【映画】「国境ナイトクルージング」感想・レビュー・解説

何が起こるわけでもない、「青春」と呼ぶにはちょっと大人になりすぎた3人のちょっとした日々を丁寧に描き出す作品だ。しかし、「ちょっと映画『少年の君』っぽさもあるなぁ」と思っていたら、主演女優はまさに『少年の君』のヒロインを演じていた人だそうだ。

本作ではナナという役名で登場する彼女の存在がとても良く、個人的には、彼女の存在で作品が成立している感じさえあると感じた。あまりに何も起こらないので、キャラクターの魅力による下支えが不可欠な作品という感じがするが、その役割を彼女がきちんと担っていたと思う。特に、「男2 女1」の3人組だと、女性の存在感が重要になってくる気がするし、彼女の「何を考えているのか分からないけど、何故か惹きつけられてしまう」という雰囲気は重要だったなと思う。

さて、いつもの如く作品についてほとんど知らずに観に行ったので、最初はなんとなく「韓国映画」だと思っていた。「北朝鮮との国境の町」が舞台になっていることからそう思ったのだけど、作中でナナが「そのギターは、韓国に出稼ぎに行ったルームメイトのもの」と発言する場面があったので、そうか韓国じゃなくて中国なのか、と感じた。

本作は、そんな中国の「延吉」という場所が舞台なのだが、中国国内でこの地がどのような扱いになっているのかも、日本人の僕には映画を観ているだけでは理解しにくかった。公式HPによると、「北朝鮮との国境の町で、朝鮮族が多く、独特の文化を持つ彼らの生活を観に行くツアーは人気」だそうだ。その一方で、「川を渡って北朝鮮から密入国する者も多く、『脱北者が身を潜めて暮らす町』という側面もある」そうだ。

ちなみに作中では、長白山(作中で「白頭山(ペクト山)」と言ってた気がしたんだけど、どうやらそれは韓国側からの呼び名だそうだ)という山に登るというシーンが出てくるのだけど、この長白山も中国人(あるいは延吉の人)にとってどんな意味があるのか分からない。日本人にとっての「富士山」みたいな存在なのか、あるいは「世界最高地である山頂のカルデラ湖・天池」が観光スポットとして単に人気なだけなのか。なんとも言えないが、主人公の1人であるハオフォンが長白山に行くことにかなりこだわっていたような印象があったので、何か意味のある山なのかなと思ったのである。

ちなみに長白山には昔から言い伝えがあるそうだ。山には「人間になりたいと思っている虎と熊」がいた。そこで神様は彼らにニンニク(ともう1つ何か)を与え、「100日間洞窟にいたら人間にしてやる」と約束した。虎は空腹に耐えられず3日で諦めて出てしまったのだが、熊は頑張り、洞窟に入ってから21日後に、自分が人間の女になっていることに気づいたそうだ。それからは「熊女」と呼ばれるようになったのだという。

この話も、結局何だったのかよく分からない。作品全体を貫くような何か意味を持つ逸話だったのか、あるいは単なる雑談の1つに過ぎないのか。

本作は、「はっきりした描写」が少ないため、些細な描写から色んなことを汲み取るしかないのだが、しかしそれにしても、中国の文化的な背景にちょっと疎いこともあって、「何に意味があって、何に意味が無いのか」が上手く掴み取れなかった。

また、上手く掴めなかったと言えば、3人それぞれが抱えているものもまた、とても掴みにくい。

結果として一番わかりやすかったのは、ナナだろうか。彼女については、最初は全然分からない(その振る舞いからは、「葛藤を抱えていること」さえパッとは分からない)のだけど、少しずつ具体的に描かれていく。ただ、3人の中では一番具体的に描かれているというだけの話で、彼女についても「なるほど、そういうことがあって今こうなっているのね」と納得出来るほどの情報はない。「何となく察することが出来る」ぐらいのものだ。

そして、次に理解できるのがシャオだろうか。彼は元々四川にいたのだが、勉強が好きになれなかった。そんな折、叔母さんが店を出すことになり、「ついていけばとりあえず仕事はある」と考えて延吉にやってきたのだった。「四川」と「延吉」の関係が僕には分からないのだが、そんなシャオは「俺はここから出たことがない」「外の世界を知らない」みたいなことを言う。彼は正直、そこまで葛藤的なものを抱えているようには見えないのだが(少なくとも3人の中では)、「上海からやってきたハオフォンに、恋心を抱いていたナナを取られた」的な感覚があるからだろうか、「こんな狭い世界にいる自分がダメなんだ」的な感覚を意識させられることになったのかもしれない。

さて、一番理解できないのはハオフォンである。彼については正直、「誰かからの電話を待っている」ぐらいの描写しかなかった。彼が誰からの電話を待っているのか、そしてそれはどういう内容のものなのかが推察出来るような情報はなかったような気がする。

ただ彼は、友人の結婚式中もスマホを確認しているし、待っている相手からではない電話(カウンセリングクリニック)に悪態をついたりする。それぐらい、とにかく電話を待ちわびているのである。

彼は、「母親が教育熱心で、勉強を頑張ったのも家を出るため」みたいなことを言っていた。上海で金融関係の仕事をしており、身につけているものも高価である。恐らく、外面だけからは「幸せに生きている」みたいに見られる人なんだろう。しかしそんな彼はナナとシャオに、「すべてを終わらせたいと思ったことはないか?」と聞く。それに対してナナが、「自分で死ぬのも勇気が要る」と言い、そんな2人に対してシャオが「お前ら2人、飲み過ぎ」と言って嗜める。別になんてことはないシーンなのだけど、ただ、シャオはもしかしたらここで、「自分と彼らの距離」みたいなものを感じ取ったかもしれない。

そうか、そう考えると、ラストでナナからの「ある行為」の後にシャオが立ち去った理由も理解できるかもしれない。観ている時には思いつかなかったが、シャオはその少し前の場面でも、ナナに対して絶望的な距離感を感じたはずだ。長白山の山頂付近での、驚きの出来事への反応に対してである。「自分とナナは、同じ世界を生きていない」とシャオは感じたのかもしれない。もしそうだとしたら、納得できる感じもある。

さて、本作では「氷」が割と重要なアイテムとして登場する。原題は『燃冬』で、中国語の意味を調べてもよく分からなかったが、英題は『THE BREAKING ICE』で、「砕ける氷」である。本作の冒頭は、「川(か湖)の氷を切り出して運搬する」というシーンから始まる。結局これがどういう意味を持つシーンだったのかよく分からない。その後の物語とは特に繋がらなかったように思う。作中では主に、ハオフォンが「氷」と関わっている。

結婚式の宴の場でも、3人で行ったナイトクラブでも、ハオフォンは独り氷を口に含んでいる。そしてそうしながら、涙を流したりするのである。その理由も、よく分からない。自分に痛みを与えて何かの痛みと相殺しようとしているのか、あるいは、親しい誰かが感じていた痛みを同じように体感したいと願ったのか。

「氷」は実は、ナナにも関わってくる。となるともしかしたら、冒頭の氷の切り出し作業は「シャオが冬だけ手伝っている仕事」みたいな感じだったりするんだろうか? そうだとすれば、「主要な登場人物3人が何らかの形で『氷』と関わっている」ということになり、「そんな3つの氷が一体となったり、融解して分かれたり、あるいは砕け散ったりする」みたいな様を描いていると言えるかもしれない、うーん、分からないが。そういえば「氷の迷路の中で彷徨う3人」みたいな場面もあったなぁ。あれも何だったのかよく分からないけど。

まあそれはともかく、「氷」は割と重要なモチーフだった気がするから、邦題の『国境ナイトクルージング』はちょっとイケてないように思う。

さて、よく分からないと言えば「万引きの常習犯」の描写もよく分からなかった。あちこちで万引きを繰り返し指名手配されている男がいるというニュースが流れ、その後あちこちでその男の手配写真が映し出される。なんと20万元の懸賞金が掛けられている。今日のレートだと、1元は約20円らしいので、20万元はざっくり4000万円である。日本の場合は、「原則300万円、特別な理由がある場合には最大1000万円」らしいので「破格の金額」と言えるだろうし、それが「万引き犯」に対して掛けられているというわけだ。

この描写は一体なんだったのか。これもまた「中国文化」を知らないが故だが、「懸賞金4000万円はそもそも高いのか」も、「万引き犯に掛けられる懸賞金としては高いのか」も分からない。その辺りの前提が日本人にはないので、「20万元の懸賞金を掛けられた万引き犯の描写」が一体何を示唆しようとしているのかも分からないのである。

まあそんなわけで、「中国という国の背景を知らない日本人」には、ちょっと受け取り方が難しい映画なんじゃないかなという気がする。

ただ、「物語を捉えよう」みたいなことではなく、「映像を受け取ろう」みたいな見方をするなら、結構楽しめるかもしれない。別に「映像美」というような映像ではないのだけど、「夜の動物園」とか「雪降り積もる山」、「水が凍った川」などは良い雰囲気だし、ナナ・ハオフォン・シャオの3人の関係性は割といつも画になる。3人の距離感が絶妙で、ハオフォンはよそ者であることを自覚しつつ3人の関係性にこれまでに無い何かを感じているように見えるし、シャオは昔から友人であるナナのことがずっと好きなはずなのに絶妙にかわされているし、ナナはそんな2人を振り回していく。愛だの恋だのといった直接的な言葉のやり取りは少ないのだけど、ナナとハオフォン、ナナとシャオの間に確かに流れる何かがある感じがして、そしてだからこそ、ハオフォンとシャオの距離感も絶妙(あるいは微妙)になっていくところも良い。

そんな風に感覚的に捉えると良い感じに見えてくるだろうし、そういう意味で、観る人によって受け取り方に大きな差が出てくる作品とも言えるかもしれない。

何にせよ、ナナを演じたチョウ・ドンユイが良かったし、思いがけず、ハオフォンを演じたリウ・ハオランも良かったなと感じた。

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長江貴士
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