I.Morino
近現代文学・研究・不定期更新・無役文
処方箋 祖母が云うことには、病院のパワーバランスが変わったことで、祖母の心臓の担当医も変わり、その結果として、祖母に処方される薬の内容も変わったしまったということだった。三年前に心筋梗塞を患った祖母は、心臓まわりの血液の循環を良くする薬を処方されていた。そんなことがあっていいのか、と母が訊くと、知らないけど、と肩を竦める。こちらを試すように上目遣いをしながら、でも、その医者はこれでいいってさ、と云う。 効能自体が違うのかと訊くと、そういうわけではないと云う。そうして彼女
猫ばば 白線の内側を自転車で走っていると、前を走る二人の老婦人がにわかにブレーキをかけて止まった。二人は、まあ、とか、わあ、とか云いながら、ハンドルに手をかけ、前方に身を乗り出す。彼女たちの視線の先に何かがあるようだった。彼女たちは一向に動こうとしないので、私は少し脇に寄り、彼女たちが見ているものを視界に入れた。 それは猫だった。おおよそ白い毛並みのなかに、ぽつぽつと黒茶が点在している。猫はこちらに背を向けていて、アスファルトに尻をつけてじっとしていた。 見て、今にす
穴を掘る老婆 車道に面した人通りの多い道に、街路樹がすっぽりと抜けた一角があり、老婆はそこで穴を掘っている。使っているのは小ぶりのシャベルで、華奢な老婆でも足を引っかけ体重をかければ、充分に土のなかに入っていく。老婆は青いラインの瞬足を履いている。今は土埃に塗れてぼやけている。 老婆が穴を掘れば掘るだけ、それだけいらない土が出る。取り出した土はポリ袋に入れられ、少し離れた街路樹の根元に置かれている。ポリ袋の種類は多種多様で、黄色いもの、薄いもの、店名の入ったもの、中が見
左の老婆 いつも擦れ違う老婆がいる。 老婆は歩道を自転車で走りながら、こちらに向かってくる。前籠には何も入っていない。帽子も被らず、白髪交じりの肩までの縮れ毛が、後方にさわさわと靡いている。表情には険しさが見られ、視線はあまり動かない。 擦れ違うそのときになると、老婆はいつも右を指す。ハンドルから手を離し、ひょっと右腕を挙げてみせる。右には横断歩道があって、信号はしばしば青に変わる。青でなければ黙って止まり、青になるのを待っている。 老婆が右に曲がるので、擦れ違うこ