【映画】「ドキュメンタリーオブベイビーわるきゅーれ」感想・レビュー・解説
ドキュメンタリー映画も良かったなぁ。凄く良かった。本編でも「アクションの凄さ」と「主演2人の関係の良さ」が伝わってきたが、ドキュメンタリー映画からもさらにそれが伝わってきた。観て良かったなぁ。
ちなみに、先に書いておくと、僕は「ベイビーわるきゅーれ」の存在をつい最近知ったので、第3弾である『ナイスデイズ』しか観ていない。基本的に、映画館でしか映画を観ないという主義で生きているので、1・2はまた何か機会があったら観てみようと思う。
さて、色々と書きたいことはあるのだけど、まず、映画の冒頭でいくつか興味深いエピソードが紹介されていたので、まずはその辺りの話から始めよう。
というわけで最初は、「ベイビーわるきゅーれのシリーズが誕生したきっかけ」について。エグゼクティブプロデューサーである鈴木祐介はそれを「偶然」と表現していたのだが、確かに話を聞いてみると「偶然」と言いたくなるようなエピソードだった。
物語は、「ベイビーわるきゅーれ」シリーズの監督である阪元裕吾が2021年に発表した映画『ある用務員』まで遡る。投じ、この映画の編集をしていた監督のパソコンが壊れてしまい、鈴木祐介の会社に編集のために来ていたそうだ。当時たまたま、鈴木祐介の前の席が空いており、阪元裕吾はそこで編集をしていたのだが、鈴木祐介がタバコを吸いに行こうと思った時に、たまたまあるシーンが目に入ったという。
それが、『ある用務員』に出演していた髙石あかりと伊澤彩織の2人のシーンだった。
そのシーンがとても印象的だったため(僕は『ある用務員』を観ていないので、それがどんなシーンなのか知らないが)、鈴木祐介は阪元裕吾に「時間が出来たらでいいから、この2人の脚本を書いてくれない?」と言ったというそこから「ベイビーわるきゅーれ」というシリーズが始まっていったのである。確かに「偶然」と言いたくなるようなエピソードではないだろうか。
さてもう1つ。今度は、杉本ちさとを演じる髙石あかりについて。本作は、アクションパートを園村健介というアクション監督に一任しているそうなのだが、彼も本作ドキュメンタリーに出演している。そして、「第3弾で思いがけず杉本ちさとのアクションシーンが増えた理由」を語っていた。
彼は、もちろんシリーズの最初からアクション監督として関わっているわけだが、どうしてか、「1・2で、杉本ちさとが結構アクションをやっていた」みたいに勘違いしていたそうだ。そこで第3弾となる『ナイスデイズ』でもアクションをモリモリにしてみたらしいのだが、実はそれまでのシリーズでは、伊澤彩織演じる深川まひろが「アクション担当」という感じだったそうで、杉本ちさとのアクションシーンは決して多くなかったのである。
ただ、園村健介も驚いたらしいのだが、髙石あかりはモリモリに増やしたアクションシーンを、割と難なくこなしていったのだそうだ。不思議に思って彼は、「どこかでアクションの練習とかしてたりするの?」と髙石あかりに聞いてみたらしいのだが、「いや、全然!」みたいな反応だったという。
先ほど書いた通り、僕は第3弾しか観ていないので、「本職じゃないはずなのに、この髙石あかりって女優もアクションメチャクチャ凄いな」と思っていたし、当然、シリーズ1・2でも同じぐらいのアクションをしているものだと思っていたのだけど、全然そんなことはなかったみたいだ。本編を観た時も驚いたが、本作ドキュメンタリー映画を観て、改めて「髙石あかりすげぇ」ってなった。
ちなみに、園村健介が本シリーズのアクション監督を務めることになったのは、伊澤彩織から「私が主演の映画があるから、アクション監督やって下さいよー」みたいに言われたからだそうだ。元々伊澤彩織とは関わりがあったそうで、それで声を掛けてくれたということだったが、園村健介はこのシリーズに関わるきっかけをくれた伊澤彩織に感謝していると言っていたし、だからこそ、もしかしたら「集大成」になるかもしれない『ナイスデイズ』では、伊澤彩織(深川まひろ)にとっての「集大成」となるようなアクションにしようと思っていた、と言っていた。
そのアクションは、本編『ナイスデイズ』を観た時にも驚かされたのだけど、ドキュメンタリー映画でそのメイキングを観ていてもやっぱりビックリさせられた。今から僕は、とてつもなく当たり前のことを言うのだが、「ホントにアクションやってるんだ」と思った。もちろん、カットを割ってそれを繋いでいるわけだが、にしてもかなりの長さをワンカットで撮っている。ホントに、「後から音を足しただけ」という感じで、「マジでこんなことをリアルでやってるんだなぁ」と驚かされてしまった。
さて、髙石あかりのアクションにビックリしたことは確かなのだが、やはり『ナイスデイズ』では伊澤彩織演じる深川まひろと、池松壮亮演じる冬村かえでの闘いが圧倒的だった。そして、もちろん「スタントパフォーマー」という肩書を持つ伊澤彩織のアクションが圧倒的だったわけだが、池松壮亮がとにかく凄かった。
池松壮亮はたぶん、これまでそんなに本格的なアクションをやっていなかったと思うし、仮にやっていたとしても、「ベイビーわるきゅーれ」はアクションが世界レベルと言われているので、これほどのレベルのアクションに触れたことはまずないんじゃないかと思う。にも拘らず、本作では伊澤彩織と対等に見える(もちろん、あくまでも「見える」だとは思うが)アクションを披露していた。凄いなぁ、この人。
しかも、なんとなく「アクション監督の園村健介が色々教えたんだろう」と勝手に思っていたのだが、本作ドキュメンタリーを観て「どうもそうでもなさそうだぞ」と感じた。というのも、園村健介が、「池松さんはたぶん、ネットで色々見て練習して、でも試せる相手もいないから、この現場で色々試行錯誤してるんだと思う」みたいなことを言っていて、「えっ、自力でここまでたどり着いたん?」みたいな感じだった。ホント役者というのは、「役作り」になるとえげつない能力を発揮するものだなと思う。
ただ、身体作りや動きのキレなどはまあともかくとして、「ベイビーわるきゅーれ」のアクションに関しては、ちょっと普通とは違う部分があるそうだ。これは本作で言及されていたわけではなく、ネットで見つけたインタビュー記事の中で触れられていたことだ。
https://www.pintscope.com/interview/takaishi-izawa-ikematsu/
アクションというのは普通、「身体の動き」がメインで作られる。「スタントパフォーマー」として色んな映画のアクション部に所属していた伊澤彩織も、そのような認識でいるそうだ。しかし「ベイビーわるきゅーれ」の場合は、監督の阪元裕吾が「アクションにおける感情の動き」を言語化し、それを元にアクション監督である園村健介が動きを付けていくのだという。だから「ベイビーわるきゅーれ」のアクションでは「感情の流れ」が重視されているのだそうだ。
そしてそれを聞いて、「なるほど、そうだとしたら、動きを覚えやすいのかもしれないな」と思ったりもした。
僕は将棋が好きで(下手の横好きだが)、将棋の本を読むことも結構多いのだが、以前羽生善治が何かの著作の中で面白い言及をしていた。棋士というのは対戦が終わると、「感想戦」といって、頭からその日の対局の駒の動きを再現する。将棋は100手以上にも及ぶので、凡人には「よくそんな長い打ち手を覚えていられるな」と思うが、羽生善治は「棋士同士であれば、打ち手にはちゃんと意図があるから覚えられるんですよ」と言っていた。
そして比較のために話していたのが、将棋を詳しく知らない小学生との対局。棋士は普通、「この場面だったら相手はこう打ってくるよな」と考えて将棋を指しているわけだが、ルールや戦略に詳しくない小学生の場合、予想もしない手を打ってくる。だから、そういうことをされると、「感想戦」のように初手から再現するのは難しいかもしれない、ということだった。
これはもしかしたら、アクションにも同じことが言えるんじゃないかと思う。「身体の動き」メインの場合は、もちろんスタントパフォーマーである伊澤彩織のような人間であれば「合理的な身体の動かし方だな」みたいな意図を汲んで覚えられるかもしれないが、普通はなかなかそうはいかないだろう。しかし俳優であれば、「人間の心の動き」を覚えることは得意なんじゃないかと思う。そして「ベイビーわるきゅーれ」のアクションが「心の動き」に沿ったものになっているのであれば、一般的なアクションよりも動きを覚えやすかった可能性はあるな、という気はした。
さて、そんな風に書いてはみたものの、どう考えたって「動きを覚えられればいい」なんて話ではない。池松壮亮は動きがとにかくキレッキレで、ドキュメンタリーの中では、待ち時間にシャドーボクシングみたいな動きをしているシーンもあったのだけど、ボクサーみたいなスピードと軽やかさがあった。池松壮亮は「これは悪い意味だと思ってないんだけど、『ベイビーわるきゅーれ』が僕に声を掛けてくれるなんて全然思ってなくて」と、オファーが来た時の驚きを語っていたが、池松壮亮なくしては成立しなかっただろうし、制作側こそ「池松壮亮がオファーを受けてくれた!」と歓喜したのではないかと思う。
ちなみに、池松壮亮は、「『女の子のお腹を蹴る』とか、ホント本能的に無理なんだけど、伊澤さんは『蹴って下さい。リアクションもあるんで』っていうし、周りのスタッフも『伊澤は絶対大丈夫だから』とか言うので、仕方なくやってました」みたいに話していた。ただ、宮崎県庁での撮影で、「伊澤彩織がいかに強いのか」を実感したそうで、映画の撮影が終わる頃には、「伊澤さんに強くしてもらったし、引っ張ってもらった」という感覚になったそうだ。池松壮亮は、休憩中に左足をずっとアイシングしながら揉んでいるシーンが何度も映し出されたし、本人も、「人間の身体ってあんなにぶっ壊れるんですね」みたいに言っていた。アクションシーン2日目には、「昨日は身体が痛すぎて一睡も出来ませんでした」と園村健介に話していたという。とにかく、満身創痍だったようだ。
満身創痍なのは実は、他の役者も同じだった。撮影中に筋肉断裂(と言っていた気がする)を起こした俳優もいたし、髙石あかりも体調不良でダウンしていた。同じく伊澤彩織も体調不良でダウンを経験していたし、また、池松壮亮とのアクションシーンの合間には「身体がぶっ壊れそうだ」と言っていた。
まあそりゃあそうで、アクションも一般的な演技パートと同様、リハーサルやカメラテストがあるし、さらに、かなり細かく決まっている動きがちゃんと出来るまで何度も繰り返す。髙石あかりのシーンだったが、「盾として使っている男性の背中で銃をスライドさせ装弾する」という動きを忘れて指摘されている場面があった。これなんかは、ド素人の僕でも分かる話だが、伊澤彩織と池松壮亮のバトルシーンでは「何がどうミスなのか分からない」みたいな感じで何度も同じシーンを繰り返し撮っていた。そりゃあボロボロにもなるだろう。
そんなわけで、本作では、余計なナレーションなどまったく挿入されない状態で、圧巻のアクションシーンのメイキングを堪能することが出来る。人間には出来ることと出来ないことがあるはずだが、本作では「出来ないはずのこと」の領域にまで踏み込んでいる感じがして、そんな「狂気的なモノ作り」のスタンスと、全員がそれを楽しそうにやっているというところに良さを感じた。
ちなみに、先に紹介したインタビューの中で、「1つの作品に『良い作品にしたい』という高い熱量を持つ人が3~4人もいれば良い作品になるものだけど、本作にはそういう熱を持った人が多すぎる」みたいに言っていて、そのことはなんとなく、本作ドキュメンタリーを観て実感できたような気分になれた。
さて本作は、ほぼメイキング映像で構成されているのだが、一部インタビュー映像が差し込まれる。そしてやはり、髙石あかりと伊澤彩織の関係性がとても興味深かった。
「ベイビーわるきゅーれ」というシリーズは、「杉本ちさとと深川まひろの2人がお互いに支え合いながら緩い日常を過ごしつつ、殺し屋としての仕事をこなしていく」みたいなシリーズで、僕はもちろんアクションに圧倒されたのだけど、一番好きだったのは実場、杉本ちさとと深川まひろの会話である。ユルユルの特段中身の無い会話なのだけど、ずっと聞いていられる心地よさがあって、さらにその会話は、この2人の「得も言われぬ絶妙な関係性」を醸し出してもいる。
作中では、杉本ちさとが底抜けに明るいキャラクターで、深川まひろが暗いマイナス思考の人物という感じなのだが、それぞれを演じる髙石あかりと伊澤彩織も同じ感じなのだそうだ。作中で深川まひろは杉本ちさとに対して、「自分の太陽みたいな存在」「ちさとに出会えてなかった人生なんて考えられない」みたいなことを言うのだが、本作ドキュメンタリーのインタビューでは、伊澤彩織がほとんど同じようなことを言っていた。髙石あかりのことを「太陽のような存在」「あかりちゃんに出会えていない人生なんて考えられない」みたいに言うのである。
また、髙石あかりも興味深い表現を使っていた。世の中には「友達」「恋人」「家族」「仕事仲間」のような色んな「関係性のカテゴリー」が存在するが、「伊澤さんのことは、そのどのカテゴリーにも入れたくない。一生『ちさと』と『まひろ』のままでいたいんです」と言っていたのである。本当に、「ベイビーわるきゅーれ」の作中の関係を踏襲しているようなあり方で、そういう雰囲気が画面から伝わってくるからこそ、「この関係性、メッチャ良いなぁ」と観客も感じられるのだと思う。
ただ、髙石あかりはさらに面白い言い方をしていた。「私たち、『ちさと』と『まひろ』だとメチャクチャ仲良くなれるんですけど、『髙石あかり』と『伊澤彩織』だとちょっとシャイなんです」だそうだ。だから本当に、「『ベイビーわるきゅーれ』という作品のお陰で近くなれた関係性」なのだろうし、そういう話を聞くと、一層の「尊さ」みたいなものが感じられる気もする。
というわけで、ドキュメンタリー映画も超良かった。観て良かったなぁ。
さて最後に。本編『ナイスデイズ』を観ている時にはまったく思い出さなかったのだけど、本作ドキュメンタリーを観ていて唐突に思い出したことがある。死体処理業者・宮内茉奈を演じる中井友望をどこかで観たことあるなと思ったのだけど、映画『少女は卒業しない』で観たんだったと思い出したのだ。『少女は卒業しない』は、とにかく河合優実の印象が強かったが、中井友望も先生に憧れる役(だったと思う)が良かった。