【映画】「燃えるドレスを紡いで」感想・レビュー・解説

もちろん、そんなことは知っていた。世界中の服がアフリカに捨てられている、なんてことは。ただ「知っている」のと「見て体感する」のとでは、やはり違う。もちろん、「実際に経験する」ことともまったく違うだろう。

中里唯馬というデザイナーについては、本作を観て初めて知った。現在パリオートクチュールに参加している、唯一の日本人デザイナーなのだそうだ。日本人としては、森英恵以来2人目だそうだ。中里唯馬を取り上げるドキュメンタリー映画なのだから当然と言えば当然かもしれないが、本作には彼を称賛する様々な言葉が並ぶ。

【革新的、かつ未来的。】
【自分の美学を持つ本物のデザイナー。】
【彼のような人を、真のデザイナーと呼ぶのだと思う。】
【オートクチュールの中でも唯一の存在。】
【彼にしか出来ないアイデアばかり。】
【デザイナーにはこれだという主張が必要だけど、彼には常に何か言いたいことがあった。】

そんな、「ファッション業界の最上位」と言っていい場所で活躍を続ける日本人が、ナイロビに降り立った。「服の最終到着地点」を見るためだ。

本作を観ながら、思い出した人がいる。長坂真護。アフリカ・ガーナにある世界最大の電子廃棄物処分場から「ゴミ」を持ち帰り、それをアートにして販売するアーティストだ。僕は以前、彼の展覧会に行ったことがある。彼の作品は数千万円から数億円で取引されている。確か、その展覧会が行われていた時点で既に、100億円以上アートで売り上げたと紹介されていたように思う。

しかし、これも僕が覚えている限りの話ではあるが、確か彼は、売上の5%しか自分(と恐らくチーム)に入れていない。では残りの95%はどうしているのか。その資金を元にガーナにリサイクル工場を建設しようとしているのだ。ゴミから生み出したアートを販売したお金でガーナのゴミ問題を解決する。あり得ないだろうと思うようなことを実現させ、世界的な問題を個人レベルの発想と行動力で解決に導こうとしているのだ。世の中には本当に、凄まじい人がいるものだと感じさせられた。

そして本作『燃えるドレスを紡いで』で取り上げられる中里唯馬も、長坂真護と同じような問題意識を持っている。

アフリカ・ナイロビ。ここには世界中の「売れない衣服」が集まってくる。それらは「ミツンバ」と呼ばれる「服の塊」の状態で送られる。1つ40kg以上にもなる「布の暴力」である。それが1日にコンテナで20個ほど、年間で160トンほども送られてくるというのだから、ちょっと尋常ではないだろう。

もちろん、その服の一部はナイロビ内で古着として流通するのだが、需要よりも遥かに供給の方が多いため、そのほとんどがゴミとなる。服の一部は川に投棄され、その川は湖や海と繋がっているため、海洋生物が汚染される。また、服が大量に積み上がったゴミ山が形成され、その規模は年々拡大していく。

ダンドラと呼ばれるゴミ集積場にも、中里唯馬は足を運ぶ。実はこのゴミ集積場、私は別の機会にその存在を知った。『ハイパーハードボイルドグルメリポート』というテレビ東京系の番組である。その番組でも取り上げられていたが、このダンドラというゴミ山には、多くの人が暮らしている。文字通り「暮らしている」のだ。彼らの多くは、ゴミ山から「売れそうなもの」を広い、それを得ることで生計を立てている。本作にもゴミ山で暮らす子どもの姿が映し出された。買取価格は大体1キロで15シリング(約15円)、1日に13~15キロ集めるらしく、1日の稼ぎは225シリング程度ということになる。国際的な基準では、「1日1.9米ドル(約200円)以未満での生活」が「絶対的貧困ライン」と呼ばれているので、世界レベルで見ても「最底辺の生活」と言っていいと思う。

また本作には、37年もこのゴミ山で暮らしているという女性も映し出された。彼女の話は、ある意味で非常に印象的だった。子どもも産み、このゴミ山で育て学校にも通わせたという彼女は、「病気も大怪我もしたことないし、健康には問題ない」「ここでの生活に満足している」と語っていたのだ。

この女性の話について中里唯馬は、「37年も暮らしていたら、『このゴミ山が無くなったら困る』という感覚になるのも当然だ」と感想を漏らしていた。確かにその通りだろう。「先進国による服の投棄」は、「その投棄が無くなったらむしろ困る」という状況を生んでしまうほど、大規模で長期間に渡っていると受け取るべき話だと感じた。

またナイロビは元々繊維産業が盛んだったが、服が大量に送られていくことで繊維産業は衰退、代わりに古着を得る商売が立ち上がったという。これもまた「良くない側面」と受け取れるだろう。中古品を転売するような産業よりも、どう考えたって繊維産業を維持できていた方が良かったはずだ。

しかしそもそも、何故ナイロビにこれほど大量の服が送られるようになったのだろうか? ある人物がその経緯について説明をしていた。きっかけは20年前。アメリカとナイロビがある契約を交わしたことだという。アメリカはナイロビからの「関税のない輸入」を認める代わりに、ナイロビに廃棄物の引き取りを受け入れるように要求したのだそうだ。そしてそれが、アメリカ以外の国にも広がっていったのだろう。今は、中国からの流入が最も多いと言っていた。

ナイロビでこのような現状を目撃してしまった中里唯馬は、

【言葉が出てこない。】
【「とりあえずキレイな言葉を言っておこう」みたいなことも出来ない。】
【何を言うべきか分からなくなるのは珍しい。これが「言葉に詰まる」ってことなのかな。】
【何が正しくて何が正しくないのかもまったくわからなくなってしまった。】

と、その衝撃と葛藤を口にしていた。

まあ、それはそうなっても仕方ないだろう。帰国した彼は、自身のブランドに関わるメンバーとミーティングを行うのだが、その中で次のような話をしていた。

【ナイロビで多くの人にインタビューをしましたが、その中でほとんどの人から「もう服を作らないでほしい」「世の中に服はもうたくさんある。どうしてこれ以上作る必要があるのか?」と言われました。
私たちはパリコレのようなショーに関わっていて、そしてそれは「消費を促す場所」でもあります。
新たなトレンドを作って、「服を買いたい」と思ってもらうというのが、圧倒的な原理原則です。
シンプルに、「もっと売りたい」っていうメッセージを発していることになります。
それは、私たちのブランドがどれぐらい売っているかとかそういうことではなくて、そこに関わっている以上、既に加担してしまっているということ。
そういう中で何を言っても、言い訳にしか聴こえないだろうなって思います。】

かなり率直な気持ちを言葉にしていると感じた。このミーティングは恐らく、彼自身の想いを伝えた上で、現時点でメンバーがどんな風に考えているのか意見を吸い上げるみたいな目的で行われたと思うのだが、断片的に映し出されたメンバーの反応も様々だった。

ただいずれにせよ、中里唯馬は、「資本主義の究極的な消費の中心」であるパリコレの舞台で、いかにして「もう服を作るのを止めましょう」にニアなメッセージを発信できるのかという、かなり無謀な挑戦を決断することになるのだ。

さてここで少し、驚くような情報を提示しておこう。ファッション業界というのは、「温室効果ガスの排出」「廃棄物の産出」「水の消費」など「環境負荷が大きな分野」として、石油産業に次いで2位だというのだ。どのような項目をどのように考慮してランキングを作成しているのか不明だし、出典も特に示されなかったので調べようもないのだが、それが事実だとするなら、なかなか凄まじい現状と言えるのではないだろうか。

また、2000年から2015年に掛けて世界の服の生産量は2倍になったようで、2030年まで同じペースで増大していくと推計されているという。さらに、世界で作られる服の75%は破棄されるというから驚きだ。作ったものの75%も処分している業界がそもそも成立していることがちょっと異常にも感じられるが、まあそういうデータがあるというなら信じるしかない。

これまでも中里唯馬は、「いかにして環境負荷の少ない服がデザイン出来るか」という観点で仕事をしてきたし、そういう点からも評価の高いデザイナーだったわけだが、それでも彼は、これまでの自身の取り組みについて「机上の空論だった」と振り返っていた。世の中には「グリーンウォッシュ」という言葉があるようで、これは「うわべだけ環境保護に熱心に見せること」を意味するそうだ。そして中里唯馬は、「『グリーンウォッシュは良くない』と思いつつ、自分がそのグリーンウォッシュ側に立っていたことに気付かされた」みたいに語っていた。まあそれはさすがに自己批判に過ぎると感じたが、何にせよ、彼の中でガラッと意識が転換されたことは間違いないだろう。ある場面で彼は、次のように語っていた。

【目の前にある課題の解決のために、どれだけ自分の時間が使えるかだと思うんです。】

そこから、中里唯馬のチャレンジが本格的にスタートしていく。この時点で既に、パリコレ本番まで3ヶ月を切っていた。そして、本作を見れば分かるが、彼は本来的な大変さ、つまり「『もう服を作るのを止めましょう』というメッセージをパリコレで発信すること」以外の様々なトラブルにも見舞われ、てんてこ舞いでパリコレまでの日々を過ごすことになる。ホントに「ドラマかよ」っていうようなトラブルが続き、中里唯馬は「過去一ヤバい」「死ぬかと思った。今日までホントに地獄だった」と、その凄まじさを語っていた。

さて、ナイロビから返ってきた中里唯馬は、とにかくアクティブに動き続ける。セイコーエプソンの社員とは、「ナイロビで買ったミツンバから取り出した粗悪な服を、再び素材に戻す」ために打ち合わせをする。服には普通様々な素材が使われており、それ故に再資源化が非常に難しい。同じ種類の服だけを集め再資源化するのであればそこまでハードルは高くないのだが、中里唯馬はそこで妥協したくなかった。彼は、「粗悪な服ほど捨てられるし、粗悪な服ほど色んな素材が混在する。だから、そういう服を含めて再資源化出来るような仕組みを目指したい」と考え、技術者たちと奮闘する。

また、山形県にあるスパイバー社のことも紹介されていた。この会社の取り組みは実に興味深い。代表を務める関山和秀が作中に登場し、自身のアイデアや進展について語っていた。

彼はそもそも、「地球規模で考えると『ゴミ』という概念は存在しない」と言っていた。というのも、多くの物質は微生物によって分解され、それが新たに資源として活用されるからだ。しかしファッションにおいては最初から「再資源化」が想定されていない。だから、使われなくなった服は捨てるしかなくなるし、結局それは「ゴミ」になってしまうのだ。だったら、そもそも「素材」の段階から「再資源化」を想定した流れに変えていけばいいのではないか、と考えたそうだ。

そこで着目したのが「蜘蛛の糸」。「非常に高い強度を持つ」という知識はあったが、しかし「だったら何故そんな素材が実用化されていないのだろうか?」と疑問に感じたという。蜘蛛の糸がタンパク質から出来ていることを知り、彼は「微生物が分解可能なタンパク質で出来た服の素材」を作ろうと考える。バイオテクノロジーによって、まず「微生物をデザイン」し、さらに「その微生物に望むタンパク質を作ってもらうための設計図」を作ることで、環境負荷の低い新たな素材を開発しようと考えているのだそうだ。

映画の中では、「タンパク質で出来た素材をマネキンに貼り付け、その状態でお湯に漬けることで服を作る」という実験が行われていた。結局、この新素材がパリコレの服に使われたのかはよく分からなかったが、非常に面白い方向性だし、可能性を感じさせられた。

その後で中里唯馬が言っていた言葉がとても印象的だった。

【こうやってソリューションだけあっても、それが業界とは融合しにくかったりする。
だから、ソリューションとデザインをちゃんと掛け合わせて提示しなきゃいけない。】

まさにこれは、中里唯馬にしか出来ないことだろう。もちろん「ソリューションを提示する人」も大事だ。しかしそれだけでは変わらない。やはり、それを上から発信していく人物が欠かせないのだ。だから、「中里唯馬がパリオートクチュールで活躍している」という要素が重要になってくる。「資本主義の最前線」にいるからこそ、その事実が「服の大量処分」という現実に関与している自覚にも繋がるわけだが、一方でそれは、その現実を改善するための強力な武器にもなるというわけだ。

【ファッションってこれまで、社会を変えてきたんです。
例えば、シャネルがパンツスタイルを作ったことで、女性の社会進出を後押ししました。
ファッションにはそうやって社会を変える力があると信じています。
だから自分が旗を立てていく、こういうことを考えている人もいるよということを世の中に出していきたいんです。】

「INHERIT(継承する)」と題されたパリコレのショーは、まさにそんな彼のスタンスを凝縮したものに仕上がったのではないかと、まあこれは僕自身の実感ではないが(やはりファッションには疎いので)、そのショーを見た人たちの感想・批評からそのように感じられた。

1人の人間が、そのデザインの力で、「石油産業に次いで環境負荷が高い」とされるファッション業界を革新するかもしれない。そんな希望を抱かせてくれる、非常に興味深い内容だった。

さてもう1つ触れておきたいことがある。中里唯馬が言及していた「服の起源」についてだ。

ナイロビで中里唯馬は、ナイロビで処分された服を見ただけではなく、北ケニアも訪れていた。ここは今、「世界最大の干ばつ」に襲われているのだそうだ。マルサビット地方では、もう4年間も雨が降っていないと住民が話していた。環境負荷が高いファッション業界は当然、地球温暖化にも寄与してしまっている。中里唯馬はこの干ばつにも「自分ごと」として関心を抱いているのである。

そんな中訪れたパルキション村で、彼は「見れると思っていなかったもの」が見れてテンションが上がっていた。それが、「動物の皮で作られた服」である。羊の皮に穴を空け、同じく皮で作った紐で縫った服なのだが、中里唯馬曰く、この「動物の皮で作られた服」が「人類の服の起源」とされているのだそうだ。多くの人が中里唯馬について、「服やファッションについて深く研究している」と、そのデザイン性だけではなく取り組むスタンスも高く評価していたのだが、そんな一面が垣間見れる場面だった。

本作で扱われているのは「ファッション」だが、ありとあらゆる分野で「既存の資本主義的発想」の転換が余儀なくされていると思う。しかし、既にそれを大前提とした社会が作り上げられている中で、現状を変えていくことはとても難しい。

だからこそ、そこに個人レベルで立ち向かおうとする中里唯馬の姿には圧倒されるし、日本人がそのようなメッセージを世界に発信しようとしているという事実に感銘を受けた。彼は、「一度発信したぐらいじゃ何も変わらないから、続けないと」と言っていて、まあそれは確かにその通りだと思うのだが、何よりもまず「現状を認識し立ち上がった」という点が素晴らしいと思う。

世界はきっと、すぐには変わらないだろう。しかし、中里唯馬は大きな一歩を踏み出したと僕は思う。世界は彼に続くことが出来るのか。問いは、僕たちに向けられていると言える。

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長江貴士
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