【映画】「どうすればよかったか?」感想・レビュー・解説
まず何に驚いたかというと、劇場が満員だったこと。これは体感ではなく、劇場に「満員です」と張り紙がされていたので間違いない。200席ぐらいあるのに、満員だったのにはびっくりした。
というか、満員になるのも早かった。僕は、公開2日目の土曜に観に行ったのだが、前日の金曜の朝に一応チケットをチェックしてみようと思った。その時なんと、既に5席ほどしか残っていなかったのだ。だから本当に久しぶりに、最前列で映画を観た。
しかし、こんなバリバリのドキュメンタリー映画に、どうしてこんなにお客さんが集まっているのか謎過ぎる。僕はドキュメンタリー映画は基本観たい人間なので当然行くのだけど、大体ドキュメンタリー映画を観に行っても、映画館はガラガラであることが多い。なのに本作は満員である。以前、『香川1区』ってドキュメンタリー映画を観に行った時も、お客さんが多くて驚いたが、それでも満員ではなかったし、僕のここ最近の記憶では、ドキュメンタリー映画で劇場が満員になっていたのは、「和歌山毒物カレー事件」を扱った映画『マミー』ぐらいである。『マミー』はまだ、話題性が強いから満員になるのも理解できるが、本作は、監督である藤野知明の家族を撮影した作品であり、どこに話題性があったのか分からない。藤野家は北海道にあるので、身内が映画館に来ているみたいなことでもないだろうし。不思議だ。まあ、ドキュメンタリー映画が話題になることはとても喜ばしいことなのだけど。
さて、先程少し書いた通り、本作は「藤野家」の話である。その中心になるのは、姉・雅子である。彼女は、医学部4年の解剖実習に失敗した頃から少しずつおかしくなっていった。その症状は、どうやら「統合失調症」のようだった。もちろん、治療が必要な病気である。
しかし、父と母はその事実を認めようとしなかった。2人は共に研究者であり、なんと自宅に「蛍光顕微鏡」や「オシロスコープ」を持っている。冷蔵庫の中身は、最下段以外すべて薬品や研究で使うものだそうだ。父親は医学部を卒業した後病理医となり、母親も同じ大学で研究をしていたそうだ。
そしてそんな2人は、「医者が言うには、なんの問題もない」と言い張り、姉に治療を受けさせなかった。もちろん、監督はその説明に納得出来なかったが、まだ子どもだった彼にはどうにもすることが出来ない。姉の様子はどんどんおかしくなっていく。彼は「夜が明けるのが怖い」と考えていたそうだ。またあの、堂々巡りの一日(恐らくここには、「聞く耳を持たない両親への説得」みたいな部分も含まれていると思う)が始まるのかと思うと、憂鬱だったそうだ。
また、彼は当時まだ統合失調症について詳しくなかったこともあり、「姉が暴れて、襲いかかってきたらどうしよう」とも考えていたという。もしそうなったら、反撃するしかない。それでも落ち着かないなら、殺すしかないのだろうか? そこで少年だった彼は、精神疾患を持つ親族を殺した場合の罪について調べ、「割に合わないから止めよう」と結論に至ったという。
そんなわけで彼は、両親を説得できないまま実家を離れることにした。神奈川の会社に就職したのだ。「実家から離れられればどこでも良かった」そうだ。彼の中では、おかしくなっていく姉と聞く耳を持たない両親との生活は限界だったのだろう。
ちなみに彼は、実家を出る直前に初めて、「おかしくなった姉の様子」を録音している。これが1992年のことだそうだ。「このまま何もしなければ、何の記録も無くなってしまう」と考えたからだという。姉に最初に発作が出たのは、彼の記憶では1983年とのことなので、この時点で既に10年近くが経過している。ちなみに、本作『どうすればよかったか?』は、この時に録音した音声から始まっている。
その後彼は、お金が貯まったこともあり、映像の専門学校へと入学し、カメラも購入した。そして2001年から、実家に帰省する度に、家族にカメラを向けて撮影を行うことにしたのである。家族は、「インタビューの練習のためにカメラを回している」みたいに考えていたようで、そしてしばらくしたら、「カメラを向けられていること」が当たり前になっていったのだと思う。
そうやって、2021年頃まで撮影し続けた素材をまとめたのが、本作『どうすればよかったか?』である。
本作は冒頭で、2つ注意点が表示される。ざっくり以下のような内容だ。
『本作は、姉が統合失調症を発症した理由を究明する意図はない』
『また、本作では、統合失調症という病気についての説明もしない』
こういう作品の場合、医師や専門家なんかがカメラの前であれこれ喋ったりするような構成のものもあるが、本作はまったくそんなことはない。何人か「家族以外の人」もカメラに映るが、基本的には「父・母・姉」がカメラに映り、たまに、誰かが撮影を変わったのだろう、監督自身も映り込んでいる。本当に、この3人プラス1人だけで、話が進んでいくのである。
さて、本作を観ながら、まず「環境」が状況を悪化させたのだろう、と感じた。その「環境」は、平時であればとても素晴らしいものである。両親が医師・研究者であり、姉も医学部入学という部分だったり、あるいは「働かない姉一人を余裕で養えるだけの経済力」もあるのだと思う。藤野家では、両親が姉の診療を拒み続けてきたのだから、障害年金だの医療控除だのといったことは一切なかったはずだ。姉の養育に関する金銭的なサポートは、完全に両親が行っていたことになる。普通はなかなか、そんなことは難しいだろう。姉は、発症してから40年以上実家で生活していたわけで、それが許容できるぐらいの金銭的な余裕がなければ、そんなことは実現しなかったはずだ。
そんなわけで、平時であればとても良いはずの「環境」にいたが故に、結果として、姉にとっては不幸な状況が続いてしまったと言っていいだろう。
「不幸」と断言するのには理由がある。2008年頃、つまり姉が発症したと思われる時から25年後のことだが、母に認知症の症状が見られたため、監督が医師に相談にいったところ、「姉をすぐに入院させ、母は父親が自宅で面倒を診る」というアドバイスをもらったそうだ。そしてそれを受けて父親に相談、父親は姉の入院を受け入れたという。すると、その入院期間中に合う薬が見つかったとかで、3ヶ月で退院出来たのだ。
そして驚くべきは、退院後の変化である。入院するまでの姉は、話しかけても返答することは稀で、家の中のどこかに座り込んだまま動かず、そして時折何かのスイッチが入ったみたいによく分からないことをまくしたてていた。しかし退院後は、料理もするし、弟が撮影しているカメラにピースしたりと、それまでとは様変わりした様子だったのだ。別人と言っていいぐらいの変化だった。
そして、投薬でこの変化が生まれたのだから、当然、もっと早く治療を受けさせていれば全然状況は違ったはずだと推察出来るだろう。確実に、「両親の判断は間違っていた」と言っていいと思う。
何せ両親は、姉が勝手に家から出ないように、自宅の玄関の内側に南京錠を付けたほどである。一度、姉が勝手に年金(「年金◯◯」って表示されたけど、忘れてしまった)を解約してNYに行ってしまったことがあり、そういうことを防ぐためだったそうだ。その時点では、母親も足を悪くしていたため、母親と姉は、前年の11月22日からその映像が撮られた9月25日までの約10ヶ月間、一切外出していなかったという。両親は否定していたが、これは明らかに「姉を監禁している」と言っていいだろうと思う。
さて、本作については印象的な描写は色々とあるのだけど、監督も観客もやはり最も気になるのは「何故姉を医者に見せなかったのか?」だろう。この点に関しては、監督が母親・父親とそれぞれ個別に議論をする様子が映し出されていた。
まずは母親との話し合い。恐らく監督も、「母親を味方に付けるのが先決」と判断していたのではないかと思う。というのも、それまでの監督の「藤野家に関する説明」でにじみ出ていたのは、「父親が、姉に関する決定をすべて行っている」という雰囲気だったからだ。
果たして、母親も同じような反応をしていた。「パパがNOと言っていることは出来ない」というわけだ。彼がいくら、「2人は問題解決能力が無い」「『何の問題もない』と言っているその医者に僕も合わせて」みたいに詰め寄っても、母親は判断を変えようとしない。結局、その話し合いでは何も進展しなかった。
その後、長い年月が経って、父親と話をする機会があった。そこで監督は、「『姉が病気だ』と認めることを恐れていたんじゃないの?」と突きつける。すると父親は、「俺はそんなことはないけど、ママにはそういう気持ちが強かったかもしれない」みたいな返答をしていたのだ。さらに監督が、「じゃあ、母の希望を叶えるために姉を治療から遠ざけるって選択をしたってことでいいの?」と聞くと、確か頷いていたように思う。
こんな風に、両者の言い分は真っ向から食い違っている。そして、そういう矛盾をそのまま見せるのが本作なのである。
本作はこんな風に、とにかく「事実」を積み重ね続ける。監督が抱き続けた疑念・疑問は、作中で言葉として両親(あるいは姉)にぶつけられるが、しかしそれらは観客の解釈を狭めるような役割を果たさない。あくまでも「家族の一員として自分はこう思っていた」という「事実」としての意見表明であって、それらをどう解釈するかは観客に委ねられている。「どうすればよかったか?」というタイトルもまさに、そんなスタンスから付けられたものだろう。
正直、「どうすればよかったか?」という問いへの答えは難しくない。「姉を医者に見せ、投薬し、必要であれば入院させること」である。しかし、そこには「両親」という壁があった。つまりこの問いは、「両親に対してどうすればよかったか?」と受け取るべきであり、そして、その問いに答えることはとても難しい。
本作が興味深いのは、まさにこの点だ。両親は研究者だった。まさに、世の中で「医学」「科学」を最も信じている人種と言ってもいいだろう。しかし、そんな両親が、「姉が統合失調症である」という事実を認めようとしなかった。ここには一体何があるのか。
カメラに映る両親は、実に「普通の人」に見えた。そして、だからこそ恐ろしいのである。彼らがもっと「モンスターペアレント」みたいな振る舞いをする人物であれば、「そうか、イカれた人間だったんだからしゃーないな」みたいに思えただろう。しかし、少なくとも見た目からはそんな風にはまったく感じられないのだ。
心理学の世界に、「代理型ミュンヒハウゼン症候群」と呼ばれるものがある。「ミュンヒハウゼン症候群」というのは、「自ら病気を装い、周囲からの同情を集める精神疾患」なのだが、「代理型」というのは「親が子どもをわざと体調不良にさせ、その看病を献身的に行うことで、良い親であるように見られようとする精神疾患」を指す。そして、ちょっと違うが、この両親と姉の関係もまた、「代理型ミュンヒハウゼン症候群」的なのかもしれない、とも感じた。つまり、「姉を病気のままに留めておくことで、そんな我が子をかいがいしく育てる自分の自己肯定感を上げたい」みたいなことだ。そうとでも考えなければ、ちょっと説明がつかない気もする。少なくとも、研究者として医学・科学を信じている人間の振る舞いとしては、ちょっとあまりにも理解しがたい振る舞いである。
ちなみに、本作では「姉が統合失調症になった原因を究明しようとはしない」と冒頭で表示されるのだが、作中にそれを示唆する場面が1ヶ所だけあった。両親が話している中で出てきたのだが、姉はそれまでずっと成績優秀者として過ごしてきたのに、医学部の解剖実習で失敗したことで留年してしまったそうだ。そして本人的には、「それまで失敗なんかしてこなかった自分が上手くいかなかったのは、何かがおかしい」と考えるようになったそうだ。そうして導き出したのが、「仏様への信仰が足りない」という結論だった、とか。その後姉は、占いみたいなことにハマっていくようになったそうだが、そういう「エリートの躓き」みたいなものが統合失調症のきっかけだったのかもしれない。いや、全然的外れかもしれないが。
そんなわけで、「優秀な姉が統合失調症になったこと」「研究者である両親がその事実を認めようとしなかったこと」「姉一人養うぐらいの金銭的余裕がある一家だったこと」「弟が映画学校に通い始め、カメラで撮影するようになったこと」など、様々な要因が重なって生まれたドキュメンタリーであり、なかなか類を見ないと言っていいと思う。実に興味深い作品だった。
本作で映し出されるのは、ある意味で「特異的なケース」ではあると思うが、しかし、「家族が突然、ケアが必要な状態に陥る」みたいなことは、誰に身も降りかかり得ることだと思う。だから、「どうすればよかったか?」という問いは、すべての人に向けられていると言っていいだろう。是非観て欲しい作品である。