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【今日コレ受けvol.077】価値観への解像度

朝7時に更新、24時間で消えてしまうショートエッセイ「CORECOLOR編集長 さとゆみの今日もコレカラ」。これを読んで、「朝ドラ受け」のようにそれぞれが自由に書くマガジン【今日コレ受け】に参加しています。


ちょっと落ち込む出来事があり、昨日はnoteを休んでしまった。
仕事の文章はそんなことないのだけれど、ここで書く文章は、感情に引っ張られてしまうからだ。過去のnoteを見返すと、なんとなくそのときの気分が透けて見える。

良い原稿が書けた、と思って調子に乗っていると上すべりしたり。逆に家族や友人の件で悩んでいたり、仕事が詰まっていると、なんとなく影が差す。
キーボードを打つ手と脳はつながっているのだ…とつくづく感じている。

つながると言えば、価値観もだ。
それを特に感じるのは、編集をしている雑誌の仕事。校閲さんが入れてくださった赤字を見たときだ。「“子供に~させる”という表現は、子供の権利の侵害にならないか」「世界の人々が集まるイメージのイラストに、スカートを履いた男性がいないのは、LGBTQの観点から見てどうか?」などの指摘が書かれていたりすると、うわっと思う。

「自分の価値観は時代に即していないのではないか」「ほかにも、無自覚に人を傷つけたり、人権を軽視するような表現をしてはいないか」などと焦り、過去の原稿まで遡って読み返したりしている。


先週の金曜日。
息子が小学校で価値観の話を聞いてきた。
帰宅してすぐに、「AとB。ふたつの国、ふたりの人から見たときに、正しさは全く変わるんだって。戦争も、裁判もだよ」といった内容を興奮気味に話してくれた。

昨日、「何十年もみつからなかった指名手配犯らしき人物が、病を得て本当の名を名乗った」というニュースを見たときも、「この人が本当に悪い人なのかは分からないよね」と言う。そして、「逃げている間、何を考えていたのかな」と思いを馳せていた。

指名手配犯が悪い人ではないのか? 
その是非はおいても、視点を持たせてくれた先生に感謝している。

大人であっても、そういう視点を持てない人もいる。たとえ持っていても、その視点に基づいて行動することが難しくて、すれ違ったり、戦争になったりしているのだから。


息子の変化を見ながら、改めて背筋が伸びた。
気をつけなければ。親として、書くことを生業にする人間のはしくれとして。

言葉への、価値観への解像度を上げていきたい。

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