抱えて生きる
トラウマ
あと少しで眠りに落ちる そんなタイミングだった
朦朧とした脳で
答えを探り出すには随分と年月を遡る必要がある質問だった
「うーん、えっと、」とりあえず頭に浮かぶ単語を発するよりも先に
じんわりと涙が溢れ出し
気がつけばベッドの上で泣きじゃくる自分がいた
突然の大洪水に 寝ぼけながらも引いた
涙と一緒に溢れでたのは
小学2年生の頃の出来事に対する自分の感情だった。
鉄の塊のような蓋をこじ開けられてしまった「何してくれるねん!」という
微かな怒りと、
涙で滲んだ視界と同様にぼんやりとしながらも
ここから出してもらえる日をずーっと待ってました!と言わんばかりの
すがるような感覚。
彼は当時の私の気持ちまたは、当時の状況を聞いたのだと思う。
これってもしかして トラウマ?
その感覚を初めて知ったのは36歳の年の瀬だった。
私が小学2年生だったある日
記憶は総じて曖昧で途切れ途切れであるが
私たち姉妹と両親で住んでいた東京の家から、
実家のある関西へと母が一人で出かけた。
無言&無期限で。
手紙のようなものが置いてあったのかも、
次の日にどうやって学校へ行ったのかも、
姉や父の当時の表情なんかも何一つ覚えていない。
自分がショックを受けたり、悲しいと思ったかどうかも知らない。
成長と共に母を一人の女性として見ることができるようになってきた頃から、
この時の母の気持ちや状況は
自分が理解をしてあげられるようになった時に少しずつ感じていきたいと思った。
いや、正直、人のその時の気持ちにはあまり興味がない。
感情などというのは一瞬、一瞬、勝手にアップダウンして無責任なものだから、
自由で良いと思う。
トラウマなのか?と感じてもなお、母の選んだこの行動に不満も恨みもない。
熟考の末であろうと突発的であろうと、
それまでも娘たちを宝のように育ててくれていることを知っていたから。
母が不在となった我が家のその後が
どのように回って、どのくらいの時が過ぎたのかやはり殆ど記憶にないのだけど、
ある日学校から帰ってきたら「お手伝いさん」が居て、
小学校を転校することが決まり、
大好きな大好きな母のもとで暮らせる! そういう運びになったというところまで
記憶が飛んでいる。
父と姉と3人で訪れた母の住む部屋は
狭いながらも素晴らしく整っていて、
私と姉のための真っ白なIKEAの勉強机が二つ並んでいた。
それぞれに与えられた、まだ空っぽの白い引き出しをひとつひとつ開けてみては
これからここに何を詰めていこうかと考えるだけで震えるほどワクワクした。
どこかよそよそしい全員の空気感を感じつつも、
敷かれたカーペットを手でスリスリしてみた。
その時の安堵感は今もたまに思い出す。
当時のヒット曲 中森明菜の「セカンドラブ」のサビである
”帰りたくない 傍にいたいの〜 その一言がいえない”
東京へと一旦戻る道中、そこだけがエンドレスリピートで頭をぐるぐるしていた。
それ以来その曲はその部分に差し掛かると喉の奥が詰まって上手く歌えない。
小学校3年生から新しい土地で新しい学校で、母と一緒の生活に戻った私。
父には申し訳なく思うけど、
多感な年頃の私にはとてつもなく楽しいと思える生活が始まった!
ネガティブに捉えていないつもりの、
人生のひとつの通過点でしかないと思っていたその出来事は、
心の奥深くに刻まれた”しるし”として共に過ごしてきたのかもしれない。
長年私に寄り添って、そのエキスを溶け込ませて世の中を見てきたのだと思う。
泣きじゃくって気付いたあの夜以来、
私と母との関係性や、他人との接し方なども含めて、
自分の思考への理解度が以前よりも深まった気がしている。
トラウマは 不意に蓋をこじ開けられてご対面する機会が必要なのかもしれない。過去は変えられないし、この人生で確かに起きたひとつの出来事として認める、受け入れるっていう心の作業があった方がその後が楽になると思う。
当時の感情がどんなだったかなんて思い出す必要はなくて
克服するとかいう話も違う気がする。
ふんわりと柔らかな布に包んで、口を固くかたく結えておくような感じ。
冒頭の夜とは別の年のある朝、目を覚ますと彼の姿がなかった。
普段は静かな私の不安感が、その時は0から一気に100まで上昇するのを感じた。
他にシャワー、リビング、トイレしかないマンションに人の気配はなく
都内の元旦の朝は恐ろしいくらいに静まり返り、
私だけこの世界にぽつんと取り残されたかのような感覚に包まれた。
誰にも内緒だけど、
迷子になった幼児のように大声で叫んだりもした。
かなりやばい人だったはず。
完全に取り乱した私は”あの時”の感覚がフラッシュバックしてたのだと思うけど、
それを体感したのは初めてだった。
別空間へと迷い込みおろおろするだけの自分に、
大袈裟すぎるでしょ!!と頭のどこかで感じながらも動揺は抑えられなかった。
しばらくすると元旦の新聞を買いに出かけていた彼が、普通に帰ってきた。