【映画】「ぼくとパパ、約束の週末」感想・レビュー・解説
なかなか面白い映画だったなぁ。ストーリーとしてはシンプルで、ヒューマンストーリーという感じなので、一般的にはそういう側面で本作は評価されているのだと思うけど、個人的には「自閉症に対する理解が深まる」という意味で実に興味深かった。
僕が一番「なるほど!」となったのは、電車の中でパスタを食べるシーンである。このシーンについては、後に自閉症児であるジェイソン自身も言及しており、「自閉症児がどういう理屈で行動しているのか」についてとても象徴的だと言えると思う。
さて、そもそもだが、自閉症児(「自閉症」と聞くと「喋らない」イメージもあるかもしれないが、ジェイソンは会話が出来るタイプ。公式HPによると、かつては「アスペルガー症候群」と呼ばれていたが、今は「会話が可能な自閉症」というような位置づけらしい)は「ルールを厳守する」という性質がある。そしてそのルールは、本人が決める。ジェイソンの場合、「僕の身体に触れていい人は僕が決める」とか、「肉を食べるのは週に2回まで(これはSDGs的な観点から)」などのルールがある。そしてそのルールの中に、「食べ物は捨てない」と「僕の皿の料理には触れない。シェアも禁止」というものがある。ジェイソンは「持続可能性」に非常に敏感で、父親にも「車じゃなくて電車に乗れ」と言うくらいだ。肉を食べないのも、肉1キロを作るのに水1万5000リットルを使用すると知ったからである。
まあそんなわけで、ジェイソンには細かなルールがあり、それを厳密に守っている(というか、そうでなければ日常生活を上手く送ることができない)。
では、電車の中で何が起こったのか。まず、ドイツの高速鉄道には「車掌が席まで注文を取りに来て、料理が提供される」ものがあるようだ。そしてジェイソンはそこで「パスタ」を頼む。しかし、1つ条件があった。パスタとソースは分けて盛り付けてくれ、という条件だ。ジェイソンにとっては、提供された時点でパスタにソースが掛かっていることは許容出来ない重要な要素である。
さて、車掌はジェイソンの希望通り、パスタ(というかペンネ)とソースを分けて盛り付けてくれた。しかし、車掌は当然ジェイソンのこだわりの強さが理解できていなかった。ペンネ3つに、少しだけソースが付着してしまっていたのだ。
ジェイソン以外の人にはどうでもいいことだが、ジェイソンにとっては許されざることだった。彼は癇癪を起こし、目の前にいる父親に「解決して!」と迫った。
しかしここで、ジェイソンの基本のルール「食べ物は捨てない」と「シェア禁止」が関わってくる。ジェイソンは、ソースが掛かってしまったペンネは食べたくない。しかし、自分のものとして提供された料理をシェアすることも、ましてその料理を捨てることも、彼自身が定めたルールに抵触してしまうのだ。
こうしてジェイソンは袋小路に陥ってしまう。これが、ジェイソンが抱える難しさの一端である。
僕らも、生きている中で「これは譲れない」「これだけは絶対に押し通す」みたいなことを抱えているとは思うが、二律背反というか、相反するような状況に立たされたら、状況をどうにか前進させるために「ルールを曲げる」といった選択をするだろう。しかし、ジェイソンにとっては、ルールは絶対だ。曲げるなんて、考えられない。
ジェイソンがいかにルールを曲げないかが描かれる場面もある。後半の方の話なので具体的には触れないが、「仕事でピンチに陥った父親の指示さえ、ルールに沿わないからといって従わない」のだ。彼には「彼のルールを守ること」が何よりも大事なのであり、だから「ルールを曲げる」ことはしない。
僕らの場合、あるいは、「折衷案を見つける」みたいなこともやるだろう。例えば「新発売のゲームを夜遅くまでやりたい」が、「明日の朝は早く起きなければならない」という場合、「徹夜でゲームをして朝を迎える」なんて選択を取ったりもする。しかし、ジェイソンはそういう判断もしない。
そしてだからこそ、「ソースのついたペンネは食べない」「食べ物をシェアしない」「食べ物を捨てない」という、完全に相反するルールにフリーズしたような状況に陥ってしまうのである。そしてこの描写は、「自閉症」を理解する上で非常にわかりやすかったと思う。
もちろん「自閉症」にも様々な種類がある。本作の最後にも、「自閉症が必要とする支援は様々で人によって違う」と字幕で表記された。ジェイソンが陥ったようなパニックとは、また違う理屈の人もいるのだろう。1つを理解したことで全体を分かった気になってはいけないが、それでも、理解のためのとっかかりとしては良いのではないかと思う。
さらに本作はもう1つ、「自閉症」を理解するための演出が組み込まれていた。それが「ジェイソンが感じている聴覚」の再現である。
自閉症の人は聴覚が鋭敏になる傾向があるそうだ。その事実は知っていたが、しかし、それがどのような感覚なのかは当然分からなかった。本作では、「ジェイソンには様々な環境音がこんな風に聴こえている」という演出がなされているシーンがあり、その感覚が理解しやすい。
そして、「これは大変だろうなぁ」と感じた。
そもそも人間は、環境音や人の声などを、そのままの音量で聴いているわけではない。脳が勝手に補正を掛け、必要な情報は大きく、不必要な情報は小さく聴こえるようにしているのだ。そのことは、録音した音声を聴く時によく理解できる。環境音が大きすぎて、話し声が聴こえなかったりするからだ。僕らは本当はこういう環境で会話をしているのだが、脳の補正によって、環境音は小さく、そして話し声はクリアに聴こえるようになっているのだ。
そして恐らくだが、自閉症の場合はその補正が上手く利いていないのではないかと思う。だから、僕らには大した音に聴こえない様々な環境音が、メチャクチャ大きく聴こえてしまうのだろう。こんな音世界の中で生きていたら、そりゃあ気も狂うだろうと思う。
そんな少年が、騒音の塊と言っていいサッカースタジアムに自ら足を運ぶというのだから、これまた大変である。しかも入場に際してはボディチェックもある。自閉症のジェイソンには苦痛しかない。それでも彼は、ドイツ国内にある1部から3部のサッカーチームすべて(56チーム存在する)をスタジアムで観戦すると決めた。
ちなみに本作は、実話を元にした物語である。映画の最後には、「ジェイソンとミルコは、今もスタジアムを回っている」と字幕で表示された。
さてでは、何故ジェイソンは、自閉症児には苦痛でしかない環境にも拘らず、サッカースタジアムまで足を運ぶことにしたのだろうか? それは「推しチームを見つけるため」である。
ある日ジェイソンは学校で、「どこのファン?」と聞かれる。それに対してジェイソンは「アインシュタインのファンだ」と答えるのだが、同級生たちの質問は当然サッカーチームについてだった。ジェイソンは「決めてない」と答えるのだが、同級生たちは「ゆりかごにいる時にはもう決まってるのに、こいつはゆりかごから落ちたんだ」と馬鹿にしてくる。
そういうことが頭に残っていたのだろう、祖父母がテレビでサッカー観戦している最中、ジェイソンは突然「推しを決めたい」と言い出した。夫や妻一家(祖父母は妻の両親である)がそれぞれ地元のチームを推すのだが、ジェイソンは「全部観てから決めたい」という。父親のミルコは、そりゃあいいと賛同、そして「毎週末にスタジアムに連れて行くから、学校では大人しくすると約束できるか?」と持ちかけた。ジェイソンは学校で常に問題を起こしており、校長からは「これが続くようなら特殊学校への転校も考える」と言われてしまったのだ。
さて、この時父親はまだジェイソンの「全部」の意味を理解していなかったはずだ。恐らく彼は「1部リーグの全部だろう」と考えていたはずだ。しかしジェイソンは3部まで全部観るという。「週末に連れて行く」と約束した後だったので、もう撤回できない。
というわけで、ジェイソンと父親の長い長いスタジアム旅が始まることになるのである。
さて、そんなスタジアム感染にもジェイソンなりのルールがある。「何があっても最後まで観戦する」「サポーターの席に座る」というのはまあ当然だが、「シューズの色が地味」「選手が円陣を組まない」など、そりゃあなかなか難しいだろうというルールもある。まあそんなわけで、ジェイソンはそんなルールで「推しチーム」を探し始めるのである。
さて、観戦中のジェイソンも面白い。自閉症には「冗談が通じない」という特性もある。つまり「言葉を言葉のまま捉える」ということだ。例えばサポーターが「何やってんだクソが。帰れ!」みたいな野次を飛ばすとする。それに対してジェイソンは、「クソには足がないから帰れないよ」と冷静にツッコミを入れるのだ。そう言われたサポーターが即座に「帰れこの豚!」と言い方を変えていたのも面白かった。
さらに観戦中のツッコミで言えば、サポーターが歌う応援歌の歌詞の一節「永遠にNo.1」に対してのものが一番興味深かった。僕は、この歌詞の歌を歌っている時点で、「ジェイソンはきっとここにツッコむだろうな」と思っていた。「永遠」というのは未来のことであり、未来がどうなるかは分からないのだから、「永遠にNo.1」という表現はおかしい、というのだ。確かにその通りである。
しかしジェイソンはなんと、自分が発したこの言葉を逆手に取られ、父親に言い負かされてしまう。このシーンは凄く良かった。何よりも論理的であることを重視するジェイソンは、感情的な説得にはまったく応じないが、「自分がかつてした発言と矛盾した行動を取るわけにはいかない」と考えたのだろう、頑なだった態度を変えるのである。シーンとしても痛快だったし、ジェイソンの理屈を理解する上でもとても興味深かった。
さて、本作は「ドイツ中のサッカースタジアムを巡る旅」なので、僕は全然興味はないのだが、サッカーファン的にも楽しめるのではないかと思う。56すべてのスタジアムが映るわけではないが、恐らくメインどころは舞台になっているのだろうし、映像を通じてその雰囲気を知れるのも良いのではないかと思う。
全体的には心温まる物語で、そういう映画として評価されると思うが、個人的には、「自閉症」への解像度がこれまでよりも高まった感じがあって、そのことがとても興味深かった。広く色んな人に勧めやすい映画である。