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本日の「読了」──100均の呪縛

渡辺努『世界インフレの謎』(講談社現代新書 2022)

おっさんのスポンジ脳では答えがおもいつかなかったいろいろなことが氷解した1冊。
 アベノミクス初期に感じたこと、日銀のインフレターゲットがなぜ「2%」だったのか、そして、コロナ禍のアメリカで進むインフレ現象への違和感、さらに、日本でインフレどころか賃金があがらなかった要因の解明──それはとりもなおさず処方箋にも通じる──等々、ワイドショーでは、生産性がぁーとか、ロシアが仕掛けた戦争や、アメリカの対中国政策や中国国内でのゼロコロナ政策によるサプライチェンの崩壊、日本とアメリカの金利差などに原因が求められる現象がそれほど単純なことではないということが見えてくる。

読みながらふと思い浮かんだのが、「100均の罪」だった。
 バブル崩壊後、目新しさもあって流行り始めた頃、知り合いの学者が「100均のつまらないところは100円の物しかないところだ」と、禅問答のようなことを言って、「はぁ?」となったのだが、いまごろ、脳みそのどこからか浮上してきた。
 30年前も居間も100均は100均だが、値上がりしていないかというと、分量が減ったり、100均に合った商品がいつの間にか、その後に現れた300円、500円ショップの定番になっていたりする。
 だが、いつでも100円という点が呪縛なのだ。
 スーパーで100円が200円になったとしても、100均では100円のままなのだ。そのからくりに考えを巡らさずにいたことが、給料もインフレも上がらなかった原因を読み解く本書を読みながら浮かんできた「絵」だった。
 
定常社会も憧れはするが、グローバル化した社会では、現状維持は世界のどこかを搾取することだし、生活はできるが余裕のない世間では、足元の格差の解消もままならぬ。なんともジレンマに満ちた世界だ。
 本書では世界インフレ、なかでも、日本の置かれた特殊な状況への処方箋も指摘されているが、一番大切なのは、金利の上げ下げでも、消費増税や減税でも、ましてや戦費増大ではなく「言葉」なのだと感じた(この点が初期のアベノミクスに感じていたことだ)。
 労働者も企業も、銀行家も高齢者も若年者も、この日本で暮らす人びとの気分を「束ね」て「そそる」言葉だ。所詮それは絵に描いた餅だが、さもすぐそこに見えていることのように魅力的に語ることのできる口をもつ政治家だ。一番必要なのは、眉に唾つけながらもいっしょに踊って「みせる」国民なのかもしれない。
[2023.1.7. ぶんろく]

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