【映画】「ヒットマン」感想・レビュー・解説
これは、とにかく設定がメチャクチャ面白かったなぁ。しかも、冒頭で「やや実話」と表記された通り、本作は実在の人物をモデルにしている。どの程度事実に基づいているのかわからないが、主人公ゲイリー・ジョンソンの設定については大雑把には事実だろう。
というわけで、まずはそんな主人公の設定を含めた内容紹介をざっとしておこう。
ニューオーリンズ大学で心理学と哲学の講師として働くゲイリー・ジョンソンは、趣味の電子工学の知識を活かして、盗聴・盗撮などで警察に協力をしていた。彼が関わっていたのは、ジャスパーという刑事が「ニセの殺し屋」に扮し、「誰々を殺してくれ」と言ってきた依頼人を逮捕するという「おとり捜査」だった。
しかしある日、そのジャスパーのある問題行動が市民を刺激し、そのため彼は120日間の停職を命じられてしまった。困ったのは、おとり捜査のために準備していたゲイリーらである。ジャスパーは来ないが、既に依頼人との待ち合わせは済ませており、誰かが「ニセの殺し屋」として依頼人と会わなければならない。
というわけで、何故かゲイリーに白羽の矢が立った。彼はジャスパーのこれまでの活動を見ていたため、大雑把な流れや、どんな言質を引き出すべきかは分かっていたが、もちろん演技などしたことがない。やれるか不安だったが、しかし、ワゴンの中で盗聴している仲間2人が絶賛するほどの演技力を見せ、見事「ニセの殺し屋」という大役を全うすることができた。
さて、本職であるジャスパーは120日間の停職中である。となれば、ゲイリーが「ニセの殺し屋」として駆り出されるのは自然な流れである。彼は良い関係を保っている元妻との会話で「他人と普通の関係を築けない」と口にしているが、しかし、心理学や哲学を教えていることもあり、「人間の心理」には興味を抱いている。初対面の人間に殺しを依頼すること、大した金額ではないお金を払って相手が人殺しをしてくれると信じていること、そういう依頼人の心理が気になって、「ニセの殺し屋」稼業を続けることになった。
ゲイリーは次第に、変装などもするようになる。SNSなどもチェックし、「相手が望む殺し屋」を演じることで、より完璧に「有罪の証拠」を得ようというわけだ。彼は様々なタイプの人物になりきり、依頼人から言質を取り、彼らを裁判所送りにしていった。
さて、それもいつもの依頼の1つに過ぎなかった。マディソンという、金持ちだが支配的な夫との生活にうんざりしている女性の話を聞いていたのだが、ゲイリーは彼女の境遇に同情してしまった。マディソンの金を受け取れば、彼女は逮捕される。だからゲイリー(マディソンに対しては『ロン』と名乗っていたが)は、「自分の仕事が無くなるだけだから得は何もないが」と言い訳しつつ、「この金で家を出ろ。新しい人生を始めるんだ」と言い、彼女を見逃してしまった。
その後マディソンからロンに連絡が来て、会うことに。そんな風にしてなんと、「相手を『殺し屋』だと信じている、夫を殺そうとした女性」と「相手に『殺し屋』だと信じさせたままの大学講師」が付き合うことになり……。
というような話です。
さて、公式HPによると、本物のゲイリー・ジョンソンは「地方検事局で働きながら、講師として地元のコミュニティカレッジで心理学などを教えていた」そうなので、この部分でも設定が異なっている。だから、映画で描かれている物語のどこまでが事実なのか分からないが、少なくとも「おとり捜査によって70人以上を逮捕に導いた」ということだけは事実なようだ。
本作は、完全なフィクションだとしたら信じてもらえないような設定だろう。なにせ、刑事ではない者が「ニセの殺し屋」に扮しておとり捜査に関わっていたというのだからだ。本物のゲイリー・ジョンソンがどうしてそんな役回りを担うことになったのか不明だが(これも、本作で描かれている通りかは分からない)、普通ならそんなこと考えないし実現しないしあり得ないと思うだろう。そういう意味では、本作で描かれていた「盗聴担当だったけど、『ニセの殺し屋』役が来れなくなったから仕方なく」という展開は、納得感のある描写だったなと思う。確かに、そういうことならそんな展開にもなりそうだ。
しかしそもそもだけど、アメリカの法律で一体「何罪」として裁かれるのか分からないが、「殺しを依頼した」という事実は「殺人」や「殺人未遂」として裁かれるのか? あるいは、何か特別な罪名があるのか。銃社会かどうかという違いもあるだろうけど、恐らく法律的にも日本では成立しなそうだなと思う。
ただ個人的には、このやり方は良いよなぁと思う。「犯罪」というのは概ね「犯罪行為が行われた後」にしか対処できないわけだが、この「おとり捜査」の場合は、凶悪犯罪を扱っているのに「被害者ゼロ」なわけで、とても素晴らしいと思う。日本でもやればいいと思うんだけど、日本の場合「殺し屋」という存在がどの程度リアリティのあるものとして受け取られるか次第だろうなぁ。
さて、話を戻そう。本作は「やや実話」という通り、後半からどんどん「実話なはずがない」という展開になっていく。「見逃した依頼人と恋仲になる」というのも、僕はフィクションだと思っているのだが、仮にこれが本当だとしても、その後の展開はさすがにフィクションである。映画のラストでも、「◯◯はフィクション」(◯◯は僕が伏せた)と表記される。まあ、当たり前だが。
後半の展開については、「ゲイリー・ジョンソンが追い詰められていく」とだけ書いておくことにするが、この窮地をいかに切り抜けるか、というのが物語の焦点になっていく。そしてそれは、概ね面白い。ただ、最後の最後だけ、「それでいいのか?」という感じもしなくはない。この点は、かなり賛否が分かれるだろうなと思う。確かに「物語にもう一捻り」という感じで付け加えられたのだろうけど、あまり良い案ではなかったように思う。いや、「舞台裏を見に来た」みたいなセリフは凄く良かったし、あの展開そのものは良かったと思うのだけど、やっぱり着地がね。どうなんだろうなぁ。
ただまあ、全体的にはポップでユーモラスに展開されるので、あの展開もまあまあ許容されるかなって感じもある。これがもうちょっとシリアス寄りの雰囲気だったら無理だっただろうなぁ。
あと、本作にはちょいちょい「ゲイリーがニューオーリンズ大学で講義をしている様子」が映るのだけど、そこで語られる話が作品全体のテーマと絡んでいる感じもあってなかなか面白い。色んな話をしているのだが、「自分とは何か?」「現実とは何か?」みたいな内容のものが多く、彼が学生に投げかける問いは、「『ニセの殺し屋』を演じている自分自身」に向けているものでもあるみたいな雰囲気がある。そういう雰囲気もなかなか面白いと思う。
ちなみに、主人公ゲイリー・ジョンソンを演じたグレン・パウエルは、主演だけではなく脚本・プロデューサーも務めているそうだ。まったく多才なことで。
というわけで、エンタメとしてなかなか面白い作品だった。
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