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春は来る

智は小さなレストランを経営している。

良心的に作る料理は好評で客足は絶えない。

ランチタイムの営業を終えると一服するため、ビルの横にある駐車スペースに停めてある車に乗り込む。

厨房で煙草を吸うわけにいかないからだ。

車に乗りエンジンをかけ、スマホを取り出し小説を朗読してくれるアプリを起動させる。
ブルートゥースで繋がっているので車のスピーカーから程よい音響で聴くことが出来る。

密かな楽しみの時間である。

この時季は寒いのでエアコンのスイッチを入れる。


今日も、そうすべく車に乗り込もうとドアノブに触れたとき、ふと視界に何か小さなものが動く気配を感じた。

「何だろう‥?」

足元には駐車スペースのアスファルトと立ち上がったビルの境目、僅かな隙間に夏は青々とした雑草が今は枯れ果てて藁のように生えている。

智はそこをじっと凝視する。

「バッタ・・・?」

枯れた草むらの中に小さな虫らしきものがいるようだ。

智はしゃがみ込んで、草むらの中を覗き込む。

「やっぱりバッタだ。

生きているのか?」

こんな冬の真っ只中にバッタなど見たことがない。

枯れた草むらを慎重にそっと広げてみると、イナゴのようなバッタが枯草にしがみ付くようにしている。

春のバッタはそっと近づこうとしてもすぐに飛んで逃げてしまう。

「老いたバッタなのか?

それとも、季節を間違えて生まれてきて弱ってるのか?」

などと独り言を言いながら、暫く眺める。

少しだが動いている。

「枯草の中で暖をとっているのか‥

まっ、そっとしておこう」

智は気を取り直して車に乗り込み、いつものように一服した。


翌日、同じ時間に車に乗ろうとして、ふと思い出した。

「そういえば昨日のバッタはどうなったんだろう?

今朝は冷え込みが厳しく
氷点下1度というこの冬一番の寒さだったからなぁ・・・

かわいそうだけど確実に死んでるよな」

などとブツブツ言いながら智は昨日と同じ場所を覗き込む。

「あっ!いる!

生きてたのかぁ・・・」

智はなんだか小さな感動を覚える。

「なんて健気なんだ・・・」

智にはそのバッタが老人に・・・?
いや、労虫に見えていた。

実際、智の知っているバッタは緑色なのだが、目の前にいるバッタは艶もなく枯れ木のような色をしている。

「おじいちゃん、可哀想に寒かっただろう。

ちょつと待てよ、一応調べてみよう」

智は、(越冬するバッタ)と検索してみる。

「あっ、ヒットした。

えーっと、多分これだ。

ツ・チ・イ・ナ・ゴ・・・
ツチイナゴ・・・て言うんだ・・・

成虫のまま越冬する珍しい種類・・・か

別におじいちゃんじゃないんだ。

失礼しました」

などと言いながら小さく笑う。

智はしばらく眺めていたが、おもむろに厨房へ戻った。

そして、胡瓜を薄くスライスしたものとグリーンリーフの切れ端を持って再びバッタの元へ、

「要らないかもしれないけど、ここへ置いておくからな」

と言ってバッタのそばへそっと置いた。


それから毎日、智はバッタの様子を見に行き、通じるはずも無いのに話しかける。


バッタは智を見上げているように見える。


「君はここでじっと春を待ってるんだな」


寒さをひたすら絶えてじっと春を待つ、智は何だか自分の人生と重なるように思えた。


智は若くして独立し、今思えば分不相応な店を持った。

しかし、起業というものは智が考えていたより遥かに厳しいものだった。

わずか半年で店をたたむことになり、後に残ったのは借金だけという悲惨なものだった。

それから、
悟はめげることなく、貴重な経験を糧にして努力し今年の春で10年になる。

ひたすら絶えて頑張って向上心を持ち続け、春は必ず来ると信じてきた。


「バッタくん、一緒に春を迎えような」


この日は、冬とは思えない快晴、微風であった。


文酔人卍

尚、イメージ画像は
50_cozylife 氏の作品を使用させていただきました。
感謝。

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