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【国語科評価法に関する一考察-「MI-国語ルーブリック」および「6Cs-国語ルーブリック」の提案-】

 評価は、学校教育の各教科ないし各単元ごとに、学習指導要領を基盤として教員が定めた「何ができるようになったか」という教育(教科・単元等)目標の達成度合いを「客観的に」図り、児童生徒の「学力」を把握するために必要不可欠なものであるとされる。また外部の人間が、その教員や学校全体の教育力の概略を推定するための指標としても、評価が用いられることがある。時には評価は、教師や学校側の「支配欲」に類似した性質にも転換し得る。

 確かに、個々の児童生徒の「学力」を数値化し横並びにすれば、それが最も手っ取り早い方法ではある。またそうした数値化された「評価」を正当化するために頻繁に用いられる常套句としては、児童生徒同士を競わせ、学級全体の学習に対する士気を高めることができるといったことが挙げられる。しかし、それならば、昨今実施されたPISA2018によって明らかになった、日本の児童生徒の自己肯定感や学習効力感の深刻な低さは、なぜ生じているのか。そこに数値化され、個々の児童生徒の楽しさや苦悩といった学習のプロセスへの敬意の一切が排除された評価が関係していないと言い切ることは、もはや不可能となっているように思われる。

 国語科においては一元的には図ることのできない「能力(/コンピテンシー)」の評価が求められ、「言語力」「コミュニケーション力」「伝統的な言語文化」「言語感覚」など、枚挙に遑がない。これらは児童生徒の生涯に渡って学び続ける力の基盤となるものであるが、数値化された「(相対)評価」をここにおいても盲信することを、傲慢な行為だと断言することは強引であろうか。

 紙面と調査の都合上、各教科等の評価の事情や今後の展望等についての全てを網羅することはできない。そこで本稿においては特に、国語科に焦点を絞り、議論を進めてゆくこととしたい。

国語科における評価の課題

 まず、国語科の評価においてどのような課題が指摘されたかを概観してゆく。益地氏は『国語教育学研究の成果と展望』において、「評価(論)の非独自性」「評価(対象)の偏狭性」「評価(実践)の矮小化」「評価(実践)の矮小化」「評価(内容・方法)の煩雑性」「評価主体の脆弱性」の6つの課題を取り上げている。特に「評価(対象)の偏狭性」については、倉澤栄吉氏の「グローバルな評価」を踏まえ、それが十分に達成されていない結果、「学習指導と評価の乖離」や「目標と指導と評価の一体化」がなされていないと指摘している。外国文献や実践を無批判に受容し、実情と照合した上での検討も未熟であると益地氏は主張する。

 さらに、奥泉氏は次のように述べる。

 「国語科における教育評価を考える際には ,評価しようとする国語科の学力自体を ,分析的・体系的に整理して把握し、それらの関係の中で検討していく困難さが、前提 として存在しているのである。…(中略)…こういった多種類の知識や技能、態度が、多層的に交錯し、それらが文字テクストと音声言語といった様態の異なる形でインプットとアウトプットを繰り返す学習状況において、評価を行っていかなければならないという点が、国語科における評価の一つの特徴と言えるのではないだろうか。」                            奥泉香「国語科評価論―読解力を中心とする諸外国事例にみる評価と改善の方策―」『日本体育大学大学院教育学研究科紀要』第2巻第2号、2019年、p.226  https://nittaidai.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1539&file_id=40&file_no=1

  国語科において育成されるべき言語能力の多層性・複雑性が、国語科における学習評価をより困難にしていると言える。これらの議論を踏まえ、次項においては、より具体的な学習評価案を見てゆく。

評価の共有とルーブリックの協働作成

 評価内容は、学習指導要領に定められているおよその項目に添いつつ、教員が独断的に決定するものである。児童生徒の見えないところで「いつの間にか」評価項目が決定され、「いつの間にか」評価されるが、その「いつの間にか」の蓄積が、所謂「国語離れ」やそれらによって生じている諸問題の源泉となっているのではと考える。評価内容・項目を、単元の導入として予め呈示した上で学習を進めてゆくことは、それほど一般的ではない。しかし、評価内容を共有しておくことは、学習のサポーター・コーチとしての教員と、学習の主体者である児童生徒との信頼関係を堅固にする上で非常に重要だと言える。木寺氏らは、IBDP(国際バカロレアディプロマ・プログラム)の科目の一つである「言語A:文学」の学習評価に関する論稿において次のように述べている。

 「詳細な共通の評価規準や評価システム、規準を達成するための学習方法、指導の枠組みによって、常に「何ができるべきか」という評価目標と「どの程度良くできるべきか」という評価規準が一貫して明確に示され、学習者と共有されていた。また、「できる」ようになるための実践的で具体的な方法、考えるべき観点、自分の考えを効果的に相手に伝える方法など、主体的に深く考え表現するための材料や考え方が豊富に用意されていた。」                     木寺 祐貴・水田 遼介・林藤 成美・山元 隆春  「IBDP「言語A : 文学」に関する一考察 ---学習評価を中心に---」『国語教育研究』第60号, 2019年、p.17   https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/4/48786/20200317102014297653/KokugoKyoikuKenkyu_60_10.pdf

  この考え方は、日本の国語科の学習評価を考える上でも大きなヒントとなる。ここで、教員と児童生徒らのルーブリック表の協働作成が一つの可能性として示される。ルーブリックによる評価は国語科においても実施されているところではある。しかしここに、「実践的で具体的な方法、考えるべき観点、自分の考えを効果的に相手に伝える方法など、主体的に深く考え表現するための材料や考え方」を「豊富に用意」すべく、「MI理論(Multiple Intelligences Theory)」も付加させることを提案したい。

 児童生徒の得手とする力・分野の配分には個々に相違があり、それらを尊重しつつ教育をデザインすることは、今や自明のものとして認識されつつある。しかし未だに国語科においては「言語的知性(Linguistic Intelligence)」が優勢であり、他の「知性」については軽視されやすい。MI理論において設定されている他の7つの「知性」に基づいて児童生徒の関心分野・優位分野を見出し、それらと「言語的知性」並びに「言語コンピテンシー」と有機的に結び付けることにより、内発的動機付けや感情を伴った学習が可能となることが予測される。

 今、仮にこのルーブリックを「MI-国語ルーブリック」と名付けると、例えば、ある単元について学習する前に、学習指導要領において掲げられている「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「主体的に学ぶ力・人間性等」の目標と照合しつつ、各「知性」に合った評価項目を学習者と練り上げてゆく。作成後は、学習者が自身の関心・優位知性を参照し、単一の、あるいは複数の評価項目を選択することができるようにする。この一連の評価のプロセスを授業導入部に設定することにより、その単元内容・学習目標を、自分自身と密接に関わることとして捉える「人間性」が涵養され得る。さらに、自らの得手とする知性を用いてどのようにより良く学ぶかという「メタ認知」を深化させることも、また可能である。学習者らの実践の慣れに応じ「メタ認知」を「MI-国語ルーブリック」に付け加えることも想定される。

 もう一つのルーブリックの可能性として挙げられるのは、「6Cs-国語ルーブリック」(仮称)である。「6Cs」とは、OECDの「グローバル・コンピテンシー」をもとに、マイケル・フラン氏らが2014年「ディープラーニングのための新しい教育法(New Pedagogies for Deep Learning, NPDL)」にて呈示した6つの「グローバル・コンピテンシー」のリストである。具体的には「キャラクター(人格)」「シティズンシップ(市民性)」「コラボレーション(協働)」「コミュニケーション(意思疎通)」「クリエイティビティ(創造性、アントレプレナーシップも含まれる)」「クリティカルシンキング(批判的思考)」の6コンピテンシーが挙げられている。国語科はその性質上、日本国内の閉塞的なものとして語られる傾向にあるが、「言語」という人類の文化的・知的営みの根本に関わる科目である以上、より世界に開かれる必要がある。この「ディープラーニング」は、次のように説明されている。

 「複雑な激動の時代を力強く歩み、新しい状況に思考を適用し、世界を変えることができるような学習者を望むのであれば、学習---学ぶべき重要なことは何か、どのように学びを育むのか、どこで学びが起きるのか、どのように成功を測定するのか---を再考しなければならない。要するに、学習に挑戦し、学習を刺激し、促進し、賞賛する環境を整えることが必要とされる。この新たに概念化された学習プロセスを、私たちはディープラーニング と呼んでいる。ディープラーニングは教育の新たな目的にならなければならない。」                 マイケル・フラン、ジョアン・クイン、ジョアン・マッキーチェン著、松下佳代監訳・濱田久美子訳『教育のディープラーニング 世界に関わり世界を変える』明石書店、2020年、p.27

 「世界に開かれた国語科・学習者が自ら世界を拓く国語科」へとパラダイム・シフトを遂げるための羅針盤にもなり得、これを国語科の学習評価の中に取り入れることは有意義であるように思われる。古典教育であったとしても、例えば「シティズンシップ」であれば、「古典文学中の事象について深く思考することを通して、自らが文化的・言語的責任者であることの自覚を深化させることができる」といった評価項目の作成が可能であろう。なお、古典教育とシティズンシップ教育との連携に関する実践事例は未だ見られないため、こちらの開拓も今後一層推進してゆくべきである。

 「MI-国語ルーブリック」とは異なり、「6Cs-国語ルーブリック」は、全学習者が6つ全てのグローバル・コンピテンシーを、それぞれの発達・学習段階に応じて体得することが望まれる。メンター・コーチとしての教員の側面の真価が問われると言っても過言ではない。

 無論、これらの理論は海外由来のものであるため、日本の国語科の実践への段階では、日本の児童生徒の実態に合わせたすり合わせが必要となる。世界市民として通用するような、確かな言語コンピテンシーの育成と伸長、内政的実践者としての学習者・教師の学びの評価において、こうした理論を既存の枠組みの中に取り込むことは、一概に無謀な試みであると一蹴される対象にはならないように思われる。

結びに  

 以上、これまでの国語科の評価論の課題を足がかりとしつつ、数値化された評価の限界という問題意識から、新たな評価フレームワーク作りの可能性を提案してきた。本稿の案には慎重に吟味すべき余地も多く残されてはいるものの、学習者が国語の学びにより探究的に、楽しく取り組むための実践の一展望を拓くことができたと感じる。今後は現場の実情や学習者の発達段階等も勘案しつつ、さらに実践的に応用できるよう、理論的な考察を深めてゆきたい。

引用・参考文献

 奥泉香「国語科評価論―読解力を中心とする諸外国事例にみる評価と改善の方策―」『日本体育大学大学院教育学研究科紀要』第2巻第2号、2019年、pp.221 - 234

 https://nittaidai.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1539&file_id=40&file_no=1

 木寺 祐貴・水田 遼介・林藤 成美・山元 隆春  「IBDP「言語A : 文学」に関する一考察 ---学習評価を中心に---」『国語教育研究』第60号, 2019年、pp.10-21

https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/4/48786/20200317102014297653/KokugoKyoikuKenkyu_60_10.pdf

 益地憲一「I 国語教育基礎論の成果と展望 4 国語科評価論の成果と展望」全国大学国語教育学会著『国語教育学研究の成果と展望』所収、明治図書出版株式会社、2002年、pp.39-46

マイケル・フラン、ジョアン・クイン、ジョアン・マッキーチェン著、松下佳代監訳・濱田久美子訳『教育のディープラーニング 世界に関わり世界を変える』明石書店、2020年

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