【映画】「ジャンポール・ゴルチエのファッション狂騒劇」感想・レビュー・解説
さて、例によってファッションにもジャンポール・ゴルチエにも特に興味はないのだが、基本的に「変わった人」に関心があるので観てみた。メチャクチャ面白かったわけではなかったけど、なかなか楽しめた。
この映画は、ファッションデザイナーであるジャンポール・ゴルチエが手掛けたミュージカル「ファッション・フリーク・ショー」の開催6ヶ月前からカメラが密着している。彼が普段手掛けるファッションショーとは異なり、歌やらダンスやら、あるいはバックステージの大画面に映し出す映像など様々な演出が施されるショーである。
そして、このショーの準備を追いかけることがそのまま、ジャンポール・ゴルチエの人生を振り返ることにも繋がっていく。何故なら、この「ファッション・フリーク・ショー」は、ゴルチエ自身の人生を幼少期から描き出すような構成になっているからだ。
人形が欲しいと言ったのに「男の子だから」という理由で買ってもらえなかったため、熊のぬいぐるみに女性の胸のようなものをつけたものを作ったこと。学校の授業中に絵を描いていたら先生に怒られ、しかしその絵がきっかけでクラスメートと少し関われるようになったこと。障がいの恋人であるフランシスとの出会いと、彼と出会ったことで「ゴルチエ」というブランドが生まれた経緯。夜遊びはほとんど興味がなかったが、「覗き魔」として人々を観察することに関心があった彼が見ていたSMの時代。そういうものが、ショーの中に組み込まれていく。
実際のショーの映像も断片的に挟み込まれるわけだが、一番面白い演出だと思ったのは、公式HPにも写真が載っている「熊の着ぐるみを着てダンサーが踊る場面」である。これ、普通に着ぐるみを着ているのではない。「ダンサーが観客に背中を向けた状態で、熊の顔が正面に来るように、着ぐるみを背中に着ている」のだ。そしてダンサーたちは最初、後ろ向きに(つまり、熊の着ぐるみが見えるように)踊り、その後ダンサー自身が正面を向き、「熊系」(ひげを生やしたトランスジェンダーの男性をこう呼ぶそうだ)として再び踊るのである。なかなか面白い演出だった。
ダンスの振り付けを任されたのは、マリオン・モーティンという女性だったが、彼女はこの仕事にかなり戸惑っている様子が描かれていた。いくつか理由はあるが、そもそも「衣装の制約がある中で踊らせる」という経験がなかった。普段マリオンは、「ダンサーの自然な身体をいかに動かすか」を考えているのだが、このショーでは、衣装がすべてに優先され、その制約の中で構成を考えなければならないのだ。
さらに難しいのは、その衣装が直前ショー直前まで完成しないこと。もちろん、大体のイメージはあるだろうが、完成しなければ実際に着て練習することが出来ない。ダンサーたちは最終的に、高いヒールのある靴を履いて踊ることになるのだが、その靴が出来上がったのはショーの1週間前のことだった。ダンサーの中には、ヒールのある靴で練習し怪我をした者もいた。
さて、そんな服を作る側ももちろん大変だ。
ジャンポール・ゴルチエは、デザイン画を描くだけで、実際に服を作ることはしない。この点は、以前ドキュメンタリー映画で観たマルタン・マルジェラとは違うと感じた。どっちの方が一般的なのか、僕には良く分からないが、とにかくゴルチエには、彼のデザインを具現化してくれる人物がいる。
それが、ミレイユ・シモンである。撮影当時、70歳だった。2011年に引退したのだが、ゴルチエに声を掛けられて6年ぶりに服飾の世界に復帰したという。彼女は、「私はゴルチエの仕事しかしない」と言っていた。やはり、その想像力が魅力的なのだろう。「彼が付けろというなら何でも付ける」と、自身の作家性みたいなものは一切無視し、「ジャンポール・ゴルチエのイメージをいかに具現化するか」に特化しているようだ。
彼女は昔からゴルチエと仕事をしているため、普通なら疑問を感じるような指示にも困惑することはないのだが(困惑していたら彼との仕事なんか出来ないと言っていた)、今回のショーでは、今までとは違う難しさがあったようだ。
それが、服の耐久性である。
今回のショーでは、ダンサーたちが大きく身体を動かす。普段のファッションショーではあり得ない動きもするため、とにかく「服の耐久性」を重視して作っていったそうだ。しかしそれでも、練習の最中に服はどんどん壊れていく。彼女は、「ショーの間、服が保ってくれることを祈る」と口にしていた。
さて、そんな苦労の果てにショーが作り上げられるわけだが、その企画・脚本・演出を担うジャンポール・ゴルチエは、なかなか興味深い人物だった。彼はとにかく、「個性の強い人物」を出演者に求めたそうだ。彼はショーの出演者を「フリーク」と呼ぶ。「フリーク」とは「怪物」という意味だそうだ。彼自身、他の人から見たら「フリーク」だろうと考えている。
ジャンポール・ゴルチエの根底にあるのは、「『違い』こそが特別だ」という感覚である。彼は、それがどんな「違い」であれ好ましいと感じるのだと思うが、その中でも「目に見える違いや障害のある人」が好きだという。こういう感覚は僕も結構理解できる。僕はむしろ「目に見えない違い」の方に惹かれるが、とにかく「違うこと」は素晴らしい。彼は自分で、「私は、他とは違うことをする唯一のパリジャン、唯一のフランス人」だと言っていた。
一方で彼は、別の関心についても触れていた。それが「美しさ」である。彼は同性愛者であり、生涯の恋人フランシスも男性なのだが、女性か男性かに拘らず、そこに「美しさ」を見出すと言っていた。「私を突き動かすのは、欲望ではなく美しさだ」とも語っている。実際に彼は、夜遊びもせず、大酒も飲まず、ドラッグの何がいいのか分からなかったと言っているので、そういう方面の「欲望」は彼を突き動かさないのだろう。また映画にはマドンナも出てくるのだが、彼女の内にあるものはゴルチエのそれとかなり響き合うようで、自ら「あなたの服をデザインしたい」と申し出たという。つまり、「美しさ」を見出すことが、彼の想像力の源泉にもなっているというわけだ。
彼は、
『この仕事がなければ、私は何者でもなかった』
と語っている。しかし、実に興味深いことに、こうも語っていた。
『私はファッションから距離を置いている。お互いにそうだろう。
業界の一員ではあるが、その中にはいない。良い面だけを享受してきたと言えるだろう』
僕のような人間からすれば、ファッションデザイナーの世界は「異端児」ばかりであり、だからゴルチエはその中では馴染めていたのではないかと勝手に思っていたのだが、そういうわけでもようだ。ファッション業界の中でもかなり異端ということなのだろう。
映画のラストで、たぶんこのショーの監督を務めた人物だと思うのだが、
『今の時代、こういうリスクを取る人物は少ない。参加したことを誇りに思う』
みたいに語っていた。確かに、ジャンポール・ゴルチエというのは、ファッションの世界で名を成している人物のはずで、だからこそ、ミュージカルを演出するなんて「リスク」を取る必要はないとも言える。そんな人物が、実に楽しそうにショーの準備をしているのが印象的だった。
僕はファッションのことはまったくわからないし興味のないので、ジャンポール・ゴルチエという人物に才能があるのか無いのか僕自身では判断できないのだけど、彼の周りにいる人たちが彼の創造性を絶賛していたので、やはり凄いのだろうと思う。いつも思うけど、僕もそういう創造性に溢れる人物でありたかったなと思う。大変そうだけど。
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