【映画】「みなに幸あれ」感想・レビュー・解説
いやー、これはムチャクチャな話だったなぁ。いや、面白かったし、満足度は高いんだけど、ハチャメチャな話だった。ただ、ちゃんと読み解こうとするとかなり深い話だし、それを「ホラー」という枠組みの中で最大限エンタメにしてて、普段ほとんどホラー作品って観ないけど、観て良かったなと思う。
さて、先に書いておきたいのだけど、「この観客は、どこから湧いてきたんだ」ということ。というのも、僕が観た回が満員だったからだ。
僕は割と古川琴音のことが昔から好きで、それで「ホラーは普段観ないけど、古川琴音なら観るか」と思って映画館に行った。ただ、いくら若手注目株の女優と言っても、「古川琴音」ってまだ「皆が知ってる女優」って感じではないはずだし、今日客席にいた全員が古川琴音とはちょっと思えない。
ただ、本作には正直、古川琴音以外に名の知れた俳優は出ていない。僕はちょっと、松大航也という役者のことは知らなかったので、どれぐらい知名度のある人なのか分からないが、旧ジャニーズというわけでもなさそうだし、そう高い知名度があるとは思えない。そしてこの2人以外は、役者としては基本的に世間に知られている人たちではないと思う。
監督も、本作が商業映画の監督デビューらしいし、たしかに「総合プロデュース」となっている清水崇は超メジャーな人だけど、それだけで皆が「観よう!」ってなってるんだろうか、という気がする。
だからホント、「この観客は、どこから湧いてきたんだ」と強く感じた。まあ、映画館にお客さんが来るのは良いことだから、全然いいんだけど。
ではまず、ざっくりと内容紹介から。ちなみに本作には、登場人物に具体的な名前が出てこない。公式HPでも、古川琴音の役は「孫」、松大航也の役は「幼馴染」という表記になっている。他の人たちも皆、「おじいちゃん、おばあちゃん」「お父さん、お母さん」など、関係性の名前のみで呼ばれている。はっきりとした考察は出来ないけど、記名を廃したのはなんとなくちゃんと意図がありそうだし、作品の世界観にも合っている感じがする。
物語は、「孫」が両親から電話を受ける場面で始まる。荷造りの最中だった彼女は、両親と弟が祖父母の家に来るタイミングが遅れることを知る。東京で1人、看護学校に通う「孫」は、1人で先に祖父母の家に行かなければならない状況を、少し嫌がる。というのも、幼い頃に祖父母の家に泊まった時に、奇妙な物音がするなど、嫌な体験をしたからだ。
しかし、両親に押し切られ、「孫」は1人祖父母の家へ向かう。出迎えてくれた祖父母は以前と変わらない様子だったのだが、次第に奇妙な振る舞いをするようになっていく。天井に向かって放心状態になっていて声を掛けても反応がなかったり、「あなたのことは目に入れても痛くない」と言いながら「孫」の指を手にとって自身の目に突っ込もうとするのだ。「孫」はおかしいと感じつつも、とにかくやり過ごしていく。
滞在中、道でばったり「幼馴染」と再会した。いじめられていた少年が自転車ごと田んぼに落ちていたところに出くわしたのだが、「幼馴染」もそこに現れて、トラックで少年を学校まで送ってあげるのだ。ついでに車に乗った「孫」は、久々に「幼馴染」と話をするのだが、「しばらくいるからまた遊んでよ」と声を掛けたところ、煮え切らない返事が帰ってきてしまう。
さて、両親と弟が今日の昼には祖父母の家に着くというその朝のこと、「孫」は決定的な状況に直面してしまう。しかし、恐れ慄く「孫」に対して、祖父母はそれがさも当たり前のことであるかのように振る舞い……。
というような話です。
正直に言えば、本作の「全体像」はとても捉えにくい。というのも本作では、「どうなっているのか」が具体的には説明されないからだ。もちろん観ていれば、なんとなくだが仕組みは理解できる。ただ、冒頭から伏線っぽく様々に配置された要素が、通常であれば「『どうなっているのか』を解説すること」で回収されるはずなのだが、それが無いので、「色んなことが分からないまま終わった」という感じが強い。
ただ、それが悪いかというとそうではない。というのも、「ある村で起こっている出来事」を描いているように見せて、実は本作は「僕らが生きている社会全体」を描像しようとしているからだ。そして、「僕ら観客も、自分たちが生きている社会の『仕組み』の全体像は理解できていない」ということが、「映画『みなに幸あれ』内の『仕組み』が理解できない」というと対比されているよう思う。
しかしそうだとすると、1つ気になるのが、「『孫』以外の人たちが『仕組み』を理解していること」である。作中で「孫」は何度か、「知らないの?」「まだ教えてもらってないんだ」みたいなことを言われる。作中の描かれ方の雰囲気からすると、「『孫』以外の人は全員知っている」という感じがする。もちろん、そのことが「孫」にとっては恐怖体験そのものとなっていき、それを観客も体感することになるわけだが、「『孫』以外の人が全員知っている」という状況が一体何と対応させようとしているのかが、ちょっとピンと来なかった。
本作では、ある「犠牲」が描かれ、「みなの『幸せ』は、その『犠牲』の上に成り立っている」という世界観が描かれていく。そして、本作の最も興味深い点は、「その『犠牲』が『人間の形』をしている」ということだろう。
作中では、「孫」に「あれが『人間』に見えるの?」と問う人物が出てくる。これは決して、そう口にした者だけの感覚ではない。「仕組み」を知るすべての人間の総意と言っていいだろう。
しかし、その「犠牲」は間違いなく「人間」なのだ。それは、「あなたは可愛いんだから、街にでも行って探してくればいいじゃない」というセリフからも理解できる。恐らくだが、「人間」を「犠牲」にすることで「人間ではないものとして扱われる」という解釈をしているのだろう。
こうやって文字にすると「狂気的」に感じられるだろうが、実はそうではない。映画の冒頭で「豚」の話が出てくるからだ。祖母が作った豚の角煮(かな?)を食べながら、祖母が「豚は食べられるためだけに生まれてくる」みたいなことを言う。それに「孫」が「そんなことはないと思うけど」と反論すると、祖母はちょっと語気を強めて「孫」の意見に反対するのである。
さて、多くの人にとって日常生活では起こらないだろうが、そういう状況になれば大体の人が「豚」「牛」「鶏」を可愛がることが出来ると思う。これは、それらを「生き物」として捉えていることになる。しかし、それとは別に、「豚肉」「牛肉」「鶏肉」を平気で食べることも出来る。それは、これらを「食べもの」と捉えているからだ。これもまた、「犠牲」とプロセスを経ることで僕ら自身が、物事の捉え方を意図的に変えている事例と考えていいだろう。
そして村の人間は、同じことをしているに過ぎないと解釈することも出来るのだ。そう捉えると、この村の人たちの「狂気」を非難しにくくなる。
つまり本作は、「僕らが『当たり前のこと』としてまったく罪悪感なく行っていることを『人間』に置き換えることによって、『恐怖』と『思索』を与える作品」なのである。
例えば、地球外知的生命体が地球を観察しているとしよう。その地球外知的生命体が「植物」しか食べない種だとしたら、「他の生き物を殺して食べる地球人」を「とんでもなく野蛮で下等な生物」と判断するかもしれない。そして、そんな「地球外知的生命体目線で地球人を見る」ような体験が出来るのが本作なのではないかと思う。
ただ、先程も少し触れたが、「どうなっているのか」の説明が無いために「宙に浮いてしまっている伏線」みたいなものが結構ある。もちろん、それらを観客が自分なりに繋ぎ合わせて何らかの解釈をすることは出来るし、先程も触れた通り、「どうなっているのか」を具体的に描かなかったことによって面白さが増している部分もあると思うのだが、「思索」という意味ではなかなか深掘りが難しくなる。「恐怖」を与えることを優先したのだと思うけど、個人的にはもう少し「思索」のためのヒントになるような要素が欲しかったなと思う。
とても面白いテーマを「ホラー」という文脈に編み込んで描き出しているなと感じるのだが、上述の点が少し残念だったかなと思う。個人的には、「狂気」がもう少し減ったとしても「思索」の余地が増えてほしかったなと思う。最近は、直近だとドラマ『VAVANT』なんかもそうだが、「考察的要素」があると思いがけない広がりを持つ可能性が出てくるので、「広く作品を観てもらう」という意味でも、もう少し「思索」のための補助線みたいなものがあっても良かったと思う。
物語の最後の方の展開は、「社会の大きなシステムに個人がどう立ち向かうか」みたいな展開の帰結という感じで、「まあそうなるか」という感じだった。作品としての良し悪しとは別に、「そうなるしかないよな」みたいな感覚もあって、諦めの気持ちだったり残念の気持ちだったりで色々グチャグチャした。しかしマジで、自分がこの世界に生きていたら(まあ、僕の考察通りなら「生きている」んだけど)、どうやって折り合いをつければいいんだろうなぁ、って気になった。つけれるかなぁ、折り合い。
演技のことで言うと、古川琴音はやはり流石で、他の人たちが全体的にそこまで上手くないせいで、上手い古川琴音がちょっと浮いてしまうような感じさえあった。特に、結構登場シーンの多い祖父母の演技が「ちょっとなぁ」という感じだったのだけど、しかし観ていく内に「これはこれでアリなのか」と感じた。意図的だったかどうかは不明だが、「祖父母の演技が上手くない」ことによって、「祖父母の振る舞いがもたらす違和感」が増す感じがあり、結果としてそれは、冒頭の「不穏感」みたいなものを高める要素になったと思う。
あと、「怖い」というより「痛い」と感じさせるシーンが作中に結構あって、「どうやって撮ってるんだろうなぁ」と感じたりした。特に、「孫」が裁縫道具を取り出したシーンは、「マジでどうやってるんだこれ」って感じだった。
「これ笑うところなんだよなぁ」っていうようなシーンもあるんだけど、もう笑っていいんだか全然分からないような作品のテンションがぶっ飛んでて、「俺は今何を見とんねん」みたいな感覚にもなる。「ホラー」って銘打たれてるけど、なんか自分の内側がちょっとずつ腐っていくみたいな怖さという感じで、この映画から離れれば「恐怖」からも遠ざかれる、みたいな作品ではないのが、よくある「ホラー」とはちょっと違うような気がする。「映像を通じて、目から何か体内に埋め込まれたんか」っていうぐらい、自分の内側に「いやーな何か」が残るような作品で、結局これは「考え続けること」によってしか溶かせないような気もする。
全編に渡って「お前の物語だからな」と突きつけられている感じがあって、何よりもそのことに恐怖を抱かされた感じがする。
しかし何にせよ、古川琴音がとても良かった。
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