【映画】「シアトリカル 唐十郎と劇団唐組の記録」感想・レビュー・解説
17年ぶりの再上映だそうだ。ポレポレ東中野での上映なのだが、仕事が終わってダッシュで電車に乗っても、上映時間2分前に最寄り駅着という感じで、どうにか間に合って良かった。疲れた。
しかしホントに、凄い世界だなと思う。全然知らずに行ったのだが、この再上映期間は、上映後に毎回何らかのアフタートークがあるらしく、今日は、劇団唐組に所属していた鳥山昌克と監督の大島新のトークイベントだった。そしてその中で、「あんな変な大人もういないですよね」「っていうか、昔もいなかったですよ」みたいに言っていた。確かに、その通りかもしれない。
本作は、2006年11月から始まる。映画の冒頭は、翌年春に行う新作公演の脚本が出来上がった日で始まる。1988年に立ち上げられた劇団唐組では、毎年4月に新作公演を行っているとかで、今回のタイトルは『行商人ネモ』である。
撮影時、劇団員は14名、平均年齢30歳。うち半分の7名は「当て書き」と言って、唐十郎が役者に当てて書く。この7名は固定給をもらえるそうだ。しかしそれ以外の者たちは、公演ごとにギャラはもらえるが、それだけでは生活できないので、アルバイトをしている。
劇団唐組では、劇団員自ら制作や照明にも携わっている。台本は、唐十郎が書いたものを手書きで清書するのが伝統だそうだ。舞台装置も自分たちで作る。というか、個人的に驚いたのは、彼らは「木下大サーカス」のように、自らテントを設営し、その中で演劇を行うのである。2007年の公演は大阪から始まるのだが、テントや舞台装置一式をトラックに積み込み、東京からはるばるやってきていた。泊まるのは、恐らく懇意にしているのだろう、提法寺というお寺だった。
さて、そんな演劇を行う劇団唐組に密着するのだが、「演劇をやっているシーン」よりも「酒を飲んでいるシーン」の方が多い。いや、「多い」かどうかは分からないが、「酒を飲んでいるシーンの方が印象が強い」のは確かである。トークイベントの中で元劇団員の鳥山氏は「毎日飲み会があった」と言っていた。アルバイトしなければ生活できない劇団員は大変だろう。まあそれも含めて「劇団唐組に所属している」ということなのだと思うけど。
主催の唐十郎(ちなみに僕は「唐十郎」と「麿赤兒」が混ざっていて、「唐十郎」って大森立嗣とか大森南朋の父親だよな、とか思っていた。実際は、大鶴義丹の父親だそうだ)は、普段はとても柔和な感じで話をしているのだが、酒を飲むと何かスイッチが入ってしまうのだろう、豹変するような瞬間があった。劇団唐組は、唐十郎の自宅に隣接する稽古場を拠点としていることもあり、本作には唐十郎の娘と息子もチラッと映っているのだが、その中で娘が父親について聞かれ、「お父さんは凄い人だと思うけど、お酒を飲んだ時だけは『???』って感じになっちゃう」と言っていた。まあその後で、「まあ、酔ってああなっちゃうのは仕方ないと思うけど」みたいにも話していたが。
ちなみにこの点に関して、アフタートークの中で面白いやり取りがあった。鳥山氏が監督の大島新に聞きたかったこととして、「怖い父親の息子として生きるってのはどう感じなのか?」と質問していたのだ。大島新の父親は映画監督の大島渚で、僕はあまり良く知らないが「怖い」ことで有名なのだそうだ。そしてそんな風に聞かれた大島新は、「『唐十郎の子ども』として生きるより、『大島渚の子ども』として生きる方がまだマシかなって思った」と言って会場を沸かせていた(別に、沸かせるための発言ではないと思うが)。「ややこしい父親を持った子ども」目線からしても、唐十郎というのは「相当にややこしい人物」なのだそうだ。
さて、そんな大島新は、唐十郎が「豹変」する瞬間に立ち会えて、もちろん「怖い」と思ったそうだが、同時に「やった!」とも感じたそうだ。そこには、本作『シアトリカル』を撮るに至った経緯が関係している。
この撮影の1年ほど前、大島新は『情熱大陸』の取材で唐十郎に密着取材をしていたという。しかしその際、「消化不良だった」という思いを強く抱いたのだそうだ。それは、賞味25分程度しかないテレビの尺では「唐十郎」という異端児を描けないという側面もあったわけだが、それだけではなく、「『情熱大陸』の時は『よそ行き』だった」と感じたことも関係している。
大島新は大学時代から唐十郎の演劇を見ていたそうで、恐らく彼の中に「唐十郎のイメージ」があったのだと思う。しかし、カメラに映る唐十郎は「お行儀が良い」感じで面白くない。だから、「豹変」した時に「やった!」と感じたというわけだ。
さて、本作のタイトルである「シアトリカル」というのは、「劇っぽい」「劇風の」みたいな意味なのだそうだ。どうしてそんなタイトルが付けられているのか。それは、「唐十郎は普段から『唐十郎』を演じている」からだそうだ。この点については、監督の大島新も、元劇団員の鳥山氏も同じ印象だったという。本人も、「自分は多重人格だから」みたいな発言をしており、その印象を補強していると言っていいと思う。
この点に関しても、アフタートークで面白い話が出た。0号試写という、完成した映画を関係者に見せる試写会でのこと。唐十郎は当初ウキウキで映画を見ていたのだが、次第にうつむき加減になり、しまいには一度家に帰ってしまったそうだ(0号試写を恐らく稽古場で行ったんだと思う)。皆に説得されてまた戻り、苦虫を噛み潰したみたいな顔で最後まで観ていたそうで、とにかく本人的には大層不満だったのだろう。大島新はこの0号試写の後の飲み会で、「俺はこう見えてもダンディで売ってるんだよ。だからもう少し考えてくれよ」と言われたという話を披瀝していた。鳥山氏はこの話を初めて聞いたそうだ。
で面白いのはここからだ。その後『シアトリカル』が劇場公開されると、雑誌『ぴあ』の満足度調査で週間1位になったそうだ(2位が、織田裕二主演のリバイバル版『椿三十郎』だったという)。そしてそれを受けて、唐十郎が電話を掛けてきて、映画をべた褒めしたというのだ。分かりやすい人である。
で、この時の反応を受けて大島新はある確信を抱いたのだという。それが、「映画『シアトリカル』は、自身の主演映画のつもりだったのだ」ということである。ドキュメンタリー映画の場合、「被写体」が存在するだけで、「主演」はいない。ドキュメンタリー映画は「演技」ではなく「日常」を映し出すものだからだ。しかし唐十郎は、普段から「唐十郎」を演じている。だからこそ、ドキュメンタリー映画であろうがなんだろうが、自身にカメラを向けられているのであれば、それは「主演映画」なのである。そしてだからこそ、「そんな主演映画を世間が評価してくれた」ことに嬉しさを感じたのだろう。この点もまた、「唐十郎が普段から『唐十郎』を演じている」ということの傍証を言っていいだろうと思う。
ちなみに、本作中には「たたき場」という舞台装置を作るために借りている倉庫みたいなところも映し出され、そこでも飲み会が開かれるのだが、そこには唐十郎はいない。そのため、劇団員はとてものびのびとした笑顔を見せている。鳥山氏は「本作の見どころの1つですよね」と言っていた。そしてそれを受けて大島新が、「唐さんがこれを見たらマズいことにならないんですかね?」みたいに聞いた時の鳥山氏の返しが面白かった。彼は、「いや、別に見てないでしょ」と言ったのだ。つまり、「自分が出ていないシーンのことなどどうでもいいと思っている」という意味だ。あくまで鳥山氏の予想に過ぎない話なのだが、「なるほど」と思わせる解釈だと思う。
さて、本作はもちろん唐十郎に焦点が当たるわけだが、長年に渡り劇団唐組を支えてきた劇団員にも光が当たる。アフタートークに登壇した鳥山氏もその1人で、唐十郎が劇団唐組を立ち上げた頃から劇団にいる最古参である。彼は「飲み会で一番酒を飲んでいなかったと思う」と言っていたのだが、その理由が、「僕が『終わりにしましょう』って言わないと、飲み会が終わらないから」だそうだ。そしてその上で、「酒に酔ったフリをしていた」という。大島新が、「劇団唐組では、常に芝居をしていないといけないってことですね」みたいなことを言っていた。
そんな劇団員の描写で興味深かったのが、「劇団員を続けるかどうか悩んでいる赤松由美」と「劇団唐組の主演女優を長く務める藤井由紀」の2人。公式HPには、上映後のアフタートークの登壇者が予告されているのだが、その中に2人の名前もある。藤井由紀は今も「唐組劇団員」らしいが、赤松由美は「俳優・コニエレニ主宰」となっている。どこかのタイミングで劇団唐組は辞めたのだろうが、俳優は今も続けているというわけだ。
赤松由美は、「八丈島でタクシー会社を営んでいる実家が火事になり、営業車も燃えてしまった」という、情報量の多い紹介がなされていた。家族からは「好きなことを続けろ」と言われていると言っていたが、家がそんな感じだからどうしようか悩んでいる、みたいな話だった。
そしてその話を飲み屋で聞いていたのが、藤井由紀である(あと、5年目の多田亜由美22歳も飲み会にいた)。藤井由紀は主演女優でもあり、かつ、制作チームのリーダーでもある。シンプルに大変そうな立ち位置である。ただ彼女は、「中3の時に劇団員になると親に伝えて怒られた」みたいな話をしており、そして「劇団員として生きる」という情熱は失われていないようなのだ。監督から「将来の夢は?」と聞かれた際、彼女は、「今のまま演劇を続けて、楽しく暮らしていけたらいいかな」みたいなことを言っていた。本当に演じることが好きなようで、「同級生には、バリバリ働いていたりとか、結婚して子どもがいたりするのもいるけど、『ああ、良い演技が出来た』みたいな実感は、私にしか得られないって思ってる」みたいなことを言っていた。これほど「好き」を全力で追いかけられる人生も素敵だろうなと思う。
アフタートークの中で、鳥山氏は2度も「久々に唐さんの目を見たけど、力があって凄くいいですね」と言っていた。よほど印象的だったのだろう。さらに、鳥山氏も大島新も、唐十郎に対して「怖いし、魅力的」という表現をしていた。画面を通じて見ているだけだが、確かに「得体の知れない感じ」はもの凄く強かったし、間近にいたら確かに「怖いし、魅力的」みたいな感想になりそうだなと思った。
最後に。先入観を持たずに本作を観てもらうため伏せたことがあるのだが、映画のラストで指摘されたことに驚かされた。「7割は◯◯、2割は◯◯、残り1割は◯◯」みたいな字幕が表記されるのだが、それを見て「あー、なるほど」と感じることはあった。そりゃあそうだよなぁ、あまりにもあまりにもって感じだった。4個所あるそうだ。「これが俳優だよ」と「こんなところ撮るなよ」は確実にそうだと思うんだけど、あと2個所はどれだろう? パンフレットを買うと分かるらしいです。