【映画】「ミツバチと私」感想・レビュー・解説
以前、『リトル・ガール』というドキュメンタリー映画を観たことがある。本作『ミツバチと私』の主人公とほぼ同じぐらいの少年が、「自分は女の子だ」と主張し、可愛い筆箱やスカートでの登校を望んでいるが、恐らくフランスの田舎なのだろうその地域の学校はそれを認めず、彼を「男の子」としか扱わない、という内容のものだった。
僕はその映画を観て初めて、「性的指向」と「性自認」をちゃんと区別出来た。
『リトル・ガール』の少年は、2~3歳の頃から「自分におちんちんが生えているのが嫌だ」と言っていたそうだ。僕にはその話が、当初とても不思議だった。というのも、「性的指向」と「性自認」を混同していたからだ。だから、「恋愛をするような年齢になって初めて、自分の性を自覚するのだ」という感覚でいた。しかし映画を観て、あくまでもそれは「性的指向」の話であり、「自分が男なのか女なのか」という「性自認」とはまったく違う話なのだと理解できた。
『ミツバチと私』もまさに、男の子として生まれた主人公アイトールが、「自分は女の子だ」と自覚しているという話である。そして、そのことを家族に言えずに苦しんでいる。
そもそも難しいのは、両親共に「子どもの話を聞く」ような態勢にないということだ。父親は、理由はよく分からないが、家族のバカンスに一人着いていかないぐらい何かで忙しいようだ。また母親は、自身の母親が住むスペインへとやってきたのだが、バカンスと言いながら、父親が使っていた工房に大層な荷物を運び込んだ。物語の後半で理解できることだが、彼女は美術学校の講師になれるかもしれないという状況にあり、彫像の提出作品を仕上げようとしているのだ。そんなわけで、母親もまた忙しい。
また、「忙しい」以外の理由もきっとあっただろう。たぶんアイトールには、「話しても理解してもらえるはずがない」という感覚があったはずだ。アイトールがどうしてそう判断したのか、それは分からないが、「アイトールがきっとそんな風に感じているはずだ」という雰囲気は、物語の随所で感じられる。
例えば、家族でプールに行くのだが、アイトールは入りたがらない。その理由を問われて、アイトールはしばらく口をつぐむのだが、しばらくして「足の指が恥ずかしい」と口にするのだ。しかし、観客の視点からすれば、「きっとそれは嘘だろう」と分かる。アイトールはどう考えても、「男の水着でプールに入らなければならないこと」を嫌がっているはずだからだ。しかし、そう言っても理解してはもらえないと分かっていて、彼は嘘の理由を告げるのだ。
『リトル・ガール』では、主人公は家族の理解は得られていた。しかし、『ミツバチと私』では、アイトールは周囲に理解者を見つけられていない状態から物語が始まっていく。これはかなりキツいだろう。
僕は、こういうLGBTQの話は「マジでどうでもいい」と思っているので、自分が関わる相手がLGBTQの何かだろうが別に何でもいい。実際、少し前に「トランスジェンダー」だという人と知り合ったことがある。また僕は結婚もしていないし子どももいないので説得力はないが、自分の子どもがLGBTQだろうがなんだろうが、別にどうでもいいと感じると思う。
だから、正直僕には「何を嫌がっているのか」が上手く捉えきれない。
ただ、作中では、アイトールの母親が自身の母親に「育て方が悪いっていうの?」と言ったり、あるいはアイトールの父親が「甘やかし過ぎだ」と言ったりする場面がある。LGBTQなんか別に「生まれ持ってのもの」であって、他者からの介入で何かが変わるものではないはずなのだけど、「自分の子どもがLGBTQ」という場合、「親に何か責任がある」という風に受け取ってしまうし、受け取られてしまうのだろうと思う。まあきっと、それが嫌なのだろう。そういう「クソどうでもいいこと」によって子どもが苦しめられる現実は、本当にどうしようもないなと思う。
作中では、あたかも「生まれてきたことが悪いことだ」という示唆を与えるかのような描写が積み重ねられていく。もちろんこれは、「アイトールがそんな風に感じてしまっている」という描写だろう。例えば「洗礼って何?」とアイトールが聞く場面。「罪を洗い流すの」という返答に対してアイトールは、「その子は何か罪を犯したの?」と問う。あるいは、アイトールの祖母が飼っているミツバチの巣を焼いている場面で、「どうして?」と問うアイトールに、「アメリカ腐蛆病に掛かっているから」と答える。また、幼い赤ちゃんを抱えるある母親にアイトールが、「この子が自分の名前を嫌がったら?」と聞いたりもする。
アイトールはある日、祖母と一緒に寝るのだが、そこで「私はなんでこうなの?」と聞いたりもしていた。祖母は、キリスト教的な考え方なのだろう、「神様は完璧に人間を作ったし、だから私たちは完璧なのよ」と答えるのだが、その返答は、アイトールには恐らく、「完璧ではない自分は、神様の失敗作なのかもしれない」みたいに感じたのではないかと思う。
名前の話で、公式HPを見るまで理解できなかったのは、アイトールが「ココ」とも呼ばれていたことだ。「ココ」の意味を知らなかったので、当初僕は映画を観ながら、「『ココ』というのが、アイトールの女性名であり、だからアイトールは家族から『女の子』として受け入れられている」のだと勘違いしていた。公式HPによると、「ココ」というのは「坊や」ぐらいの意味だそうで、つまり「男の子に向けられる呼び方」というわけだ。アイトールは映画の冒頭から「アイトール」と呼ばれることを嫌がっていたのだが、途中から「ココ」と呼ばれることも嫌がっているみたいな感じになって、僕はちょっと混乱した。難しいとは思うけど、作品を理解する上でこれは結構重要なポイントだと思うので、字幕で上手いこと処理して欲しかったなぁ。
主演の少年がとても上手くて、撮影当時9歳だったそうだが、「役を演じている」みたいな感じがまったくなくて驚かされる。作品は全体的にゆったりと進んでいく感じで、これと言って何か起こるタイプの作品ではない(ので、少しウトウトしてしまいもしたが)が、この主演の少年の存在感がとても強いので、セリフは少ないけど、見事な佇まいだったなと思う。
テーマだけ聞くと、時代性に寄せすぎみたいに感じる人もいると思うけど、あくまでも「トランスジェンダー」というのは大きな柱の1つであり、他にも様々なことが描かれる。アイトールの母親と祖母にもちょっとした確執がありそうだし、ミツバチを含む自然の描き方なんかもとても良いだろう。
全体的に、とても丁寧に作られた、淡々としているけれども見応えのある作品だと感じた。
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