「やめて下さい!あなたは駄目な日本人だ‼️」 深夜コンビニには色んな人が働いてた、今日はその中で唯一の中国人の王君の話をしようと思う。 王君は目鼻立ちもしっかりしているが、とにかく女好きで、女好きが顔に出すぎている位に顔の筋肉が弛緩してデレデレしている顔だか人当たりの良い男前だ。 北京出身で親が共産党の幹部の偉い人らしく、まだ20代だが北京に自分のマンションも車も持っていて、コンビニ仲間が賃貸のマンションに遊びにいったら百万円が束で何個か置いてあった位にお金持ちだった。
『タイムリーすぎるだろ馬鹿‼️』 2001年頃の大阪の深夜コンビニは強盗が多発していて危険がいっぱいだった。 大阪市南東部(生野区・平野区)から徐々に強盗が南下しているという話で、近隣の市町村では警戒感を強めていた。 犯行現場も近い事もあり『本当に強盗が来るのかも』と深夜バイトクルーは警戒心と心構えを持っていた。 11月の深夜、私は大学の友人と夜中までパワフルプロ野球というゲームを楽しみ、気づけば時間が深夜の1時になっていた。 帰宅の為に勤めていたコンビニの前を車で通ろ
『ふざけんじゃねぇよ❗️俺、地元の友達に何回も言っちゃったじゃねぇかよ❗️』 深夜のコンビニバイトは2名体制だった、コンビニによっては商品が届くタイミングだけ2名で、基本は1名というコンビニも多かったが、私のバイト先は夜10時〜6時の時間は2名勤務だった。 8時間のうち、商品や本が届いて陳列したり、フライヤー(揚げ物をする機械)を洗ったり掃除したりという時間はせいぜい1.5時間程度だった、残りの時間はスタッフルームで雑談をしながら漫画を読んだりとダラダラと過ごして仮眠を取
「銃やー❗️兄ちゃん、危険やから客を安全な所に案内せぇ❗️」 2001年12月 場所は大阪府の南東部にある某市で畜産業が盛んなエリアだ。 付近には大学が2つ、総合病院が2つ、周辺にはニュータウンの住宅街が広がり、お客様は大阪市内じゃない割には朝から深夜まで大盛況のお店だ。 深夜のコンビニバイトは時給も1000円と高く(当時の最低賃金は大阪で703円)、頭髪や身なりに寛容で、バイト代も高く、大学生には人気なアルバイトだった。 金髪でパーマもあてていて、楽してそこそこのバ
初めまして、太郎丸と申します。 就職氷河期世代で工業高校を留年し、1年間フリーターをして大学に入学。 派遣社員から正社員になり、転職してハウスメーカーに勤務。 経済的な自由と大学生の時のような時間の自由が欲しくて2019年10月より株を開始。 4ヶ月後にはコロナショックで資産が40%減に。 そこで開き直って投資を続けて、今では2000万を4300万以上に増加させました。 目標は1億貯めて9000万円を長期投資、1000万円でデイトレをしてFIREを目指す記録のNOTEです。