見出し画像

あなたはそれを本当に「理解」できているのか。

ある日の会話です。

深沢 「理解するとはどういうことでしょうか?」
相手 「わかるってことじゃないですかね」
深沢 「なるほど。ではわかるってどういうことでしょうか?」
相手 「それは…まあ…理解するってことですかね」

まるでコントのような会話ですが、さてあなたはどう思われますか。ひとつ確かなことは、この人物は「理解する」を理解できていないし、「わかる」とはどういうことかをわかっていないということです。

今回は思考の話です。

テーマは、「あなたはそれを本当に「理解」できているのでしょうか」です。

たとえば少子化という社会問題があります。子どもが減っているということを意味しますが、あなたはこの少子化という現象をちゃんと理解できているでしょうか。念のため申し上げますが、私は「少子化=子どもが減っていること」と認識していることが理解していることだとは思っていません。実はそれは理解でもなんでもないのです。

あるいは人生観というものがあったとします。人生に対する価値観のことでしょうか。あなたは自分の人生観を自分でわかっていますか。それを誰かに尋ねられたら、相手が理解できるように説明できる状態でしょうか。相手に説明できないことを、理解していると言って良いのでしょうか。

かつて、学校の先生が教室でこのような発言をしていた記憶があります。

「わかった人は手をあげて〜♪」

かつて(新人の)会社員だった時代に上司からこんなことを尋ねられた記憶があります。

「いま俺の言ったこと、理解できたか?」

私はどちらもおそらく「はい」と答えていたと思います。しかし今になって思います。理解できた(わかった)とは、どういうことを指すのでしょうか。理解できたときとそうでないないときの違いは、いったい何なのでしょうか。

しばらくこの連載記事では、「理解」をテーマに論じることになります。

なぜこのテーマかというと、私が国内唯一のビジネス数学・教育家であり、かつ数学と「理解」は極めて親和性があるからです。というか、私の解釈はもはや次の1行です。

ここから先は

2,033字

¥ 500

いただいたサポートは、書籍の執筆業務や教育現場での活動を拡大し皆様にシェアする情報をさらに届けるために使わせていただきます! noteの「スキ」やamazonの書評も大きなサポートになりますので、よろしくお願いします。