【映画】「カジノ」感想・レビュー・解説

さて、相変わらず、昔の名作的な映画は、リマスターとかリバイバルでやってたら観るようにしているのだけど、今回は「午前十時の映画祭」でやっていた映画『カジノ』を鑑賞。全体的には、凄く面白いってわけではないかなぁ、という感じだった。

まずは先に、こういう映画を観る場合に僕が感じてしまうことについて書こう。「こういう映画」というのは「実話をベースにした作品」である。本作は、70年代から80年代に掛けてのラスベガスを描き出す作品で、映画を観た後で調べて知ったが、本作の登場人物も物語も、ほぼ実話がベースになっているそうだ。

さて、この場合僕がまず感じることは、「この映画が公開された当時、映画の元になった実際の事件は、アメリカでどの程度よく知られたものだったのか?」ということだ。

例えばだが、日本で「和歌山毒物カレー事件」をベースにしたフィクション映画を作るとなったら、日本人なら誰もが「あぁ、あの事件だね」となるはずだし(若い世代がどの程度この映画のことを知っているのかは不明だが)、制作する側もそれを前提にして作ることが出来る。また、僕は先日、新宿・歌舞伎町で行われた「BENTEN」というイベントの中で、大根仁とピエール瀧と町山智浩(ともう1人女性)のトークイベントを聞いていたのだけど、その中でピエール瀧が、「映画『地面師たち』の中で印鑑の偽造をするみたいな描写が欧米人には伝わってるんですかね?」と町山智浩に質問する場面があった。日本では印鑑文化だから分かるが、サイン文化のアメリカであの描写(と言っても僕は『地面師たち』を観ていないが)が通じるのか? みたいなことを確認したかったようだ。

このように、何らかの物語を受け取る際には、受け手が持っている「前提」によって大きく変わることになる。

作中では、「主人公たちの悪事や動向についてテレビで報じる」という場面が何度か描かれていたので、恐らく当時のアメリカでは割と知られた事件だったのではないかという気がする。そして、制作側ももちろん、そのことを前提に映画を作っているように思う。そしてだからこそ、「その事件を知らない人にはするっとは伝わらないような作品に仕上がっているのではないか」みたいに感じてしまうのだ。

実際のところはどうか分からない。本作は1995年公開の映画らしいので、事件当時こそ騒がれたが、1995年時点では覚えている人が多いわけではない事件だったかもしれない。そしてそれを前提に映画が作られている可能性もある。まあその辺りは何とも言えないのだけど、どうしてもそんなふうに感じてしまった。実話を元にした作品が基本的には好きなのだけど、日本以外の作品を観る時にはいつもこういう考えが頭にちらついて、難しいなぁ、と思う。

さて、映画の冒頭は1983年から始まるのだが、その後すぐに10年前に時間が遡る。主人公であるサム・ロススティーン(通称エース)がまだ予想屋をやっていた頃のことだ。彼は何事も徹底的に調べ倒してからでないと気が済まない性分だったようで、そのこともあって、賭け事の勝率が物凄く高かった。そしてエースは、シカゴマフィアのボスたちにもその情報を提供するようになる。覚えめでたくなったエースは、ボスの1人であるリモ・ガッジに気に入られ、ニッキーという用心棒をつけてもらえることになった(ただ、ニッキーが「エースとは35年来の付き合いだ」と言っていたので、元々知り合いだったのかもしれない)

さて、そんなシカゴマフィアのボスたちは、ラスベガスのカジノで大金が動いていることを知り、ある計画を立てる。全米トラック運転手組合という影響力の強い組織を間に挟むことで、ラスベガスでカジノを所有しようと考えたのだ。彼らは、ギャンブルに滅法強いエースを運営責任者に据えようと決めるのだが、1つ問題があった。カジノの運営には免許が必要なのだが、経歴が決して綺麗とは言えないエースに免許が下りるか分からなかったのだ。そこで、不動産取引を生業とするグリーンという男を社長に据えつつ、エースは実質的な運営責任者に収まった。彼は合法的にカジノ運営をするつもりで、悪事には関わらないつもりだった。

しかしそこには大きな問題があった。ニッキーの存在である。考えるよりも先に手が出るタイプであるニッキーは、エースのお目付け役としてボスたちから送り込まれたのだが、その粗暴さを知っているエースは何か問題が起こるんじゃないかと危惧していた。そして、やはりそうなっていくことになる。ニッキーは、「勝てば取り立て、負ければ脅す」というやり方で金を手に入れようとするし、さらに仲間とイカサマをやったりするなど好き放題やっていた。エースは昔のよしみとして忠告したが、聞く耳を持たず、結局ニッキーはカジノから出入り禁止となる。しかしそのことをきっかけにニッキーは一層過激になっていく。

一方エースは、カジノの上客に上手く取り入りながら良い気にさせ、数日後には身ぐるみ剥がすといったことを繰り返していたジンジャーという女性に一目惚れした。とにかくお金が好きなジンジャーは、もちろんエースとも仲良くなっていったのだが、エースが彼女に結婚しようとプロポーズした時には一度断った。あなたのことは好きじゃないから、というわけだ。しかしエースは、お互いが敬意を持って共に生活を続ければ、次第にそこに愛が生まれるはずだと説得、結婚に至った。しかしジンジャーは、古くから知るレスターという小悪党に惚れており、結婚後も彼との繋がりは切れていなかった。

さて、こんな風に表向き大成功を収めたエースだったが、その成功は少しずつ綻びを見せていく。ジンジャーとの関係が次第に悪化していき、さらに、ひょんなことから「カジノの実質的な責任者がエースであり、彼はカジノの運営資格を有していない」ということが明らかになってしまったのだ。合法的な世界で生きていくことに決めているエースは、様々に奔走してどうにかカジノの運営資格を手に入れようとするのだが……。

さて、そもそも僕は「裏社会の話」みたいなことに興味がないんだろうな、と思う。ヤクザ同士の抗争だとか、マフィアの闘いみたいなことに、どうも関心が持てない。前に観た映画『ヤクザと家族』は、「法律でガチガチに縛られて、基本的な生存権さえ奪われたヤクザはどう生きるべきか?」みたいな社会派の話だったから結構面白かったのだけど、「悪い奴らが悪いことをしている」みたいな話は、「うん、勝手にやっててくれ」となってしまう。

本作では、エースは基本的に「俺は真っ当にカジノ運営をするぞ」と考えている人物で、だから彼には好感が持てるのだけど、他の人たちのことは基本的に興味が持てなかったなぁ。特にニッキーは、僕には全然どうでも良い人だった。

何が面白くないかと言うと、こういう「法律をあっさり破る人」っていうのは「葛藤の抱きようがない」からつまらない。もちろん、「組織の掟」みたいなものはあって、「それを守るのか破るのか」みたいな葛藤はあるんだろうけど、それはやはり、日常を生きる人間にはあまり共感できるようなものではない。それより、「法を犯すような生き方をしたくはないが、それでもそうなってしまうかもしれない」みたいな葛藤の方が興味があるし、本作では、そういう葛藤を抱き得る人物はエースぐらいしかいなかったと思う。やっぱりそこがネックだったなぁ。

というわけで、本作の描写で僕が一番興味深かったのは、エースとジンジャーの関係である。

先ほども書いたが、エースはジンジャーに対して、「今は俺のことを好きじゃないかもしれないし、それでもいい。でも、お互いに尊敬の念を抱いて一緒に生活していたら愛情だって生まれるはずだし、そんな風にゆっくり進んでいければいい」みたいなことを言って結婚する。まあ、これはこれで、発言としては良いと思う。

ただ結果から見れば、という話ではあるが、エースは「ジンジャーが自分のことを愛してくれるようになる”はず”だ」と考えていたのだと思う。そして、そういう気持ちを抱いてこのプロポーズの言葉を口にしていたのだとしたら、それはダメだなぁ、と思う。こういうことを言う以上は、「結果的に、ジンジャーが自分のことを好きになってくれない可能性」についても同じぐらい想定していなければならないはずだと僕は思う。エースは、この点で大いに間違っていたなというのが僕の感想だ。

結婚披露宴の最中の話だったと思うが、ジンジャーが泣きながらレスターに電話をし、その様をエースが目撃するという場面がある。そしてジンジャーはその時に、エースに対してレスターの存在を打ち明けているのだ。まあ、ここでジンジャーは「最後にお別れするために電話をした」と嘘をついているので、それはダメだったと思う。しかしエースとしても、「結婚披露宴の時でさえもレスターのことを考えていた」という事実は理解していたわけで、となればやはり、「自分のことを愛してはもらえないかもしれない」という可能性を捨てるべきではなかったと思う。

しかし実際には、エースは「いつまで経っても自分を愛そうとしないジンジャー」に対して苛立ちを募らせていくことになる。いや、はっきりとそんな風に描かれる場面があったかどうかちゃんとは覚えていないのだが、恐らくそうだろう。そしてそれが、ある場面で爆発、そしてその日を境にして、エースとジンジャーの関係に絶望的な亀裂が入ってしまうことになる。

さて、観客視点からすると、「結婚後もジンジャーとレスターが深く繋がっていた」と分かるので余計そう感じるだけかもしれないが、エースのジンジャーに対する振る舞いには違和感を覚えてしまう。いや確かに「妻に対する感情」としては正しいかもしれないが、先程も書いた通り、エースはジンジャーに結婚を申し込んだ時点で「ゆっくり愛が育まれればいい」と言っているのだ。だから、そうなっていない現状に対しても、我慢強く待たなければならないと僕は思う。そして結局、それが出来なかったエースに非があると僕には思えてしまう。まあ、「好きにさせる自信がある」みたいな傲慢な感覚を持っていたのか、はたまた純粋に「これぐらい時間が経てば自然と自分のことを好きになるはずだ」と考えていただけなのか分からないが、エースとジンジャーの関係においては、エースの振る舞いには違和感を強く感じた。

そんな割と複雑に展開して行くエースとジンジャーの関係性は結構面白く観れたのだけど、全体的には「マフィアとか裏社会の話はそんな興味ないなぁ」という感じながら観ていた。しかし、「これが実話なのか」という感覚はやはりあるし、「人間って愚かよなぁ」みたいな部分はシンプルに興味深かった。

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