老婆集成〈4〉

処方箋

 祖母が云うことには、病院のパワーバランスが変わったことで、祖母の心臓の担当医も変わり、その結果として、祖母に処方される薬の内容も変わったしまったということだった。三年前に心筋梗塞を患った祖母は、心臓まわりの血液の循環を良くする薬を処方されていた。そんなことがあっていいのか、と母が訊くと、知らないけど、と肩を竦める。こちらを試すように上目遣いをしながら、でも、その医者はこれでいいってさ、と云う。
 効能自体が違うのかと訊くと、そういうわけではないと云う。そうして彼女がマッサージチェアのポケットから取り出したのは、以前に処方されていたという薬だった。後々のために、証拠になるかと残しておいたものらしい。違うのは量なのだ、と祖母は云う。二列縦隊でパッケージされた飲み薬を見てみると、以前の薬には0.125と数字が記されている。対して、新しい薬のほうには0.5と書かれている。0.5を0.125で割るとなんだ、と祖母が云う。小学生の時分に戻ったような気持ちになる。4だね、と私は答える。4の頭はくっつけなさい、と祖母によく云われていたことを思い出す。
 この数字が何を指しているのかは定かでないが、薬の効能に関わる物質の量を指しているのなら、以前と比べて4倍量の薬を祖母は摂取していることになる。不安だわ、と祖母は云い、心臓の辺りをさすってみせる。心なしか、いつもよりどきどきするようだ、と不穏なことまで云い出す始末だ。四つに割って飲めばいいじゃない、と母が暢気なことを云った。飲まないわけもいかないし、と祖母の顔はやはり晴れない。
 医者に相談してみたら、と私が云えば、云ったけど相手にしてもらえないもの、と愚痴り出す。なんだか態度も冷たいし、診察してても目が合わない。それに比べて前任の医者は、とても親身に話を聞くし、感じも良い、顔も良いし、背も高い、と止まらない。寝転んで話を聞いている母は、うんうんと頷いてみせながら、うとうとと目蓋を上げ下げしている。母にとっては実家にあたるので、いつもより気も緩みがちになる。そろそろ面倒になってきた母が、わかった、それはきっと恋の病ね、などとも云い出しかねず、私は傍で気が気でなかった。
 と、それから一年経って、たまたま観ていた夕方のニュースで、私の祖母が走っているのを見た。リポーターの若い女性が祖母にマイクを向け、甲高い声で騒いでいる。70代の女性なのに! フルマラソン完走だなんて! 4時間半を切るなんて!
 祖母が公園のマラソンコースを大勢の若者を引き連れて、ジョギングする映像が流れ始める。学生の頃は陸上競技部に所属していた■■さん、結婚してからはほとんど走っていなかったそうですが、半年前にふと走ってみたところ、自分でも驚くほどの結果が出たということです、とナレーションが入る。今は学生たちと走るのが日課だそう、とも。
 いや、ほんとに驚異的ですよね、と学生A。私もあんなふうに歳を取りたいです、と学生B。まじでめっちゃ励みになります、と学生C。
 気が付くと走っていたんです、と祖母は話す。胸がどきどきして、もうだめだ、と思ったとき、いつのまにか走り出していたんです。それでどうにかこうにかいつのまにか、こうなっていましたね、と学生たちを見渡して、ふたたびカメラのほうを見る。
 まあ、もう少し、こうしていようと思います、と告げた祖母の表情は浮かなかった。今日はカメラがあるから緊張気味ですよ、と学生D。笑う学生たち。
 祖母も笑った。


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