【映画】「BLUE GIANT」感想・レビュー・解説

凄い映画だったなぁ。正直僕は普段「音楽」にあまり反応出来ない人間なのだけど、本作の演奏シーンは圧巻だったなと思う。ちょっとビックリした。そりゃあ、凄い人が演奏してるんだろうけど、ジャズとか全然分からないド素人でも「うぉっ」ってなるような演奏で、ちょっと驚いた。ちなみに、TOHOシネマズの「轟音シアター」というやつで本作を観たので、音響的には一層良かったの、だろう。音楽のことはよく分からないので、自分の感覚で良し悪しを判断出来ないのだが。

しかし、こういう「音楽とアニメを融合させた作品」を観る度に、「どうやって作ってるんだろう」と思う。「演奏してから、その音に絵を合わせている」のか、あるいは「絵が先にあって、それに演奏を合わせている」のか。どちらの世界にも詳しくない僕には、どっちだとしても「超絶技巧」に感じられる。そんなこと、出来るもんなんだろうか?まあ、やってるから出来ていると認めるしかないのいだけど。

ストーリーは、まあすこぶるシンプルで、だから、本作がマンガ原作であることに驚かされる。アニメの場合は「音」があるから、演奏で魅了することは出来るが、マンガに「音」は無い。当然、「マンガが評価されたからアニメ映画化された」わけで、マンガもいいんだとは思うけど(原作未読)、こんなにシンプルなストーリーでどうやって読ませる展開を作っているんだろうと思う。あるいは、原作と映画は大分内容が違うんだろうか?

全体的には「シンプルなスポ根マンガ」みたいなストーリーを連想してもらえばいいだろう。独学でサックスを吹き始めた青年が、サックスに触れてから3年で上京、たまたま凄いジャズピアニストに出会い仲間になり、紆余曲折・困難を乗り越えながら、「不可能」とも思える目標に向かって突き進んでいく、みたいな話だ。「高校球児が甲子園を目指すみたいな話」だと思えばいいだろう。

だから、ストーリーの大枠的には正直、どうということもない。「きっとこういう展開になるんだろうなぁ」という展開が続く、実に分かりやすい物語である。

別にそれが悪いわけではない。僕は以前も、映画『グランツーリスモ』で同じことを感じた。先の展開がすべて予測出来るシンプル過ぎる物語だったが、実に面白かった。映画『グランツーリスモ』は「実話がベースになっているという事実」と「カーレースシーンの臨場感」によって作品が成り立っていたが、本作は正直「圧巻の演奏シーン」のみによって物語が成り立っていると言っていいだろう。

ただ、やはり「シンプルな物語」というのは強いわけで、泣きそうになる場面もあった。「そりゃあ、そういう展開になったら感動するに決まってるじゃん」みたいな感じであり、そういう「王道的物語」であることも、広く支持を集めている理由かなと思う。やっぱり、「スポ根」は王道が強い。

さて、本作はもちろん「演奏そのもの」が凄かったのだが、「演奏シーンの演出」も凄かった。視覚的に、「こいつらは、今凄い演奏をしているんだ」ということが伝わってくるような演出がなされていたのだ。途中、「ブラックホールの中で演奏している」みたいなシーンがあって、「ぶっ飛んだ描写をするなぁ」と思っていたのだが、実はそう突拍子もないことでもないようだ。

というのも、「BLUE GIANT」というのは元々、「熱すぎて青く光っている天体」のことを指す言葉だからだ(作中である人物がそう話していた)。調べてみると「青色巨星」のことを英語で「blue giant」と呼ぶそうだ。そんなところからの連想で、ブラックホールも出てきたのだろう。

というわけで、熱気・熱量・エネルギー・活気・パッション、なんと呼んでもいいが、そういったものを視覚的に表現し、まるで彼らのいる空間がそういう熱気に呑み込まれているような情熱的な雰囲気を醸し出している。

公式HPによると、本作は全体の1/4がライブシーンであるらしい。ライブシーンは基本的にセリフはなく(観客の歓声ぐらいか)、「楽器の演奏」と「パッションを視覚化した映像」のみだ。全体の1/4がライブシーンということは30分ライブシーンがあるわけで、これを飽きさせずに「聞かせて観せる」のは、普通はなかなか難しいだろう。

ただ本作は、そんなかなりの難題をクリアしている。「音」と「パッションの映像」だけで、全体の1/4、30分間を成立させているのだ。凄いものだと思う。

さて、物語的に好きなポイントは、メインのある人物がメンタルをボキボキに折られてからの展開である。これは、楽器演奏に限らず、創作者・アーティスト全般に関係する話だろうし、身につまされる人も多いのではないかと思う。

少し違う話だが、以前読んだ小説『羊と鋼の森』で描かれていた話を思い出した。ピアノの調律師を主人公にした話で、ピアノの調律に魅せられてしまった主人公が、音楽経験もないのに調律師を目指す物語である。

その過程で、「凄腕の調律師が所属する会社」で働けることになったのだが、そこで「調律」の難しさを知る。技術的なことではない。「どこまで調律すべきか」という、調整の話だ。

これを作中では、「50ccのバイクとハーレー」に喩えて説明していた。先輩調律師の1人は、「ピアノを弾く技量が足りない人には、その人の技量にあった調律をしてあげるのが正しい。50ccのバイクにしか乗れない人をハーレーに乗せるのは間違っている」みたいな考えを持っていた。しかし主人公は、「それは確かにそうかもしれないが、でも、ピアノを最高の状態に持っていって、最高の音を出せる可能性を引き出す方が、ピアノにとっても奏者にとっても良いのではないか」と葛藤するのである。

この話、本作『BLUE GIANT』とは全然関係ないのだが、しかし、なんとなく方向性は近いと言えるのではないかと思う。本作では要するに、「サックスを吹く宮本大の演奏スタイル」と「ピアノを弾く沢辺雪折の演奏スタイル」が対比されることになるわけだが、どちらの主張も分からないでもない。ただ結局、「ジャズという枠組みにおける正解」はやはり存在するようで、それに気付かされた人物が少しずつ変わっていく過程も、また見どころと言っていいだろう。

あと、ドラムを叩く玉田俊二もいいよなぁ。正直、「あんな短期間であんな感じになるのか?」というのはよく分からないのだけど、「すべてを振りほどいて努力している様」は作中で描かれるので、納得感はある(ドラム経験者にどう見えるかは分からないが)。

個人的には、彼がある場面で口にした、「お前らには目標があるんだろうけど、俺はただ、お前らと一緒にやりたいだけなんだ」というセリフが良かったなと思う。そう、宮本大にも沢辺雪折にも、それぞれ成し遂げたい目標があるわけだが、玉田俊二だけは「この2人とジャズをやりたい!」という想いだけで、死ぬような練習を積んできたのである。だから、作中では最後に描かれるライブで、玉田が一番涙を流していた理由もよく分かるし、また、音楽に馴染みのない僕のような人間は、割と玉田視点から宮本・沢辺を見るようなスタンスもあったりして、そういう意味でも大事な存在だなと感じた。

それにしても、主要3役を演じていたのが、山田裕貴・間宮祥太朗・岡山天音だったとは。普通に本職の声優の人だと思ってた。あと、山田裕貴のキャラクター的にも、宮本大役ってのはピッタリだなと思う。

というわけで、凄く良い映画を観たなぁという気分になれた。どうして今日1日だけ上映していたのかよく分からないが(調べたら、Blu-rayとDVDの発売記念だそうだ。と思ったのだけど、それは去年の話だった)、観に行って良かった。日曜日に念の為座席をチェックしたら埋まりかけていたので、先にチケットを取っておいたのだけど、正解だった。座席はほぼ埋まっていたからだ。「轟音シアターでの鑑賞」というのも、大きかったのだろう。確かにこれは、映画館で観るべき映画だろうなぁ。

素晴らしい作品でした。

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長江貴士
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