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禅の公案の答え(24)

無門関第一則 「趙州狗子」

臨済宗には、無門関、臨済録、碧巌録など数多くの書物があります。
その中ではもっともシンプルな無門関について今日は書いてみたいと思います。
無門関は全部で48則あります。最も代表的なものでは以下の「趙州狗子」が有名でしょう。
「趙州(じょうしゅう)和尚、因(ちな)みに僧問う、「狗子に還(かえ)って仏性(ぶっしょう)有りや?」州云く、「無」。
これはある僧が趙州という優れた和尚に対して「犬にも仏の心がありますか」と問うています。それに答えて趙州は「無し」と。
仏教の常識としてこの世に生きるものは全て「仏の心」を持って生まれていると説かれています。それがなぜ、犬に仏性がないのでしょうか。
これは趙州和尚が単に「有る・無し」の「無し」と言っているわけではないことをよく認識しましょう。質問をした僧侶の分別を取るためにあえて「無し」と答えたのです。禅の世界は何よりもこの分別を取るということをその第一目標に掲げます。ですからこの趙州の無の問答が有名になると、今度は別の僧が尋ねてきた時、趙州和尚は「犬にも仏の心がある」と全く反対の答えを返したりしているのです。
「有る」とか「無い」ではない。そこのところを坐禅して見て来いという問題なのです。
この公案のポイントは「全部有る」か「全部無い」に集中することです。ただし「全部有る」から入ると雑念に囚われますから「全部無い」から進めて行った方が良いでしょう。「全部無い」これになり切った時に、「実は全部あった」ということに目覚めるのです。

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