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瞑想をしていて思うこと

マインドフルネス瞑想ヨガをして3年が経ちました。

最近、瞑想をしていて思うことが、いくつか溜まってきたので、書いておきたいと思います。

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瞑想の先生が書いたものを読むことがありますが、こうなるのかなぁ、こんなことを感じることもあるのかなぁとは思うものの、最近はそれを目指すということがなくなってきました。

仮に目指しても、それはあくまで個人的なことで、そうならないことのほうが多い気がするのです。

初心者に対する瞑想の方法の解説なども、あまり読みすぎてその通りにしようとすると、自分のその時の状態との間にズレを感じて、楽しくない。

先生や著者は意図していなくても、知らず知らずのうちに受け取る側に目標ができてしまうのかもしれません。

また、瞑想をする上での課題や、瞑想のコツも、瞑想に上達した先生のその時の感覚から出た言葉だと(わかりやすく伝えようとしてくれていても)初心者にはピンと来ないのかもしれません。

喉がカラカラに渇いている時に目の前にご馳走を出されても嬉しくないような。
それよりも、まず一杯の冷えたお水が嬉しい、そんな感じです。

よく言われますが、今の自分に必要な答えは自分だけが知っていて、自分の何処かにあるように思えます。


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何かを目指して瞑想をする。

意欲を持ってすることは大切だと思いますし、瞑想を始める方の中には、こうなりたいという目的を持って始められる方が多いと思います。

しかし、瞑想の場合、何が起こるかはその時が来ないと分からないと思います。

というか、何かを目指すと却ってうまくいかない気がしています。

瞑想をしているときは、普段気づかなかった心の底(深層心理とか、潜在意識とか呼ばれるものだと思います)に働きかけているそうです。

その結果、今まで気づかなかったことに気づいて、「そうだったのかぁ」って思うことがあります。

何かわからないけどモヤモヤしていたことが、ある時ふと晴れるような感覚です。

しかし、それがいつ起こるか、その人にどんな変化をもたらすかは、人によって全然違いますし、同じことが起こっても、気づくか気づかないかは人によって違うと思います。

私の場合は、以前は、騒音が気になってましたが、最近はあまり気にならなくなりました。

また、不安から大きく気分が落ち込んでしまうことがあっても、それを何処か遠くから見ている自分がいて、必ずいつかリカバーすると信じられるようになり、落ち込みが前ほど長引かなくなりました。

何かは起こるけど、何がいつ起こるかわからないのが瞑想かなぁと、思います。

本当に必要なことは、起こすのではなく起こる。

今はそれを毎日楽しみに待っている感じがしています。


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私のマインドフルネス瞑想ヨガの先生は瞑想は筋トレだと言われます。

やればやるほど効果が積み重なっていくことを、そのように例えておられるのだと思います。

お寺の庭によくあるししおどしに水が満ちていくように、だんだんと瞑想の効果が溜まって、ある時

カッタン、

一気に水が流れるように、瞑想の効果を実感する。

瞑想にはそんな感じがあります。

しかし、残念ながら水が溜まっていっている時は、筋トレのように効果を実感できないことがあります。

筋肉がついたことを見て実感したり、以前持ち上がらなかったものが持てるようになった等が、瞑想にはありません。

瞑想を始めた最初は、何か他人とは違う新しいことをやっている高揚感を感じて続けられても、長いことやってるうちにだんだんと違いが感じられなくなっていき、瞑想から遠のいてしまうことがよくあるように思います。

私もそうでした。

なんだかそれは、通信教育に似ているようにも思えます。

私は教員の免許を通信教育で取得しましたが、入学しても卒業できるのは6%だと入学ガイダンスで言われました。(今は平均して15%だそうです)

レポート提出の期日も決められず、出すか出さないかも強制されない通信教育は、全て本人に任されています。

入学した時のやる気がだんだんしぼんでくると、どこまですればいいのかゴールが果てしなく遠く感じられ、ついつい勉強から遠のいてしまうところが、瞑想に似ていると思います。

私が通信教育を続けられたのは一緒に勉強をしていた仲間の存在でした。
学習会と言われるところに集まっては、励まし合って、なんとか勉強を続けることができました。

瞑想の場合は、誰か先生につくことが大切だなぁと、思います。

私も、20代の頃に瞑想を始めて10年以上やった後、なんとなくやらなくなっていたのを、今また続けていられるのは、マインドフルネス瞑想ヨガのひろみ先生に、このnoteで巡り合ったからだと思います。

瞑想をして、マイナスの側に効果が出て一時的にしんどくなったとしても、先生がいる時は、適切なアドバイスをもらえるので安全です。

私は、自分の先生との出会いに感謝しています。

このように、瞑想を続けるうえで、先生や仲間の存在は、とても大切だと実感しています。


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瞑想をしている人は、なかなか瞑想の時間が取れないことが多いと思います。

瞑想の必要を感じている人ほど忙しい、というだけでなく、効果が実感できるには一日どれだけ取り組めばいいかという時間がよく分からないからだと思います。

瞑想は坐って目を閉じてじっとしていることが多いですが、実は何をしているかというと、何かに集中して、頭の中のおしゃべりを強制的にお休みしているんです。

実は脳というものは、いつも自動車のアイドリングのように止まらずに働いているようにできてるんだそうです。
ずっと働き続けている脳をお休みさせる。それが瞑想だと言えるみたいです。

坐っている時に集中する対象は、多くの場合呼吸なのですが、頭のおしゃべりが止むのなら、何でも良いのです。

例えばゆっくり歩くということも瞑想になります。
その時は、主に足の裏の感覚に集中します。

私も、散歩に出る時によくやっています。

でも、もっと日常生活でできる方法があります。

私は今、洗濯物を干すこと、洗濯物をたたむこと、茶碗洗うことを瞑想にしています。

洗濯や炊事は、特に次に何をするか考えなくても、手が自動的に動いて洗濯物や汚れた食器を処理していきます。

それをじっと見て、身体の感覚を感じています。

すると、頭の中の思考がお休みする時間が生まれるのです。

陶芸をされる方や、水産加工場で魚をさばく方、或いはバレイやダンスをする方も、一種の瞑想状態を経験されてるんだと思います。

日常生活の中に瞑想が入ると、特に意図して瞑想の時間を作らなくても毎日できますし、何分するか時間を設定しなくても、作業の終わりが瞑想の終わりになります。

マインドフルネス瞑想を始めて3年が過ぎ、今こんなことを考えています。


タマスダレ 名前の由来がよく分からない