禅の公案の答え(15)
後悔とは
心の中が後悔するような気持ちばかりの時。実はその出来事たちが本当に後悔しなければならないことだったのかの判定は、人生が終わりに近づいてみないとわからないはずです。ネガティブなことはとりあえず棚上げして今をいきいき生きてみましょう。
坐忘
嫌なやつに対して「ゆるす」とか「忘れる」ということは程度は違えど誰しもやっていることだと思います。
人を憎んだり恨んだりするというのは、それによって自分の心にダメージを与え続ける行為なのです。嫌なことがあって、それが尾を引いて、結局その出来事よりも尾を引いた負の感情によって大損こいてる、ということは皆さんもご経験あるのではないでしょうか。
忘れるということは今に集中出来ます。そして今に集中出来るということはご縁に感謝できるということなのです。ここに来れば仏の世界が待っています。
坐禅で深く瞑想状態に入ると、パッと悟りの花が咲くはずです。
自死
人を救うのが仏教の建前ですが、今最も仏様を必要としている人達は誰か。それは年間三万人もいる自殺者ではないでしょうか。
そしてそれを救えるものとは一体何か。仏教ではありませんが、私はその為に最も強大な力を発揮する施設が「靖国神社」だと思うのです。
戦争という凄惨な状況で、生きていたくても生きられなかった、ひどい死に方をした、そういう先人の苦労の上になりたっている平和な世の中であることを噛みしめるべく、ゆううつな時には靖国神社へ出かけて、お国のために死んでいった英霊に手を合わせ、生きる力をもらってくるのです。
どうか靖国をタブー視しないで、生と死を考える大人のための(今時は子どもの自殺もあるそうですが)哲学の場を、オンライン上などに設ける時ではないかと思います。
靖国がダメなら無宗教の千鳥ヶ淵でも良い、死ぬ前にもう一度今生かされている大きな恵みに気付いて欲しいと思います。
三浦春馬さんという若手俳優が首を吊って亡くなられました。30歳だったそうですが、30にもなれば、人生なんて終わりを急がなくともあっという間だと気付いても良い歳のような気がします。私は三浦さんより10歳年上ですが、本当に仏様には感謝しています。あと40年は生きられる。三浦さんも生きていればあと50年は人生を謳歌出来たというのに、なんというもったいないことでしょう。友達だってたくさんいたんでしょうから、わいわいやれば良かったのにと思います。
その人にしかわからない悩みがあったのだから軽率なことを言うべきでないと怒られるかもしれません。それでも、生きることに意味はあると思うし、私はたくさんの友達や家族に囲まれて幸せです。この命ある限り仏教によって命や宇宙を探求したいと思います。
かたつむりの童話があります。あるかたつむりが「僕の背中の殻は重すぎる」と言いました。そうしたら別のかたつむりが「僕も同じだよ」と。