【映画】「SONG OF EARTH/ソング・オブ・アース」感想・レビュー・解説

凄く良かったかというと、そんなことはないのだが(私はこういう淡々とした映像を観ると、どうしても眠気に襲われてしまう)、やはり「映像の圧力」みたいなものが圧倒的だった。雄大・壮大・荘厳、なんと呼んでもいいが、「オルデダーレン」と呼ばれる、世界有数だというフィヨルドの大地の自然が「凄まじい」という感覚をもたらすほどの存在感があり、そして、そこに住む84歳75歳の夫婦の日常もまた、穏やかで力強く、惚れ惚れするような雰囲気があった。

ただ、「壮大な自然を映し出すドキュメンタリー映画」というのは、まあ存在するだろう。自然そのものがメインだったり、あるいはそんな自然に立ち向かう冒険家を映し出すものだったりと種類は色々だろうが、「壮大な自然」という点だけを抜き出すなら、そう特筆すべき点はないだろう。

しかし本作には、この監督にしか撮れない「特異さ」が含まれている。なんとこのフィヨルドの大地は、監督の「故郷」だというのだ。映し出される老夫婦は彼女の両親であり、監督は「壮大な自然をバックに、両親にカメラを向けている」のである。これは、狙って手に入れられるような属性ではないし、この監督ならではの作品と言えるだろう。

監督は作中で、「家を出て30年」と言っていた。それからずっと、夫婦2人で、この「最果ての地」のような場所で暮らしてきたというわけだ。そして、恐らくそれまでもちょくちょく戻っては来ていただろうが、娘が30年ぶりに「実家」へと戻ってきた。娘は両親に「あなたたちのことをもっと知りたい」と、撮影を頼んだそうだ。すると、84歳の父親は、「1年は必要だろうね。そうすれば分かる」と言ったという。

そんなわけで本作は、1年を通した壮大な自然の変化を追う作品に仕上がっている。

84歳の父親は、凄まじく健脚である。彼は、若い人だって上るのに苦労するんじゃないかと思うような岩だらけの斜面や雪道などもすいすい歩いていく。妻は9歳年下なので、普通にしていたら妻の方が歩くのが早くなる。だから父親は、妻といつまでも一緒に歩けるように、鍛錬として毎日歩いているのだそうだ。この夫婦、キャンプファイヤーのような焚き火の傍で音楽に乗せて踊るなど、実に仲がいい。

父親を映し出すカメラは基本的に、ずっとどこかを歩く姿を追っている。父親は、自分でも言っていたが、「立ち止まっていられない」ようだ。歩いているのは「CGみたい」「オンラインゲームの舞台みたい」な、ちょっと現実感を失わせる自然で、そんなところを老人が黙々と歩いている様もまた、現実感が薄い。圧倒的な自然の圧力に押されっぱなしなわけだが、しかしどことなく「変な冗談」を見させられているような気分にもなる。

そして父親は時々、この地でのこれまでの暮らしについてポツリポツリと語る。そのどれもが、50年、100年以上前の話だ。雪崩が起きて親戚の多くが命を落とした、祖父が早くに亡くなったため、父親は11歳で牧場を継がなければならなかった、などなど、厳しい環境の中でどうにか生きてきた、先祖を含めた来歴について語る。雄大な自然をバックに、悠々自適と言っていいだろう日々を送る老人の口から語られる話としてはなかなか違和感がある。しかしその違和感が、「自然は美しいだけではない」という感覚を際立たせてもいるわけで、「視覚情報」との乖離にも意味があるように感じられた。

さてしかし、94分の上映中、「人間が映るシーン」は、僕の体感では3~4割といったところではないかと思う。そして残りは、「ドローンか何かで撮影した雄大な自然」である。繰り返しになるが、この自然が本当に「リアルに存在するとは思えないもの」で、その上でさらに「ここに人が住んでいる」という事実を重ね合わせることで、余計に現実感が失われる感じがある。

自然は、空・雲・川・滝・草原・雪原・凍った海・オーロラなど様々なものが映し出されるのだが、個人的に一番驚いたのは氷河だ。正確に言えば、「画面に氷河が映し出される際の音」である。「ギゴゴゴゴ」みたいな、何がどうなって発されているのか分からない音が、氷河が映るシーンには必ず聞こえた感じがある。それ以外の音は、「自然の音」と聞いてイメージできるものばかりだったが、この氷河だけは、自分の脳内にストックがない音で、その奇妙さにも惹きつけられた。

しかし、「ソング・オブ・アース」というタイトルは絶妙だなと思う。確かに本作は、映像にも圧倒されるが、自然が鳴らす音にも惹きつけられる。その音には「静寂」も含まれる。僕らはもう、「本当の静寂」みたいなものを体験することはなかなか出来ないが、オルデダーレンでの生活では、それが「聴こえる」と言っていいだろう。

本作を観ながら、映画『人生フルーツ』のことを連想したが、鑑賞後に公式HPを観ると、やはりその映画に言及されていた。スケールこそまったく違うものの、『人生フルーツ』で映し出される夫婦と本作の夫婦は、近いものが感じられる。「自然の中に生きる」というよりはむしろ、「自分は一個の自然である」みたいな感覚をまとって生活している雰囲気があるし、その考え方が夫婦で共有されているからこその「穏やかな生活」なのだろう。

さて、作品としては「ここでの生活を娘がどう感じているのか」という話が含まれていなくて正解だと思うが、個人的な興味として、彼女がどのように考えているのかは気になる。彼女は作中で、「今でもここが私の家よ」と言っていたが、果たして、両親のような生活をしたいと思っているだろうか。

僕はどうかと言うと、「60歳を超えたらこういう生活もいいだろうな」という気持ちもありつつ、それはやはり机上の空論で、僕にはきっとこんな生活は出来ないだろうなとも思う。憧れがないわけではないが、やはり僕は都会で雑音に塗れて生きていこう。

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