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基本は、個人から生まれるという素晴らしい言葉 「むしろ、考える家事」より
そこにある言葉が欲しくて、いつも手元に置き、開く本がある。
山崎ナオコーラさんの「むしろ、考える家事」。
ナオコーラさんの視点で家事に切り込むエッセイ本だが、とりわけ料理についての世間の捉え方今昔を書いた「基本の概念」という章は、ことあるごとに何度も読み返す。
「基本は、家族からは生まれない。個人から始まる。」
というこの部分に、励まされたいからだ。
少しばかりその言葉の説明させていただくと、その昔、家庭の料理というものは母親から受け継がれるもの。
そして料理が不得意なまま成長した女性(に限る)は、親の教えを受けなかったダメな子、というレッテルを貼られがちであった。
今は、教えを受けることなく大人になっても、料理の基本や道具、そして少ない材料と、どの家庭にもある基本的な調味料を使い、短時間で作れる料理を、雑誌でもネットでもすぐに見つけることが出来て、いつからでも勉強することが出来る。
しかも専門用語も、今では平易な言葉に言い換えてくれているし、加えて「火加減はこの程度」とか「調味料はこのタイミングで」とちょっとしたコツも画面で披露してくれている親切さ。
「若い頃に学ぶことが出来なかった」といつまでも引きずることなく、男でも女でも、何歳からでも基本から知ることが可能となった。
若かりし頃、私にとって料理作りというのは、超えられそうでうまく飛び越えられないハードルであった。
幼少期家庭にあった料理本は、綺麗ながらも百科事典並みの厚さと重量感。
更に「かつら剥きにします」「面取りをします」など専門用語が満載で、そこをクリアするにはやはり家庭での教え、という助けも必要だったりする。
私同様料理が苦手な実母は、キッチンに立つ際、声を掛けられるのも躊躇われるほど常にいっぱいいっぱい、おかげで彼女から直に教えを貰ったのは、本当に数える程だった。
1人暮らしを始めた大学時代に自炊を開始したが、私の家庭から引き継いだ知識はほんの僅かなもので、時代的にネットも存在せず、現在ほど雑誌で基本や初心者用のレシピを紹介されることもなかった。
家庭科の薄く短い授業で学んだ経験を記憶から引っ張り出しながらも、極狭アパートの極狭キッチンで、ひとり試行錯誤。
カレー・シチュー、中華料理等のレシピは、調味料の箱の裏から教わった。
サラダ作りは感覚的に、そして当時アルバイトしていた学生食堂で少しづつ教わりメニューを広げていった。
「ご飯は女性が用意するもの」という概念も、まだ色濃かった世代だ。
ご多分に漏れず、私も付き合った人に振舞うことも多かったが、味を褒められても、彼らは全員「女性ならこれくらい出来て当然でしょ」というスタンスの上であった。
現在でもその雰囲気は世間で何となく残ってはいるが、それでも昔よりはかなり薄まっていると思う。
やはり誰でも基本から学べる風潮と、誰でもうまく作ることが出来るレシピの台頭のおかげで、男性でも料理に挑戦しやすくなったからだと思う。
検索すると、包丁を使わないレシピなんてものも、たくさん引っ掛かる。
まあ、過去の私もキッチンに立つことでポイント稼ぎをしていたようなもので、彼らと似たような価値観であったけど。
勿論、親から受け継いだ味を守っている、というのも素敵な事ではあるが、うまく引き継げなかったという人もいるのは確かで、それでも自分で勉強し、そこから自分の家庭の味を作る、というのもありだ。
これからも、分かり易くて、誰でも取り掛かりやすい、我が家の味覚にぴったりというレシピが、どんどん生まれてきて欲しいし、じゃんじゃん皆で共有してほしい、と思います。