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アニメ好き芸能人は全員にわかオタクです

先日、ハライチ岩井氏のニュースが少々話題となった。
バラエティ番組の企画にて岩井氏は「アニメ好きは免許制にすべき」という持論を展開した。その理由は、昨今のにわかオタク達に辟易しているからと言う。私からすれば、アニメ好きを公言する芸能人は例外なく、にわかオタクだ。

岩井氏は記事中で、にわかオタクに対する嫌悪感を次のように述べている。

 「アニメの仕事もしている中で、アニメで稼ごうっていうタレントも増えてきた。共演したりする時に僕がアニメ好きなのを知っていて、『アニメ好きなんですよ、僕も』みたいに言ってくれる人がいるんですけど、その時、すごく困って」と続けると、「僕が『なんのアニメ、好きなんですか?』と質問すると、大体、返ってくるのが『鬼滅の刃』か『【推しの子】』なんですよ。それって、『鬼滅の刃』『【推しの子】』が好きなだけじゃんって、流行ってる時だけバレー(ボール)見る人いるでしょ? あれと一緒なんですよね」ときっぱり。

ヤフーニュースより

”アニメ好き”を名乗る流行りのアニメしか知らない人々に対し、批判的に論じている。ここまでは納得できる。というより大衆認知度が高い作品のみを挙げ、フリークやオタクを名乗る人間には、マニアとしては並々ならぬ怒りが湧いてくる。しかし、最後の一文には全く同意できない。

何故なら既に、アニメはオタクのモノではないからだ。

岩井氏はスポーツ好きを例に挙げ、流行り物に飛びつく人間をにわかオタクと同列に語っている。だが、この認識は間違いだ。
既に国内において、アニメはメインカルチャーとなっている。20年以上前、アニメが未だサブカルチャーとされていた時代であれば、流行に飛びつく人間を揶揄することも出来た。しかし現在、アニメーションという映像媒体は実写を超え、強い影響力を持っている。市場規模はドラマや邦画を凌駕し、日本のコンテンツ産業を大きく牽引する存在となっている。
最早、アニメを視聴する事は極々一般的であり、岩井氏の流行に乗じたという主張は完全なる誤りだ。

私は過去の記事で今のアニメ=昔のドラマと考察した。
過去、トレンディードラマなどが持て囃された時代、ドラマオタクは成立しただろうか?きっとそんな事はなかったはずだ。
同様に誰もがアニメを好む現在、アニメオタクは成立しない。既にアニメは大衆化の果て、オタクの手から離れている。単にアニメを視聴し、消費するだけの人間しか今となっては存在しない。

また、岩井氏はアニメオタクを公言する割に、記事中で視聴した本数を誇るなど、その発言には浅さが垣間見える。本当にオタクであるなら、作品や視聴数以外にも、あれこれと熱い思いを語ってみせろ。
今回の岩井氏の発言は、オタク営業をする同業者への牽制に過ぎず、本当にアニメを好んでいるのか怪しい。

 「僕は毎クール、アニメを30本から40本始まるのを全部見てるんですよ」と話し出した岩井。

ヤフーニュースより

そもそも、毎クール全てのアニメを観たからと言って何が偉いのか。
オタクとはイデオロギーに基づく取捨選択があってこそだ。
提供された娯楽やコンテンツを無為に消費する様は、オタクとは対局に位置する。つまり”全部”観ている事には価値がない。思想や信条に殉じ、自らの考えを頑固に貫いてこそオタクなのだ。

岩井氏からはアニメに対するこだわりが一切感じられない。
視聴数を誇り、アニメをマウント取りの道具としている時点でオタクの風上にも置けない人種だ。アニメ好きを免許制にするなら、真っ先に落第するのは岩井氏の方だろう。

これまで多くの自称オタク芸能人が登場した。私が思うに、全員薄っぺらいにわかオタクに過ぎない。好きなタイトルを羅列し、アピールする者。
どこかの批評サイトから拝借した論評を、さも自らの言葉のように騙る者。いずれもアニメに対する熱意は嘘っぱちだ。

観ている本数は関係ない、熱意を語ってみせろ
イデオンでアニメ史を語る理由を答えろ。どこかの批評の受け売り似すぎない、陳腐な考察だ

特に岩井氏は、アニメに対してビジネスライクな姿勢にも関わらず、本物のオタクを気取っている。それでいで、アニメ産業に対する浅い解像度から、下らない選民思想を振りかざす様子は非常に見苦しい。

オタク営業ほど下らないものはない。我々、真のオタクから見れば全員にわかだ。

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