【映画】「フェラーリ」感想・レビュー・解説


なかなか面白い作品だったが、思っている感じの作品とは少し違った。なんとなく、「レースに全精力を掛ける人間の狂気」みたいな、『フォード vs フェラーリ』や『グランツーリスモ』みたいな感じだと思ってたのだけど、そうではなく、どちらかと言えば「家族の物語」だった。「だからつまらなかった」ということはないのだが、自分の中でそこまでグッと上がってくる感じはなかったなぁ。

エンツォ・フェラーリが置かれた状況についても、「まあ、お前のせいだろ」みたいな感じにどうしても思えてしまうから、「厳しい状況に置かれた辛い人」みたいな受け取り方にはやはりならない。観客はどちらかというと、主人公のエンツォ・フェラーリより、その奥さんや他の登場人物に共感しちゃうんじゃないかなと思う。まあ、あれぐらいイカれた人間じゃないと、世界的大企業を作ったりは出来ないんだろうなと思うけど、でもそういう部分も、『ハウス・オブ・グッチ』の方が面白かったなぁ、という感じがする。どうしても他の作品と比較してしまうな。

比較と言えば、『AIR/エア』のことも浮かんだ。『AIR/エア』は、バッシュ業界で3位に甘んじていたナイキが、どうにかマイケル・ジョーダンを獲得して業界1位に踊り出るっていう実話を元にした話なんだけど、そういう「低位からの逆転劇」みたいな話かと思ったら、そういうわけでもなかった。なんか文句ばっかり言っている感じもするが、いや、決してつまらなかったわけではない。ここまで比較のために名前を挙げた4作は「エンタメ」という感じの作品だが、本作『フェラーリ』は「人間ドラマ」という感じの重厚さがあって、それはそれでやはり惹かれる部分もあるよねという感じではある。

というわけで、内容の紹介をしよう。

舞台は1957年。エンツォ・フェラーリは、妻ラウラと共にフェラーリ社を創業して10年が経った頃である。そしてその前年、2人の1人息子であるディーノが病死していた。そのこともあり、夫婦関係には大きなヒビが入っている。

この当時フェラーリは、年間の車の販売台数が100台に満たず、経営的にはかなり苦しかった。エンツォは社内の人間から、「このままだと破産する」と告げられる。エンツォがレースにつぎ込むお金が、ポルトガルの国費並だからだ。彼は、フィアットやフォードなどと資本提携するよう提言される。元レーサーのエンツォは、「ジャガーは売るために走る。私は走るために売る」と強気の姿勢を見せるが、経営者としては資本提携の道も探らなければならない。そのためには、「年間の生産台数を400台まで引き上げる」ことが必要だと言われ、そしてそれほどの注文を獲得するためには「ミッレミリアで勝つしかない」という結論に達する。

会社の金は、妻のラウラが管理しており、また、戦時中にナチスに会社を取られそうになったこともあり、工場が妻の名義になっていたりする。そういう資金繰りや資本提携の条件を整える必要もあり、エンツォは関係が恐ろしく悪化している妻とビジネスパートナーとして話をしなければならなくなる。

一方、妻ラウラは、エンツォが「売春婦と寝ている」と思っているのだが実態は違う。エンツォにはもう1つ別の家族が存在するのだ。認知こそしていないが息子がいて、エンツォは不倫相手であるリナの元を頻繁に訪れている。リナからは、「息子のピエロが、自分の名前はどっちになるのと言ってくる」と、子どもの認知を迫る話が何度も出るが、ラウラにリナやピエロの存在を知らせていないエンツォとしては、ずっとその決断を先延ばしにしている。

そのような状況の中、彼は会社を破産させないために、イタリア全土1000マイルを走るロードレース「ミッレミリア」のために最善を尽くすのだが……。

さて、冒頭から書いているが、「フェラーリ」というタイトルの映画ではあるが「家族」の物語が中心になっていることで、どうしても「こじんまりした印象」になることは否めないだろう。もちろんレースシーンもあるが、作品においてレースシーンそのものが重要というわけではないので、そういう「映像的な迫力」という意味でも若干物足りなさは感じます。後は、「描かれる人間ドラマにどれだけ惹き込まれるか」によって作品の受け取り方が変わるでしょう。

そういう意味で言うと、とにかく本作では、妻ラウラに僕は惹かれました。正直僕は、冒頭から名前は登場する「ディーノ・フェラーリ」が誰なのか最後まで分からず、そのため、エンツォとラウラがどうして険悪な関係にあるのかも正しく理解していなかった。ディーノについては、冒頭で墓参りのシーンが描かれるのだが、その際にエンツォが「かつて仲間を喪って云々」みたいなことを言っていたので、そういう友人の誰かなのだと思っていた。また、ラウラとエンツォの関係については、「ラウラがエンツォの浮気を疑っているから険悪なんだ」ぐらいの認識だった。まず、物語の大前提となる設定を上手く捉えきれていなかったのが良くなかったなとは思う。

しかし、まあともかくラウラは最初から表情を失ったような顔をしていて、しかしそれでも、フェラーリ社のお金を預かる者としての責務はきちんと果たそうと努力している感じは見えていた。彼女が「息子の死という苦しみを抱えていた」ということは後々分かるわけだが、そう理解する前の段階でも、ラウラが相当な苦痛の中で生きているということはその言動から理解できます。

そしてその後、夫の裏切りを知り、さらに辛いのが「自分以外のほとんどの人が、夫の裏切りを知っていたこと」でしょう。まあそりゃあやってられないよな、と思う。そしてだからこそ、あのシーンにグッと来るのである。ラウラは凄く良かったなと思う。

エンツォは、正直、そこまで惹かれなかったというか、さっきも書いたけど、エンツォが何か葛藤していたとしても、「まあお前が悪い」みたいにしか感じられないこともあって、特に感想はないという感じ。

ただ、エンツォが「心に壁を作らなければならないと考えた」みたいに口にする場面があって、その点に関しては考えさせられた。「車を売るためにはレースで勝つしかない」というのはまあいいとして、しかし「そのレースに勝つためには、命を惜しんでいる場合ではない」みたいな感覚は、やはり共感できない。ただ、強制されているわけではなく当人たちが納得してそういう状況に身を置いているなら、それはそれでいいと思う。

ただやはり、「誰かに命を賭けさせなければビジネスで成功出来ない」みたいな状況は変だなと思うし、そういう歴史を有していると考えると、「フェラーリ」という会社に対するイメージもちょっと変わってしまう。これは決して、「人死を出しているからダメだ」みたいなことではなく、先ほど書いた通り「他人の命を危険に晒すことがあらかじめ織り込まれている」という事実に、違和感を覚えてしまうというわけだ。

さて、あと気になったのは、まず、ミッレミリアというレースがメチャクチャ街中でも行われていたこと。凄いなこのレース。イタリアって古い建築もたくさんあるし、それこそ『ローマの休日』に出てくるような建物の近くも走っていた気がするんだけど、大丈夫なんだろうか? と思った。このレース、今も行われているのか知らないが、恐らく本作『フェラーリ』の撮影では、実際に街中を走らせたんだろうから、よくそんなことしたなと思う。

あと最後に。僕的にどうにも理解できなかったのが、「銃を返して」と言った後でセックスする展開になったこと。あれはマジでなんなんだ? 「何故その流れでセックスになるんだ?」と思ったんだけど、普通には理解できるシーンなんだろうか。まあ、本作には原作があるみたいだし、原作にそう書いてあったのをその通り撮ったみたいなことなんかもしらんけど、うーん俺には分からん。

まあそんなわけで、「メチャクチャ期待して観にいくとちょっと肩透かしを食らうかもしれないが、期待せずに観たら結構面白い映画」だと思う。

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