『世界の哲学者が悩んできた「老い」の正解』岡本裕一朗【試し読み】
老人はやはり“邪魔者”なのか?
私たちは「老い」をどう迎えたらいいのか——
人気哲学者が本気で考えた、“やすやすと死ねない時代”の論理と真理!
はじめに
超高齢化社会に不可欠となる「老いの哲学」
本書は、21世紀の現代において、「老い」をどう迎えたらいいのか、哲学的に考えるために書いたものです。
しかしながら、一口に「老い」といっても、そのあり方は時代によって大きく違っています。また、「老い」について哲学的に考えるとはどういうことか、必ずしも明らかではありません。
そのためにまず、私が現代という時代をどのようなものと理解しているのか、また哲学的に考えるとはどういうことか、あらかじめお話ししておくことにしましょう。
本書で「老い」について考えるとき、私が指針としているのは、フランスの哲学者フーコー(1926~1984)が1982年に発表した論文で語った文章です。彼は亡くなる2年前に、カント(1724~1804)の『啓蒙とは何か』(1784)について次のように書いています。
ここでフーコーが、カントの名前を使いながら語っている問い、これを本書の基本に据えたいと思います。私が考えたいのは「老い」ですが、これは「私たちの身に今、何が起ころうとしているか」を考えることです。言いかえると、「老いの今」を考えることが必要なのです。
しかし、「老い」を考えるとき、どうして「今」が重要なのでしょうか。
哲学にとっての「今」とは?
哲学にとって「今」という時代が重要であるのは、単なる一般論ではなく、特別な理由にもとづいています。それは、現代(今)というこの時代が、歴史的に大きな転換点にあるからです。しかも、この歴史的転換は、数十年単位の出来事ではなく、数世紀単位の転換にほかならないのです。
この意味を理解していただくために、ルネサンス期の活版印刷術の例を挙げてみましょう。この印刷術は、15世紀中にヨーロッパ全土に広がり、ルターの宗教改革やヨーロッパの国民国家形成を促したことは、よく知られています。
この時期、いわゆる「中世」から「近代」への歴史的転換が引き起こされたのです。ひるがえって、まさに現在、活版印刷術に代わる新たなメディア=デジタル情報通信技術が登場しています。
とすれば、「近代」から「新たな時代」への歴史的転換が、今まさに進行中である、と考えられるわけです。
そのため、現在進行中の出来事は、「近代」から「ポスト近代」への転換と表現することができます。今まさに「近代の終わり」を迎えていて、新たな世界が始まっていると言えるのです。
こうした「近代の転換」は、「老い」を迎える私たちをどこへ導くのでしょうか。言うまでもなく、これは他人事ではなく、私たちに直接降りかかってくる問題です。フランスの歴史家で、1987年に『老いの歴史』を刊行したジョルジュ・ミノワ(1946~)は、次のように書いています。
「老人」への関心が、どうして今日、高まっているのか。予想通りの答えかもしれませんが、ミノワはこう言っています。「今日の西洋社会において、高齢者の割合がこれほど高くなったことはかつてなかったからだ」と。そして、今までは社会のなかで「マージナルな(辺境の)存在」だった老人が、「きわめて普通の市民」になりつつある、と皮肉交じりに語っています。
実際、日本の場合を考えてみても、内閣府の発表によれば、2053(令和35)年には、わが国の人口は1億人を下回って9924万人に、2065(令和47)年になると8808万人になると予想されています。
その反面、高齢化率は上昇し続け、2065(令和47)年には38.4%に達し、国民の約2.6人に1人が65歳以上になると推計されています。
さらに、総人口に占める75歳以上の人口の割合は、同年25.5%となり、約4人に1人が75歳以上になるとされているのです。
「長寿化」は“贈り物”なのか、あるいは“呪い”なのか
たしかに、日本では「少子高齢化」社会の到来がかなり前から叫ばれ、老人の人口割合が増加しています。そのため、「白髪族の侵略」などとも揶揄されることもありますが、問題は人口が増えたことだけではありません。むしろ、ポイントは長寿化、つまり平均寿命が伸びたことにあります。
「人生100年時代」を提唱したリンダ・グラットン(1955~)は、その共著書『ライフ・シフト』のなかで、次のように語っています。
かつての社会では、「人生50年」とか「人生70年」とか言われてきました。イメージ的には、近代以前の社会が「50年」、近代社会が「70年」というところでしょうか。社会のさまざまな制度も、この寿命に合わせてつくられています。
たとえば、「人生70年時代」の近代社会では、定年退職の年齢が50~60歳に設定され、その後の「老後」もそれほど長くはなかったのです。これなら、経済的にも何とかできそうです。ところが、ポスト近代になった現代においても、定年退職の年齢はあまり変わっていません。それなのに、寿命が伸びて「人生100年時代」になるとどうなるのでしょうか。
単純に、仕事をしなくなっても、その後40年から50年も生きることになります。これこそが大問題なのです。
差し迫ったことを言えば、収入はどうなるのかが、定年後すぐに不安になることでしょう。私の目から見ても、これほどの長い期間を年金だけでやりくりできるとは思えません。
現役時代に貯蓄すると言っても、たかが知れています。
定年の年齢が60歳だとすると、働いた期間(だいたい40年)と同じだけ退職後も生きるのですから、それを賄えるとは思えません。また、公的年金にしても、老人の数が増えるだけでなく、支給期間がさらに長期化すれば、年金制度そのものが維持できるか、だれでも気になるはずです。
もちろん、収入の問題だけでなく、私たちの生き方全体に「老後」はかかわってきます。
ところが、現在の社会状況を見ても、その対策どころか、準備すらもできていないようにしか思えません。
たとえば、グラットンは次のように語っていますが、私たちはどこまでこのことを自覚しているのでしょうか。
たしかに、グラットンが語るように、私たちは今までにないような時代の入り口にさしかかっています。「人生100年時代」という長寿化を迎え、このなかで生きていくことになるわけですが、そのとき経済的に「どうやって生き続けるか」さえ、わからないのです。しかも、その準備はまったくできていません。
とすれば、「長寿化」は私たちにとって、はたして“贈り物”なのでしょうか、それとも“呪い”というべきでしょうか。
21世紀を迎え、私たちの時代は「ポスト近代」の入り口にさしかかり、「人生100年時代」という長寿化社会が到来しつつあります。この事実を、私たちはいったいどの程度、本気で自覚しているのでしょうか。
「今、どう生きていくか」という切実な問題
個人的な話で恐縮ですが、私は1954年生まれなので、もうすぐ70代に突入します。わが国の社会保険制度にのっとれば、すでに前期高齢者(65~74歳)の仲間入りをしていることになるわけです。
4年ほど前には、勤めていた大学も定年退職し、まさに「引退後の人生」を歩んでいます。そのため、「老い」の問題は他人事ではありません。ソクラテス(紀元前470頃~紀元前399)は「どう生きるか」を哲学の根本的な問題としました。私たちは、これからあと何年生きていけるのかはわかりませんが、いずれにせよ「今、どう生きていくか」が、切実な問題となっているわけです。
おそらく、読者の皆さんも、私と同じ年代の方が多いかもしれません。あるいは、私よりも先輩の方々かもしれません。
しかし、「老い」の問題は、当事者だけでなく、やがて「老い」を迎える人びとにこそ、差し迫った問題だと思います。
長寿化の傾向はこの先ますます進むはずですから、現在の若い人びとこそが、「人生100年時代」のど真ん中になるのです。その点では、「老い」の問題は決して若い人にとっても他人事とは言えません。やがて自分にも到来する出来事なのですから、今から考えておいても悪くないのではないでしょうか。
他人事と見なすか、自分の問題と考えるかは、どちらでもかまいませんが、現代が時代の転換点にあることを、あらためて皆さんと共有したいと思います。
ここでもう一度、フーコーの問いを引用しておきます。
2023年10月 岡本裕一朗
もくじ
〈 はじめに 〉
超高齢化社会に不可欠となる「老いの哲学」
〈 プロローグ 〉
かつて、老人は「廃品」であった
・高齢者は「切腹」すれば、それでいいのか?
・老人は社会の「廃品」であり「屑」である
・権力を握った高齢者こそが問題
・キケロの老年論は「老害」そのものだった!?
・私たちは長老、資産家老人、再生老人、廃品老人のどれか?
・「ネットの民」を先取りしていたルキアノス
〈 第1章 〉
「老人」VS「若者」
という図式は本当に正しいのか?
1.「若者」と「老人」では
根本的に何が違うのか?
・キルケゴールによる若者と老人の違い
・「未来志向」型の若者と「過去志向」型の老人
・進歩主義、伝統主義、保守主義の違いと世代間対立
・「国葬反対デモは高齢者ばかり」
2.若者の敵は本当に老人なのか?
・なぜ、フランスの若者は年金デモに参加したのか?
・リタイア後にすることがない人生に意味はあるのか?
3.老後の仕事とお金という大問題
・老後の生活をどうやって維持するのか?
・定年後に「リサイクル品」となる老人たち
・ドゥルーズが提起した「制度の危機」
〈 第2章 〉
老後生活はどのように
「監視」され、「管理」されていくのか?
1.ボーヴォワールの「老い」と近代の終末
・ボーヴォワールが想定した「近代の老い」
・「廃品」としての老人は、どこに棄てられるのか?
・近代社会と「パノプティコン」の誕生
・フーコー+ボーヴォワール=近代モデルの完成
2.ポスト・パノプティコン時代に、
「老い」はどう変化していくのか?
・ドゥルーズが見抜いた「ポスト・パノプティコン」時代
・アナログな「監視」からデジタルな「管理」へ
・境界線の消滅と液状化
3.閉鎖から開放へと
向かう「介護」と「医療」の未来像
・ドゥルーズが与えた高齢化社会へのヒント
・「ヘビの輪はモグラの巣穴よりもはるかに複雑」
・少子高齢化は歴史的必然である!
・グラットンが考える新たな「ライフステージ」
〈 第3章 〉
哲学者は自身の「老い」をどう考えてきたのか?
1.「老い」をめぐる
プラトンとアリストテレスの違い
・プラトンとアリストテレスの奇妙な師弟関係
・「老い」を積極的に評価するプラトン
・アリストテレスの強烈な老人批判
・師弟はなぜ、「老い」に関して真逆の考えだったのか?
2.キケロとセネカが、
「老い」を賞賛したのはなぜか?
・老人政治を取り戻すために書かれた『老年について』
・次々と老人のマイナス点に反駁する大カトー
・「老い」を自然なものとして受け入れていたセネカ
・自分で息を止めて死んだストア派の開祖ゼノン
3.社会の問題から
個人の問題へと変化した「近代の老い」
・「老人」は近代になって忌み嫌われるようになった
・モンテーニュの「老い」に対する理解
・老後こそつかむべき「快楽」のチャンス
・パスカルの「人間死刑囚論」と「気晴らし」の関係
4.ショーペンハウアーを乗り越えた
ニーチェの前向きな「老後観」
・ショーペンハウアーの「幸福論」
・苦痛のない人生こそが幸福である
・人生の「否定」から「肯定」へと転向したニーチェ
・森の老人とツァラトゥストラ
〈 第4章 〉
老人にとって、真の「幸福」とは何なのか?
1.「老い」への態度を逆説的に示す3大幸福論における“不在”
・老いとは「他者の侵入」だった!
・「実存は本質に先立つ」サルトルの実存主義の意味
・「若者の行動原理」としての実存主義
・サルトルには「老い」の自覚がなかった!
2.フーコーが批判されても
貫き続けた「貫かない」生き方
・軽やかに“変節”していく哲学者フーコー
・「同じままであり続けろ」と言わないでくれ
・晩年まで好奇心のおもむくまま思索し続ける
・「自分自身の生を個人的な芸術作品にする」
3.九鬼周造の「いき」な
生き方は、日本人のモデルになる!
・ヨーロッパ滞在時に生まれた「いき」の思想
・「媚態」「意気地」「諦め」という「いき」の3要素
・垢抜けして、張りのある、色っぽい「老後」
・なぜ、ハイデガーは「いき」を理解できなかったのか?
4.今の私たちが立ち戻るべき
アリストテレスの「エネルゲイア」
・「形而上学」の本当の意味
・アリストテレス流「幸福」のあり方
・サルトルの思想より「エネルゲイア」が大事な理由
〈 第5章 〉
先行き不安な時代に、私たちはどう
「老いながら生きる」のか?
1.ツリーからリゾームへ──
ライフスタイルの変化
・「根づく」時代から「広がる」時代へ
・「デジタルの首輪」をつけた社員たち
・コロナ禍が生んだ「定住民型」から「ノマド型」への変化
・仕事が遊びになり、遊びが仕事になる
2.ポスト近代の理想となる
「コンヴィヴィアル」な生き方
・崩れ去った「学校=教育」という等式
・みんなが生徒になり、同時に先生になる時代
・近代の終焉と「コンヴィヴィアリティ」
・「節制ある楽しみ」としての共生
・コンヴィヴィアルな老いの生き方
3.テクノロジーの進化は
「老い」をどう変えるのか?
・人間の寿命はどこまで延びるのか?
・「老化」は本当に防止できるのか?
・医学的な「死の延期」はどこまで許されるのか?
・進む人間の「サイボーグ化」
・AIに恋する時代がやって来る?
〈 エピローグ 〉
老人は若者の未来である!
・現代社会にあふれる「使い捨て若者」
・終わりなき「老人叩き」より、はるかに大事なこと
ここまでお読みいただきありがとうございました!岡本裕一朗 著『世界の哲学者が悩んできた「老い」の正解』は全国の書店・ネット書店にて発売中です。
続きはぜひ本書にてお楽しみいただけたら嬉しいです、よろしくお願いいたします。
\ 2023年11月16日発売 /
岡本裕一朗 著
世界の哲学者が悩んできた「老い」の正解
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