【映画】「日日芸術」感想・レビュー・解説

(東京にお住みの方、新宿K’s cinemaでの上映は4/26(金)までなので、興味がある方はお早めに)

いやー、面白かった!まったく想像もしていなかった作品でビックリしたけど、とにかく良い映画だった。しかし、まさかドキュメンタリー映画だとはなぁ。驚いた。

いや、そういうことは時々ある。フィクションだと思っていたけどドキュメンタリーだったとか、ドキュメンタリーだと思ってたけどフィクションだったとか。しかし本作の場合、女優・富田望生が出演していることだけは分かっていたので、そりゃあ疑いもなくフィクションだと思っていた。なので、実はドキュメンタリー映画だったことにメチャクチャ驚かされたのだ。

さて、本作は、冒頭の5分ぐらいはフィクション的に始まっていく(作中にもちょいちょい、フィクション的な演出はある)。というわけでまずは、その冒頭5分の説明をしよう。

この冒頭の導入が、素晴らしく良かったのだ。

女優・富田望生は、喫茶店でマネージャーと打ち合わせをしている。次回出演予定の台本が渡された。そこには『日日是芸術』と書かれている。最初のページをめくると、そこには、「やっぱ自分の踊り方で踊ればいいんだよ」と書かれていた。さて、どんな話なのだろう?

次いで、恐らくその『日日是芸術』の冒頭のシーンだろう場面が、富田望生の演技で再現される(映画の設定的には、喫茶店にいる富田望生が、頭の中で台本を読みながらイメージをしているという感じ)。何かぶつぶつと口にしながら歩いていた主人公(富田望生)は、車のクラクションで立ち止まった。するとそのすぐ脇に、今まで見覚えのない喫茶店が。なんとなしに入ってみると、そこは、天井からおびただしい数の「メガネ」が吊るされた、変な空間だった。

どうやら喋ることが出来ないらしい店主の男性から、吊り下げられたメガネを1つ受け取り、彼女はそれを掛けてみた。すると、今まで喫茶店の中にいたはずなのに、すぐにどことも知れない道路上にいる自分に気づく。そして目の前の道をおもちゃのような車が走り、空を見上げれば怪物みたいなものが飛んでいる。

なんとなく分かってきた。どうやら、このメガネを掛けていると、普段とは違ったものの見え方になるようだ。そうして彼女は、いつの間にか夜の東京タワーの真下にいる。メガネを掛ければほら、ちょっと変わった東京タワーが見えてくる。

彼女は東京タワーのエレベーターに乗る。すると、どうやらエレベーターガールも、彼女と同じメガネを掛けているようだ。エレベーターガールから、この不思議なメガネについてざっと説明があった後、エレベーターの扉が開く。

するとそこは、これまたどこかも分からない広い民家の玄関先だった……。

こんな風にして映画がスタートしていく。そして、この民家の住む住民に会いに行くところから、概ねドキュメンタリーが始まっていくという流れである。

しかし、先に書いておくと、冒頭5分のフィクションパートは、作品全体と無関係というわけではない。それは、「個々人のものの捉え方は異なる」というメッセージを伝える意味だけではなく、より実際的な関わりがあるのだ。その辺りについてはまたおいおい触れることにしよう。

さて、ここまで意識的に書かずにいたので、本作が一体何のドキュメンタリー映画なのか、さっぱり分からないだろう。本作は実は、「何らかの形で障害を持つ人たちによるアート」を紹介していく作品なのだ。アート作品だけが映し出される場合もあれば、アーティス本人が出てくる場合もあるが、いずれにせよ、「障害者によるアート」がテーマになっている(中には、障害者ではないだろうという方もいる)。

しかし、別に「障害者によるアート」を単に紹介するというだけの作品ではない。その辺りの説明のために、タイトルの「日日芸術」と絡めた話をしよう。

「日日芸術」というタイトルについての説明は特に無かったが、明らかに「日々是好日」からの連想だろう。そして「日々是好日」とは、「来る日も来る日も楽しく平和なよい日が続くこと」という意味だそうだ。これを踏まえれば、「日日芸術」は「来る日も来る日も芸術に浸っている」みたいな意味合いに受け取れるだろうと思う。

そして本作では、まさにそのような人たちを取り上げているのである。

本作のチラシには、「アール・ブリュット」という単語についての説明が書かれている。直訳的には「生の芸術」という意味だそうで、「既存の美術や流行などに左右されずに、衝動のままに表現した芸術」のことだそうだ。英語では「アウトサイダーアート」と呼ばれているそうで、こちらの名前の方が馴染みがあるだろうか。

この説明を呼んで僕は、「アウトサイダーアート」の意味を誤解していたなと思う。そのまま「アウトサイダーが生み出したアート」だと思っていたのだ(ただ調べてみると、「アウトサイダーアート」には実際、「正規の美術教育を受けていない者によるアート作品」という意味もあるらしい)。本来的には、「衝動のままに表現した芸術」という意味なのだと、改めて理解できた。

さてでは、「衝動的」とはどういうことだろうか。色んな概念を含むだろうが、まずパッと思い浮かぶのは「同じものばかり描く・作る」と言ったことだろう。

さて、ここでメガネの話に戻る。富田望生が謎の喫茶店に入って受け取ったメガネは、別に映画的な小道具というわけではない。これも立派な「アール・ブリュット」なのだ。北海道の施設に17歳から35年間暮らしている高丸誠という人物が作り続けているものだ。

映画の中では、彼の実家も映し出されるのだが、そこには、いくつもの段ボール箱にぎっしりと詰め込まれたメガネが大量にあった。母親の話では、1万個ではきかないだろうとのことだった。しかも、父親が一度大量に処分している、というのだ。彼が生涯に作った(今も作っている)メガネの数は、一体いくつになるだろうか。

また、個人的に最もインパクトが強かったのが、井口直人という人物だ。彼はなんと、「毎日コピー機で自分の顔をコピーする」のが日課なのだ。コピー機の台の上には様々なモノを置き、自身の顔と一緒にコピーしている。フルカラーだと値段が高いので2色刷りにしている。しかしそのせいで、フルカラーでは出ないような味が出ている気もする。

このように本作では、「『世に出そう』とか『評価してもらいたい』みたいなことを一切考えず、『ただそのように身体が動いてしまうからしているだけ』というようなアーティスト」が取り上げられていく。

僕は、「障害者」に対して「純粋」という言葉を使いたくないので、このように表現するのはちょっと自分の中で抵抗があるのだが、しかし映画を観ながら、「取り上げられているアーティストの純粋さ」みたいなものがとても印象に残った。これは別に、「人柄が良い」みたいな性質の話をしているのではない。そうではなくて、「『創作』というものに真っ直ぐ取り組んでいる」と感じたというわけだ。いや、「取り組んでいる」という表現も正しくないのか。きっと彼らには「取り組んでいる」みたいな感覚はないはずだからだ。恐らく、「そうせずにはいられない」みたいな感覚の方が近いのだろう。

そして、「そういう対象と出会えたこと」だけを取り出してみれば、とても羨ましく感じられる。

作中に、曽良貞義というアーティストが登場する。2012年に、うつ病から双極性障害を発症し、死にたくなるような衝動と闘いながらギリギリの生活を続けていたのだが、ある日突然絵を描き始めた。彼の表現を借りれば、「何かをダウンロードしたような感覚」だったそうだ。そしてその「ダウンロード」が終わった瞬間に、「天才になった!!」と妻に告げ絵を描き始めたそうだが、妻は、双極性障害の躁状態が悪化したのではないかと不安だったそうだ。

その彼が話していたのだが、「絵と出会うことで『自分を愛する』ことが出来るようになり、死にたい気分にならなくなった」そうだ。そのことが何よりも良かったと話していた。その後妻に「結婚できて良かったー! ありがとうー!」みたいなことを言っている場面があり、富田望生も妻も泣きそうになっていた。なんというのか、「幸せ」が過剰に溢れ出しているみたいなシーンで、僕の中では結構印象的な場面だった。

監督は、NHKで「no art, no life」などの番組を担当しているらしいが、一体このようなアーティストをどこから見つけてくるんだろうと感じさせられた。その最たる存在が、小林伸一である。彼は、72歳の時に突然絵を描き始めたという。自宅の外壁も内壁もとにかくあちこちに絵を描きまくり、紙にも常に何か描き続けているみたいな人だ。こんな人、ホントにどこから見つけてくるんだろうと思う。

映画を観ながら感じていたことは、「アートには『失敗』という概念はないはずだからいいな」ということだ。社会の中で生きていると、当たり前のように「正しい/間違っている」という評価にさらされてしまう。仕事においてそれが最も強く出るだろうが、他にも「家を買ったことは正しかっただろうか」「子どもに受験させない選択は間違いだっただろうか」など、様々な点で「正しい/間違っている」という評価がついて回る。

しかし、アートにはそれがない。

もちろん、「アートで食べていこう」と考えているのであれば、「売れない」「評価されない」ことは「失敗」だろう。しかし「アール・ブリュット」の場合、売れるかどうか、評価されるかどうかなど関係ない。「衝動」が形になったものがアートなのだから、「失敗」なんてことはあり得ないのだ。

そして、そういう世界で生きられるというのは、凄く穏やかなことなんじゃないかと感じた。
きっと多くの人が望みつつも、現実的には無理だよねと感じているような生き方を、彼らが実践しているように見えた。これもまた、その点だけ切り取ってみたら「羨ましい」と感じるようなポイントではないかと思う。

さて、鑑賞後に監督によるトークイベントがあり、その中で、作中にも登場した「自然生クラブ」の3名も登壇していた。「自然生クラブ」というのは、障害者たちと共同生活を行いながら、アート的な活動も行っている施設である。作中ではダンサーとして映し出される彼らは、本作の音楽を担当したパスカルズの演奏に合わせて、映画館内でダンスを披露していた。

しかし、彼らの面倒を見る施設長としては、ちょっと不満の残るお披露目だったようだ。というのも、彼らは筑波山の麓からやってきているのだが、新宿の人混みや街並みにもの凄く緊張してしまったようだと施設長は語っていた。普段はもっと広い会場で、1000人ぐらいのお客さんがいても華麗にダンスするんですよと説明していた。まあ、東京は、人多すぎますからね。

そんなわけで、とにかくまったく想像もしていなかった作品だったが、観てよかったなと思う。富田望生をキャスティングしたのも絶妙だといえる。というのも、彼女のことなど何も知らないが、「『アール・ブリュット』に興味を抱きそうな人」という印象が滲み出ているからだ。ここの人選を誤ると、見え方が嘘くさくなってしまうので、富田望生というセレクトは素晴らしいと思うし、彼女もまた、イメージ通りの感じで「アール・ブリュット」への関心を示していたのがとても良かった。

なかなか上映館の少ない作品だが、個人的には結構オススメだ。機会があれば、是非観てほしい。

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長江貴士
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