言わなければ前に進めないこと。
前に進むとは、誰と一緒に暮らしてゆく
かという選択しなければいけないという
一大事。
ますみさんの再婚だった。
母親の再婚という場面を経験したことがないわたしは子供の立場でどういう気持ちになるものなのか想像が難しいけれど。
ご子息のレスポンスはめちゃくちゃ早かった。
大阪暮らしから横浜を選んだ彼は、つまり
ますみさんとまた一緒に暮らし始めるということだった。
そして大阪から横浜へ。
文化圏も違うし、これはわたしも同じ道をたどったのでわかるけど。真逆にちかい。
大阪暮らしが12年のご子息がお友達といきなり離れ離れになることを案じたますみさんが、寂しい?って問う。
その時の彼の答え方にぐっときた。
「でもおれ、大阪で12年生きたから、もう飽きた。次は横浜や!」
「飽きた」という言葉には、ふつうはなげやりな意味がこめられる
ものだけど。
この「飽きた」はなんていうのか、慣れ親しんだ「大阪」にももう飽きたわって言い放つ中にどこか愛情を感じたし。
ますみさんへきっぱりとそう宣言することの潔い優しさも感じた。
素敵やなー、この母と息子の会話。
そして横浜へ。
新居で初めて3人で食べた晩ご飯は、焼き肉だった。
そしてご家族三人の新居からみえる富士山を
眺めるのが好きだったますみさん。
このくだりは、ここまで来たよという
時間や距離への想いも隠されているようで
しんしんと胸に沁みた。
4月がやってきて、新しい環境、新しい家族としての生活になかなか慣れないますみさんやご子息。
「仲ようなってほしいって気持ちはわかるねんけどな。そもそも3回会うただけの、よう知らんおっちゃんといきなり暮らし始めて、すぐに仲ようなるのも無理な話やで」
この言葉を聞いた時のますみさんは、はたと自分の心の声に気が付く。
カギカッコつきの「家族」を求めすぎていたのではないかと。
それはまぎれもなく自分のためだけのエゴだったのではと内省される。
でも、わたしはそれはエゴだとは思わない。
誰しも新しい生活を選んだ時は、希望も期待も理想もある。
それは、ますみさんの健全なまっすぐな想いだったのだからエゴではないのではないかと。
私はそれに気がついた。そして、あきらめた。二人を無理やりくっつけて、『家族』にするのをあきらめた。
この内省もますみさんが、ご自分でみつけられたじぶんと対話することで解を見つけることの術なのだと思った。
そしてここで救世主のように彼ら家族の間に
レイアウトされるのが、ご主人の「料理」
だった。
夫は料理が好きで、長い独身時代に腕を上げ、ホームパーティをすると毎回大勢の友人たちが集まっていた。凝った料理を10品近く仕込んで、ふるまっていた。
なかでも、毎回振る舞っていたチキンカレーと麻婆豆腐は評判が良かったと、自慢げに話してくれた。
ある週末。スパイスでチキンカレーを作る
ご主人。
その辛さをめぐって、すこしだけ膝カックンな出来事もありつつ、まるくおさまり。
ご主人は週末の晩御飯を作る。
次は麻婆豆腐。
チキンカレーとはまた違う辛さ勝負。
チキンカレーの巻では、辛さのスパイスが効きすぎてすこしだけ、足踏み状態になったけど。
その麻婆豆腐では、ご子息が辛いけどおいしいと伝えてくれたことからますみさんの家族がとてもいきいきと動き始める。
「ぼく、美味しかった言うてもろたん、うれしかったな」
そして麻婆豆腐がある日、予定は未定みたいに麻婆茄子になって彼ら家族の物語はいちだんといきいきとさらに動き始める。
食べることが家族をつくる。
そんなことを感じていた。
ますみさんが書いていらっしゃるように。
家族という形が先にあるのではなくて
その間に「食べる」ということを点と点の
ようにつないでいったら、「家族」になっていたというように。
素敵なご家族だなって思う。
この5000字の中にはたくさんの時間がつまっているにちがいない。
ここに書けなかった時間も含めて。それは不安であったり葛藤であったかもしれない。
でもその間にはいつも「美味しいごはん」があったことを思うと、あらためて家族で食べることのかけがえのなさも感じる。
わたしたち読者は、ますみさんの物語は、
ますみさんのご家族だけの物語ではなく。
おなじような悩みを抱えていらっしゃる
方々への励ましにもなる。
そんな普遍性を備え持ったエッセイだと
思った。
そしておしまいの飾らない言葉がとても
すきだ。
夫の麻婆ナスが、私たちをゆるやかにつないで、家族という輪を紡いでくれたように思う。相変わらず、息子と夫の会話は少なめだけれど。
ご主人にもご子息にもお目にかかったことはないのに。
わたしはますみさんの筆力によって彼らにもう出会っているそんな気がしていた。
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