【映画】「ナチスに仕掛けたチェスゲーム」感想・レビュー・解説
つまらなかったというわけではないが、メチャクチャ面白いわけでもない、という感じの作品だった。
そもそもだが、『ナチスに仕掛けたチェスゲーム』というタイトルからなんとなくイメージしていた作品と全然違った。まあ、イメージと全然違ってもいいのだけど、僕の感触ではちょっと、この邦題は、あまり映画には合ってないように感じる。原題は『Schachnovelle』は、グーグル翻訳に突っ込むと「チェス小説」と出た。まあ、それもまた味気ないタイトルだが(この作品は原作小説があり、映画の原題は、原作小説と同じ)、もうちょっと上手いタイトルがつけられなかったものかなぁ、と思う。まあ、「ナチス」という言葉を使いたかったのだろうし、そうするとこんな感じにまとめるしかない、というのも分からないではないが(他の人の感想をざっくり読むと、やはり「邦題が悪い」という意見が多い)。
この物語はほぼ、「ホテルの一室」と「船内」で展開される。2つの時代はそれぞれ異なり、時系列で言うと、「ホテルの一室」が先で、「船内」が後だ。主人公は共に、公証人(弁護士)であるヨーゼフ・バルトークだ。
ロッテルダム港を出発する船に乗り込んだバルトークは、船内で久々に妻と再会した。バルトークは、フォークを持った手が震えるなど疲弊している。バーでスコッチを大量に飲み、バーテンにたしなめられてもいる。
バルトークはかつて、ウィーンで公証人として働いており、ウィーン国内で地位も名誉もある立場にいた。綺羅びやかなパーティに妻と共に招待され、そこで踊るなど、贅沢な生活。一方ウィーンでは、「資本家を倒せ」「ユダヤ人を追い出せ」などとデモ活動する者が増え、隣国ドイツのナチス旋風がウィーンにも届いている最中だった。バルトークは、まさかナチスがここまでやってくることなどないだろうと高をくくっていたのだが、結局彼はゲシュタポに拘束されてしまう。
ゲシュタポは、公証人であるバルトークが、ウィーンの貴族を含む金持ちの財産を管理しているという情報を掴んでいた。ウィーンに攻め込んできたドイツは、ウィーンの財産をドイツのものにしようとしており、そのため、バルトークに管理している財産に関する情報を吐き出させようとしていたのだ。
さて、話を船内へと戻そう。船内では、余興として、(恐らく)たまたま乗っていたのだろうチェスの世界チャンピオンとの複数人同時の対局が行われていた。ミルコという名の世界王者は、後で知ったところによると、読み書きが出来ず喋れもしないが、誰から教わることもなく最初からチェスが猛烈に強かったのだという。
同時対局で最後まで残っていたのが、船のオーナーであるオーウェン。その対局を観ていたバルトークは、何の気なしにオーナーにアドバイスをした。一度は「酒飲みの妄想」としてバルトークが排除されそうになったが、結局オーナーはバルトークのアドバイスを受け入れる。そしてその後、態度を一変させた世界王者が駒を動かすや、バルトークが自ら駒を動かし、最終的に世界王者相手にドローに持ち込むことに成功する。
熱狂する観客。オーナーは、お礼だと言って酒を振る舞うが、そこでバルトークから驚くべきことを耳にする。なんと彼は、ついさっきチェス駒を動かすまで、たったの一度もチェス駒に触れたことがなかったというのだ……。
というような話です。
原作は、ウィーン出身の作家によるもので、この映画の原作小説を執筆した直後に自殺したそうだ。作家自身と主人公が似た境遇を持っていたこともあり「命を賭けてナチスに抗議した小説」として世界的ベストセラーになった、そうだ(公式HPにそう書かれている)。著者が1942年に亡くなっているようなので、本の出版は80年ぐらい前ということになる。日本だと昭和初期といったところか。その頃の日本のベストセラー小説を調べてみると、『蟹工船』『銀河鉄道の夜』『夜明け前』『走れメロス』『雪国』とからしいので、そういう小説が現代に映画化された、みたいなイメージでいいのかな、と思う。
そうだとするなら、ウィーンでは小説と同じタイトルで映画化されて当然だし、また、その原作小説が馴染みのない国では原題からかけ離れたタイトルを付けざるを得ない、ということだろう。その辺りの事情は理解するが、それにしてもこの邦題はないだろう、と感じてしまった。作品の内容以前に、どうしても「邦題」に対する不満が先に出てしまう映画だな。
『ナチスに仕掛けたチェスゲーム』というタイトルだと、どうしても「戦争にチェスで立ち向かった」みたいな印象を与えるだろう。それこそ、「数学」で戦争に立ち向かったアラン・チューリング(を描いた『イミテーション・ゲーム』)や、あるいは以前読んだ『スエズ運河を消せ』というノンフィクションでは、イギリス軍に実在した「マジシャン」が描かれる。タイトルの『スエズ運河を消せ』は、マジックの手法を使って、空からスエズ運河を見えなくする、という話である。そういう、「数学」や「マジック」を使って戦争そのものに立ち向かった実話のように、「チェス」を武器に戦争そのものに対峙した者の話だと勘違いしてしまった。恐らく、そんな風に勘違いした人が多かったんじゃないかと思う。
そういう先入観を持たずに映画を観ることが出来たとしたら、また違った印象の作品として受け取れたかもしれない。その辺りが、少し残念ではある。
後半、世界王者ミルコと1対1の対局に挑むバルトークが、過去の様々な「記憶」を引き連れながら目の前の勝負を闘っていく描写は、映像的にも、それまでの伏線回収的な意味でも興味深かったし、よく出来ていると感じた。
僕の理解力の問題だと思うけど、「マックス・フォン・ルーヴェン」という署名の意味がよく分からなかった。まあ、解釈しようと思えばいかようにでも解釈は出来るけど、なんとなくしっくりこない。これも、原作小説を読んでいる人にはすっと理解できるみたいな描写だったりするのかもしれない。
なかなか「これはオススメだぞ」という感じで言える作品ではないが、「狂気の時代」を「チェス」というモチーフで切り取っていく構成はなかなか面白いと思う。