【映画】「ふれる。」感想・レビュー・解説
やはりこれは観ておくべきかと思い、公開からしばらく経ったが観に行ってきた。とりあえず僕の遍歴を書いておくと、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』と『空の青さを知る人よ』は観ていない。そして、『心が叫びたがってるんだ。』は、乃木坂46が主題歌を担当していたというだけの理由で観に行った。ただ、『心が叫びたがってるんだ。』はメチャクチャ良くて、映画館で2回観た記憶がある。
さて、本作については割と早い段階で、「一体この物語をどう閉じるんだ?」と感じていた。どう考えても、閉じ方がメチャクチャ難しい映画だと思ったからだ。物語の終わらせ方次第で良し悪しが決まるだろうなぁ、と思いながら観ていた。
で、僕の感覚では、「閉じ方」には成功しなかったように思う。その理由は、「『ふれる』に関する制約条件が狭まらなかったから」である。
「ふれる」とは作中に登場するハリネズミのような生物である。そしてこの生物が、主人公3人の関係性に重要な役割を果たすわけだが、この「ふれる」はとても謎の存在である。3人はある島の出身で、その島には昔から「ふれる」の話が伝わっていた。絵本にもなっていたぐらいだ。島では「神様」みたいな扱いになっていて、もちろん誰もその存在を観たことはない。
のだが、主人公の1人がそんな「ふれる」を見つけてしまうところから物語が始まっていくのである。
さて、この「ふれる」、最初は当然「謎の存在」のままでいいと思うのだけど、その後もずっと謎の存在のままであり続ける。まあ、映画を観ていれば、「『ふれる』の正体を暴く物語」ではないことはすぐに分かるはずなので、謎の存在であること自体は別に問題ではない。
ただ問題は、「そのままだと、『ふれる』に関しては何でもアリになってしまう」という点にある。
「開けてはいけない玉手箱を開ける」とか、「覗いてはいけない鶴の機織りを見てしまう」など、物語には概ね「何らかの制約条件」があり、「その制約条件に対してどういう対応をするか」みたいなところで展開することが多いように思う。そういう物語にすることで、「制約条件があるのに破ってしまった」とか、「これだけの制約条件の中で、そんな僅かな隙間を見出したのか」など、物語を色んな方向に展開できたり、着地させたり出来ると思う。
というか、そういう「制約条件」がなければ「何でもアリ」になってしまう。
僕らが生きている日常生活を舞台にするのであれば、「法律」や「倫理・マナー」、「職種ごとのルール」「世間一般の『家族』に対する認識」などが自ずと「制約条件」として課されることになるので、わざわざ物語の中でそれを明示する必要はないのだが、本作『ふれる。』は違う。本作には「ふれる」という、日常生活の常識からは超越した存在が出てくるわけだから、きちんと明示しなければ「制約条件」は受け手には伝わらないことになる。
そして、それをしなかった物語は、「『ふれる』に関しては、何でも起こり得るし、どんな状況にもなり得る」という捉えられ方になってしまうはずだ。少なくとも、僕はそんな風に受け取った。となれば、「どんな展開になったとしても、そこには意外性は生まれない」になるし、「なるほど、そういう着地を選んだのね」で終わってしまうだろう。
個人的には、この点が少しもったいないような気がした。「ふれる」に関する制約条件を描くのは難しかったとは思うが、何かやりようはあるんじゃないかと思う。個人的にはそういう物語の方が良かったなと思う。
というか、違うな。若干ネタバレになってしまうかもしれないが、僕がこんなことを書くのは、「物語のラストで『ふれる』がメチャクチャ関わってくるから」である。別に、そうしなくても良かった。「ふれる」はあくまでも「触媒」的存在のままあり続け、主人公3人の関係性だけを描いて終わる、みたいなことも出来たような気がする。もしそういう展開を選ぶなら、「『ふれる』に関する制約条件」は不要だろう。あくまでも僕は、「物語のラストで『ふれる』がメチャクチャ関わってくる」という本作の構成に対して、「『ふれる』に関する制約条件があった方が良かった」と感じているだけである。
そんなわけで、物語の後半からラストに掛けての展開は、あまり好きじゃなかったなぁ。
その代わりと言っては何だが、物語の前半はとても良かった。「幼馴染3人で住んでいるところに、見知らぬ女子2人が転がり込んでくる」というのは正直、ちょっと無理のある設定に思えるのだが、アニメだという部分もプラスに働いているだろう、そう強い違和感をもたらすものではなかったと思う。
そしてこの5人(3人+2人)の関係性は、とても良かった。
「ふれる」という謎の生物には不思議な力がある。仕組みこそよく分からない(最後で何となく分かる)が、「『ふれる』の力によって、秋・諒・優太の幼馴染3人は、互いの身体に触れるだけで相手が考えていることが理解できる」という状態にあるのだ。例えば、割と最初の方の場面で出てくるが、引っ越しを終えた彼らが、さすがに腹が減ったから飯にしようという話をする。しかし、みんな疲れていて何を食べたいのかも分からない状態。そこで彼らは手を触れ合わせ、互いに思考を読み取る。そんな風にして、「島の学童で食べた味噌シチュー」という意見で一致するのである。こういう意思疎通を、会話を交わすことなく行える状態に、この3人はいるというわけだ。
主人公の1人の秋は、家庭環境が大変だったこともあり、「喋ることを諦めてしまった子ども」だった。それ故、同級生たちと何かあっても言葉を発することなく、先に手が出てしまうような状態だったのである。だから「ふれる」の存在が重要だった。「ふれる」のお陰で、性格の趣味も全然違う彼らは仲良くなり、高校卒業後は3人で島を出て、東京で共同生活をするまでになったのである。
彼らは、お互いの気持ちが読み取れてしまうこともあり、揉め事もなく仲良く暮らしている。「気持ちが読み取れる」ということは、「悪口や悪感情」まで見えてしまうことになるはずだが、この3人は皆気持ちの良い人間のようで、そういう感情が伝わってこない。そんな素晴らしい関係性に、3人は出会えたのだ。
しかし、バーでアルバイトをしている秋が、ひょんなことからひったくり犯を捕まえたことから少しずつ変化が訪れる。バッグを取られた女性とその友人が、なんと3人が住む家に転がり込んでくることになったのだ。2人は「ふれる」の存在も特に違和感なく受け入れ、奇妙な共同生活がスタートするが……。
先程も書いたが、前半の物語は、「設定や展開のリアリティ」という意味では薄い。さすがにこんなことは起こらないだろう、というような展開なのだが、とはいえそこは「アニメ」なのでそう違和感はない。冒頭から「ふれる」なんて謎の生物が出てくることに比べたら、大した違和感ではないだろう。そしてその中で、五者五様といった雰囲気の5人が、それぞれの世界を、3人あるいは2人の世界を、そして5人の世界を生きていく様子が映し出されていく。設定や展開はともかく、この5人の関係性は個人的には結構素敵に感じられた。
ただ、そんな5人にいざこざが生まれる、みたいなところから、ちょっとずつ「うーん」という感覚が強くなっていった気がする。「ふれる」なんて生き物が出てくる以上、テーマは「伝えること」みたいな感じでいいと思うのだけど、それが強く意識されすぎているというか、もう少しそこから離れても(あるいは、もう少し「ふれる」を絡めても)良かったような気がする。
さて、個人的には「『ふれる』なんて生き物は要らないなぁ」と感じた。まあ、僕のこの感覚自体は作品の評価とは関係ないのだけど。ある人物がある場面で、「分からないからこそ想像して関係を築いていくのが人間だよね」みたいなことを言うのだが、まあホントその通りだなと思う。ただ、「ふれる」に幼い頃に出会ってしまったら、この3人のような関係になるのもまた自然という感じがする。コミュニケーションはやはり、子ども時代に学んだことが大人になっても残るだろうから、3人が「『ふれる』を介したコミュニケーション」に浸かっていたとすれば、それが当たり前になるのも分からなくはない。特に「喋ることに負担を感じていた秋」にとってはとても重要な要素だっただろうし、「ふれる」がいたからこそ前進出来たという側面もあるだろう。
「ふれる」は非現実的な存在だが、「他人の考えていることを理解する」的な方向の研究は既に結構進んでいる。例えば、ちゃんとは覚えていないが、「AIに脳波を学習させることで、『被験者が今何を見ているか』を高い確率で推測できる」なんて研究が進んでいるはずだ。この研究が進めば、「脳波を解析することで、他人の見ていること、思い浮かべていること、感じていることが分かる」なんて未来が来てもおかしくはないと思う。
そして、「デジタルネイティブ」と呼ばれる、デジタルデバイスが生まれた時から当たり前に存在した世代とそうでない世代とでは価値観が全然異なるように、「脳波で思考が読み取れる」のが当たり前の世の中に生まれれば、全然違う感覚になるだろう。それこそ、本作『ふれる。』で描かれている3人のようなスタイルが当たり前になってもおかしくはない。
そこまで考えるなら、本作が提示する物語は決して「絵空事」ではなく、「人類がいつか突きつけられる問い」と言えるかもしれない。スマートフォンが世界に広まって久しいが、ようやく「スマホによる悪影響」が広く語られるようになってきた。同じように、「脳波から思考が読み取れるデバイス」はきっと、人類にまた予期せぬ影響をもたらすことだろう。
なんてことは、本作『ふれる。』とは全然関係ないのだが、「相手の考えていることが分かると便利だし楽だよね」なんて話では済まないことは容易に想像が出来るし、そんな可能性の一端を本作が垣間見せてくれたと言えるかもしれない。
そんな感じかなぁ。正直、思っていたほどではなかった、という感じである。ただ、「常に過去作と比較される」というのも大変な創作環境だろうし、今後も頑張ってほしいと思う。
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