【映画】「ロイヤルホテル」感想・レビュー・解説

いやー、なるほど。公式HPに書かれているイントロダクションを読んで、ようやく本作の「意味不明さ」の正体が理解できた。なるほど、実在する店がモデルなのか。

というわけで、まずは本作が作られた経緯から書いていこうと思う。

きっかけとなったのは、2016年に作られたドキュメンタリー映画だった。『HotelCoolgardie』(原題)という名前だそうで、「フィンランドのバックパッカー女性2人が、オーストラリア西部のパブでハラスメントを受ける様を記録した作品」だそうだ。そして、本作『ロイヤルホテル』の監督であるキティ・グリーンは、自身が審査員を務めたある映画祭で先のドキュメンタリー映画の存在を知り、このドキュメンタリー映画をモチーフに作品を繕うと考えたのだそうだ。

そしてそんな「事実を基にしている」からこそ、本作は「意味不明」なのだと思う。

本作は冒頭から、ほとんど意味不明に展開していく。「カナダに住む女性2人が、ワーキングホリデーを利用して、『ロイヤルホテル』という名前のパブで働く」という設定こそ普通だが、その「ロイヤルホテル」というパブにやってきてからは、本当に意味が分からない。鉱山地域にあるそのパブは男ばかりで、身体を触るみたいなことこそないものの、言葉でのセクハラや、モノに当たって脅すような暴力が当たり前のように起こる。常連客の中には女性が1人だけいるのだが、何故か彼女もセクハラを助長するような言動ばかり取る。

ここで働くことにしたのはハンナとリブの2人なのだが、この2人性格が大分違う。初日からこんな環境にうんざりして辞めたいと言っていたハンナに対して、リブは、特段この状況に嫌悪感を抱いていないのか、「数週間我慢してお金を稼ごう」とハンナを説得する。そしてその後も、「苛立つハンナと、溶け込むリブ」という状況が続き、ハンナだけが孤立していくような感じになっていく。

客にはもちろん、2人に声を掛けて遊びに連れて行こうとする者もいる。そういう誘いには乗ったり乗らなかったりだが、それで色々起こったりもする。

という感じで展開していくのだが、作中で起こる色んな展開が、なんというのか「尻切れトンボ」的に終わっていく。

本でも映画でも、フィクションに触れる場合、「こういう展開になったら、次はこんな風になるだろう」みたいなことを想像したりするだろう。それが当たったり外れたりするわけだが、本作の場合、当たりも外れもない。何故なら、「次はこんな風になるだろう」というその次の展開が存在しないからだ。「思ってたのと違う展開になった」みたいなことではなく、「全然違う展開が始まっていく」という感じだ。展開1つ1つに決着を付けずに、どんどんと次に進んでいくという印象である。

それが「意味不明」という印象に繋がっていくのだが、しかし実話を基にしていると知って理解できた。というのも、「現実で起こることって、大体こんな感じだから」だ。現実世界では、「納得できるオチ」も「伏線回収」も存在しない。その雰囲気をそのままフィクションに持ち込むと「物語的ではない」という印象になり、僕が感じたような「意味不明さ」として浮き出てくると思うのだが、実際に起こったことがベースになっていると知って納得できたというわけだ。本当に、作品の随所に渡って「この描写は一体なんだったんだ?」と感じるような場面ばかりだった。

まあそんなわけで、最初から最後まで「何なんだこいつら?」という感想しか抱けない。リブに共感できるかは人によると思うが、恐らく大体の人が、本作を観た場合にハンナにしか共感できないだろう。そして、そんな「唯一まともな人間」がマイノリティであるために、彼女の方がキツい状況に置かれてしまうのである。

このパブは、オーストラリアの中でもかなり辺境な場所にあるようで、ある場面で登場人物の1人が、「あと2日はバスが来ないぞ」と言っていた。住民はもちろん車を持っているわけだが、ハンナとリブには足がない。しかも彼らが泊まっているのは、そのパブの2階である。逃げ場はない。だから彼女たちは、どうにか我慢して働き続けるしかないのである。

そうだ、「まともな人間」として挙げるのを忘れていたが、本作にはもう1人まとも側の人間がいる。パブで調理を担当するキャロルである。彼女は、パブのオーナーであるビリーと何らかの関係があるようだが、説明されないのでよく分からなかった。そして彼女は、荒れ狂ったイカれたパブの中で、ハンナとリブの味方をしてくれるのだ。正直、まともな彼女が何故、こんなイカれた環境で働き続けているのかよく分からなかったが、きっとビリーとの浅からぬ関係が関わっているのだろう。

本作で描かれている世界を「男と女の違い」とまとめるのは簡単だが、恐らくそれは間違っているだろう。そう理解させるためにも、常連客に女性がいるという設定にしているのだと思う。では一体何なのかというと、「『閉じられた世界に生きる者』と『帰る場所がある者』の違い」となるのではないかと思う。

具体的には描かれないのだが、パブにやってくる者たち(主に炭鉱労働者)は、「良い生活をしていない」という自覚を持っているのだと思う。どうやら毎晩のように飲みに来ているようなので、金は持っているのだと思うが、金があったところで使い道がない。ある場面で「怪我人を病院に連れて行く」という話になるのだが、その際「ここから北部に車で4時間のところに病院がある」みたいに言っていた。逆に言えば、それぐらい車を走らせないと街には出られないということなのだろう。そして彼らは、そんな「何もないところ」にずっと住んでいて、他に行き場もない。

一方のハンナたちは、ここに数週間滞在して戻っていく人たちだ。しかもオーストラリアではなくカナダから来ている。パブに来ている客は恐らく、「彼女たちと一生会うことはない」と理解しているだろう。

そしてだからこそ、「タガが外れたように何をしてもいい」みたいな感覚になるのだろう。

もちろん、相手が「若い女性」であるという事実は無関係ではない。本作には、常に入れ替わるこのパブの従業員を常に食い物にしているのだろう男も出てくるし、またシンプルに「腕っぷしでは負けないからどうとでも出来る」みたいな感覚もあると思う。だから「性差は関係ない」などと言いたいわけではまったくないのだが、しかしそればかりに囚われていると、本作で描かれていることの本質を見逃すような気がする。

例えばだが、これは僕が勝手にそう感じたことに過ぎないが、この鉱山地域では、「パブにやってくる若い女性をからかうことでガス抜きをし、そのことによって町全体の平穏を保っている」みたいな捉え方も可能だろう。そしてもしもそうだとすれば、彼女たちが受けるハラスメントは「客個人の問題」ではなく「町が内包する問題」ということになる。ハラスメントがシステムとして組み込まれているわけで、だとするときっと、仮にワーキングホリデーでやってきたのが男だとしても恐らく、このシステムに内包されたハラスメントは発動するに違いない。そんな風に感じさせられた。

正直なところ本作は、「ドキュメンタリーがベースになっている」という事実を知らずに観ると、受け取り方が難しいと感じるのではないかと思う。あまりにも「物語の『当たり前』」から外れているからだ。逆に、「実際に存在するパブが舞台になっている」という事実を知った上で観ると、色んな描写の味わいが変わってくるように思う。まあそれでも、意味不明なことには変わりはないと思うが。

さて最後に。これは別に作品とは関係ないが、公式HPを観ていて驚いたことがある。登場人物紹介の「ドリー」と「ティース」が逆なのだ。初めは役名が逆に表記されているのかと思ったのだが、調べてみるとどうも顔写真が逆みたいだ。こんなミス、あるんだなぁ。


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長江貴士
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