【映画】「HOW TO BLOW UP」感想・レビュー・解説
これは面白かったなぁ。テーマの面白さももちろんあるんだけど、シンプルに物語が面白かった。情報の提示の仕方などの構成も含めて、決して長くはない物語なのだが、重厚な作品を観たような気分になれた。
さて本作は、「FBI当局が『テロを助長する』と警告した映画」としても話題である。観るまでは「大げさかも」と思ったりしたが、観てみると「確かに」と感じた。「爆弾を自作すること」のハードルはともかく、「石油パイプラインを狙うこと」のハードルの低さは割と実感できた。また、爆弾の作り方だって、今ならネットでいくらでも拾えるだろう(ただ作中には、「爆弾を自作する奴の半分は、作っている時に爆破させる」というセリフが出てくるので、危険は危険なのだが)。「FBIが警告した」という触れ込みも、あながち言い過ぎではない(というか、実際に警告したからそういう話になっているのだと思うが)と感じた。
最近、「環境アクティビスト」という言葉を聞くことが増えてきた。有名なのは、美術館などに飾られている名画にトマトスープやマッシュポテトを投げる、といったことをしている。「それが環境と何の関係があるんだ?」と思ったりもするが、「有名なアート作品を標的にすることで話題作りを狙っている」ということなのだと思う。あるいは、「資本主義の象徴」として「馬鹿みたいに値段が高いもの」を標的にしている、ということなのだろうか。
さて、このような活動が効果的なのかどうか、少し考えてみたい。
良いか悪いかで言えば、間違いなく悪いだろう。名画は恐らく、額などに入っているだろうから無事なのだと思うが、それにしても、「本質的には『悪』とは呼べないものを対象に危害を加えている」という状況は、やはり「悪」と言うしかないだろう。
ただ、こうも考えられる。実質的な被害は生じていない。そしてその上で、「環境への配慮を訴える」という効果を上げられている。となれば、行為としては悪いが、トータルとしては効果的と呼べるのではないか、と。
さて、この点に関して、僕はシンプルな基準を設けたいと思う。それは、「彼らの仲間になりたいと感じるかどうか」である。「仲間になりたいと感じる人」が多いのであれば「効果的」と言っていいだろうし、「仲間になりたいと感じる人」が少ないのであれば「逆効果」と言う他ないだろう。
そして僕は、「名画にトマトスープを投げるような集団の仲間にはなりたくない」と明確に感じる。だから、少なくとも僕にとっては「逆効果」である。もし彼らの行為が、一般市民の支持を集めているというのであれば、「効果的」と呼んでいいと思う。実際のところ、支持されているのかどうか分からないが。
ただ、もう1つ思うことは、「いずれにしても、そのやり方では、『社会を牛耳っている奴ら』の考え方を変えるのは無理だろう」ということだ。
環境問題は、若い世代ほど関心が高く、実際に様々な行動も起こしている。若い世代の方がより長く地球に生きることになるし、さらに、子どもを育てることまで考えれば、自分が死んだ後まで地球をなんとかしたいと考えるだろう。
そして逆に言えば、年齢が上がれば上がるほど、「自分が生きている間はどうにかなるだろう」と考え、環境問題には関心を向けにくくなるはずだ。
環境アクティビストがどんな活動をしようが、それが「関心を抱かせる目的」で行うものだとしたら、結局「社会構造を変革させる力を持つ年寄り」に影響を与えることは難しいだろうな、と感じてしまう。
さて、そういう考えの元、本作の登場人物たちは、「テキサス州に通っている石油のパイプラインを爆破する」という実力行使に打って出るのである。ちなみに、本作の邦題は『HOW TO BLOW UP』なのだが、原題は『How to Blow Up a Pipeline』である。何故か「パイプライン」が邦題からは消えているのだ。理由はよく分からない。
さて、では本作で描かれるような実力行使についても考えてみよう。もちろんこれについても、良いか悪いかで言えば悪いに決まっている。名画にトマトスープを投げるのと違い、甚大な実害も生じるので、そういう意味でも圧倒的に悪いだろう。
ただ、これは僕の個人的な感覚だが、世の中のあらゆることに関して、「他に代替手段が無い場合、法を犯すことも仕方ない」と考えている。もちろん、「本当に代替手段が存在しないのか」という検証は徹底して行うべきだが、考えに考えに考えた上で「これしかない」と判断するのであれば、法律は許さないだろうが、私個人は許したいと考えている。
で、環境問題である。まあ正直なところ、現状はまだ「他に代替手段が無い」と言えるような状況ではないだろう。だから、「パイプラインを爆破する」みたいなやり方は、やっぱりやり過ぎだなと思う。しかし、現状が10年20年と続けば、本当に取り返しのつかない状態になっていくだろうとも思う。だから、心のどこかに、彼らの行為を称賛したくなる自分もいる。難しいなと思う。
全然レベル感の異なる話をするが、つい最近、Mrs.GREEN APPLEのMVが炎上した。個人的には、「コロンブスってそんな悪い奴だったのか。僕が学校の歴史の授業で習った時にはそんな感じじゃなかった気がするんだけどなぁ」と思ったのだが、まあそれはともかく、不用意だったことは間違いないと感じた。
で、そのMVの話題の中で、「関係者はどうして誰も指摘しなかったんだ?」みたいな話が出ていた。同じような声は、さらに少し前にあった、アップル社が楽器などをスクラップする動画に対しても上がっていたと思うが、そういう話になる度に、「まあそりゃあ誰も言わないだろ」と思う。そんな指摘をする人間に、メリットがないからだ。
今回のMVにしても、現実には炎上したわけだが、世に問う前の段階で「100%確実に炎上する」と断言できる人はいなかったのではないかと思う。また、仮にそう断言できる人がいたとして、「大金を注ぎ込んだMVをお蔵入りにする」みたいな提言は相当勇気が必要だろう。だから結果として、MVは世に出て、炎上してしまった。
そして、環境問題についても同じことが言えるように思う。
このまま行けば地球に住めなくなってしまうことはほぼ確実だろうが、しかし、未来がどうなるか分からない以上、「絶対にそうなる」と断言できる人はいないだろう。そして、仮にそう断言できる人がいるとして、「じゃあ、長い時間を掛けて構築された経済の土台をぶっ壊しますか?」みたいな話になると、そのあまりの影響にたじろいでしまうはずだ。そして結局、誰も何もしないまま「地球に住めない未来」を迎えてしまうことになる。「『コロンブス』のMVが世に出る世界」では、当然、「『地球に住めない未来』を向かえる世界」に突き進んでいくだろうと思う。
そして、その現状に勇敢にも「NO」を突きつけ、批判や損失を覚悟の上で社会を止めようとしているのが環境アクティビストだとしたら、少し捉え方が変わるのではないかと思う。
そんなことを考えるからこそ、本作で描かれる若者たちをどう捉えるべきなのかの判断が難しいなと感じる。彼らはもしかしたら、「『コロンブス』のMVを世に出すなと言った人」なのかもしれない。もしそうなら、むしろ称賛されるべき人たちだろう。
そんなことをあれこれと考えてしまった。
内容に入ろうと思います。
映画の冒頭は、「パイプラインの爆破」に関わる様々な人物の現状が断片的に映し出されていく。ほとんど「顔見せ」程度のシーンであり、個々の状況をちゃんと把握できるほどの描写ではないのだが、とにかく「色んなタイプの人間が関わっているんだな」ということが伝わる感じになっている。
そしてそんな彼らが、一路テキサス州の「アジト」を目指して出発するのである。目的は、パイプラインの爆破である。しかし、冒頭からしばらくの間は、「彼らが何故パイプラインを爆破しようとしているのか」という背景はほとんど描かれない。ひたすら、爆弾を作ったり穴を掘ったりという準備のシーンが映し出されていくのである。
そしてその合間合間に、メンバーたちの過去が挿入されていく。
この計画を生み出したのは、ソチとショーンの2人だ。同じ大学に通っているのだと思うが、彼らはもともと「投資撤退(ダイベストメント)運動」に従事していた。「投資(インベストメント)」の逆で、化石燃料関連会社や石炭火力発電企業への投資から撤退させようという運動だ。
しかし、石油プラントのある町に住むソチは、つい最近熱波で母親を亡くしたこともあり、「そんな間接的なやり方では社会構造を変えられない」と考えるようになった。そこで、ショーンと2人で、より積極的な行動を起こそうと計画を練り始める。そうして生まれたのが、パイプラインの爆破計画である。
そこに、「石油プラント建設のために土地を奪われたネイティブアメリカン」や「パイプライン建設のために立ち退きを強いられた家族」などを巻き込み、パイプライン爆破のための準備を進めていくのだが……。
というような話です。
さて、テーマもストーリー展開も非常にシンプルな物語なのだが、後半に行くに従って、「なるほど、こんな展開になるのか!」という構成になっており、特に後半は単純に物語の展開に惹きつけられてしまった。ホントによく出来ていると思う。脚本が絶妙に見事だった。
前半から中盤に掛けては、「ただただ、パイプラインを爆破するまでの過程を丁寧に描き出すだけの物語なんだろう」みたいに考えていたので、それが良い感じで裏切られたことも印象的だった。確かに途中途中で「ん?」と感じる場面が出てくるのだが、大した違和感ではないのでスルーしていたら、最後の最後でそれらを全部上手く回収していく、みたいな展開になっていく。素晴らしい。
その上で、「メンバーにそれぞれ、のっぴきならない事情がある」という描写もまたよく出来ていたと思う。
普通に考えれば、「寄せ集めのメンバーでパイプラインを爆破する」なんて計画は、なかなか上手く行かないだろう。準備も大変だし、また、アメリカでは「テロ行為」と認定されると最低でも15年は刑務所に入れられるそうなので、捕まった場合のリスクも物凄くデカい。そういう中で、「この計画のために集まった者」が結束し計画をやり遂げることは相当困難であるように思えるのだ。上手くいったら大金が入るとかでもないわけだし。
しかし、登場人物にはそれぞれ、この計画に関わりたい(関わらなければならない)理由がある。これが、爆破計画の合間合間に挿入される物語になるのだが、これがとても良くできているのだ。その多くが、「石油関連企業に対する直接的な恨み」を抱いているわけで、だからこそ、寄せ集めでも団結出来るのである。さらに、彼らの過去の描写が、ラストの「なるほど、そうなるのか!」という展開にもリアリティを与えているわけで、そういう点でもとても上手かった。
そして、脚本がここまでよく出来ていることを考えると、「本作を通じて環境問題について警鐘を鳴らしたい」みたいな感じよりも、「環境アクティビストを題材に面白い物語が作れた」みたいな感じの方が近いように思う。まあ、公式HPによると、監督は気候科学者の親を持つようで、環境問題には関心を抱いていたのだと思うけど。
というわけで、非常に面白い映画だった。本作の配給は、『パラサイト 半地下の家族』『燃ゆる女の肖像』『TITANE/チタン』『落下の解剖学』(全部観てる)を手掛けた「NEON」という映画スタジオらしい。映画スタジオだと、今は「A24」がよく知られていると思うけど、「NEON」もちょっと注目しておこうと思う。いや、きっと普通の映画ファンは、もうとっくに注目しているんだと思うけど。