生活のノイズ
2024年で話題にのぼることの多かった『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』。評論は労働史を扱ったものであり、その点でもユニークではあるのだが、「現代人が読書できない最大の要因は、読書がノイズで必要とされないからだ」という結論に、私は最も感心した。それを裏付けるような読書経験が、私の中にも確かに存在する。
今回は、「読書=ノイズ」論を筆頭に、生活におけるノイズを俯瞰し、ノイズとの付き合い方を思索してみたい。
実用書・ビジネス書に”逃げる”人
私は小説だけでなく、実用書・ビジネス書も読むタイプだが、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』では後者の書籍ばかり読むことを「逃げる」と表現する。この気持ちは痛いほどわかる。余裕が無いときほど、手短に知識や情報を得たいと思うものだから。正直思うのは、ある程度の実用書・ビジネス書を読んだら、それ以上掘り下げるのはもはや気休めでしか無いなということ。表現の言い換えに過ぎないものも多く、真新しい情報が少なくなってくる。約1年前からひしひしと感じていたが、今はほぼ確信に変わっており、最近は読むのを止めた。
読書の高次元化
私は以前に「独立系書店の存在意義がわかった日」という記事を書いた。
そこで私は以下のように述べた。
何も独立系書店に限った話ではないと思うが、読書は新たな視点や思考の材料を提供してくれるものである。そのような意味で読書は確かにノイズだと思うのだ。
ノイズとどう付き合っていくか
読書だけに限らず、いろんなものがノイズになるが、とにかく今の世の中は無駄が排除されてしまっている。読書はあくまで一例として、色んなノイズを受け入れられるように、常に日々に余裕を持っていきたいところだ。
私が最近取り入れた、もしくは取り入れたいと思った"ノイズ"は以下の通りだ。いずれも時間的余裕かつ精神的余裕が無ければできないことだ。
このような内容を軸に、最近は「やりたいことリスト」を個人的に作り始めている。せっかくの人生だから、仕事に直結するモノ以外にも幅広く楽しみたい。
終わりに
1年前の自分が note を書いているなんて想像もしなかった。けれど、この偶然こそ人生の本質であり、称賛すべきものだろう。そのノイズをくれたのは、ほかでもない私の妻だ。何事も計画通りでは面白くない。1年後の自分の目標を聞かれたら、「今の自分からは想像できない人間」とでも答えよう。