【映画】「二つの季節しかない村」感想・レビュー・解説
198分もあるんだよなぁ、この映画。これほど長くなかったら、まだ面白いと感じられたかもしれないけど、とにかく「長い割に面白いわけではない」みたいなところでちょっとマイナスだったなぁ。何を想像していたわけでもないんだけど、思ってたのとはちょっと違った。
物語は大きく、2つの軸で動いていく。1つは学校、そしてもう1つは義足の女性である。
舞台はトルコ東部のインジェス村。雪深い土地で、この村にある学校に美術教師として赴任したサメットは、4年前の赴任時からずっと、この土地を離れることばかり考えていた。何もない、陰鬱な土地なのだ。しかし、教育省の命によって全国各地様々な場所に赴任せざるを得ない教師という仕事であるため、この現実を受け入れざるを得ない。
サメットには、担任をしているクラスのセヴィムという少女と仲が良い。規則で禁じられているが、サメットはセヴィムに内緒でお土産を買ってきたりするぐらいだ。セヴィムは、職員室を離れて一人美術室にいるサメットの元をよく訪れ、話をしている。
またサメットは、同じ学校の社会科教師ケナンと同居している。ケナンは学校の古株で、2人は冬でも湧き水が汲める場所まで2人で出かけるぐらい仲が良い。特にやることもないこの村で、彼らはお互いにとって必要な存在である。
そんなサメットに2つの出来事が起こる。1つは、サメットのクラスで抜き打ちの持ち物検査が行われたことがきっかけだった。セヴィムが私的なノートを持っていることを咎められるのだが、その中にラブレターが挟まっており、検査中に落ちてしまったのだ。ラブレターは教師が回収し、職員室でその中身を読んで笑っていたのだが、セヴィムに目をかけているサメットはこのラブレターをセヴィムに返すと言って取り戻し、美術室で読もうとしていた。
そしてまさにその時、セヴィムが美術室にやってきたのだ。サメットは咄嗟に嘘をつきその場を取り繕ったが、セヴィムは信じていないようだった。そしてこの時から、それまで仲が良かった2人の関係性は一変していく。
一方、サメットは知人の勧めで、町の学校で英語教師をしている義足の女性を紹介してもらった。サメットは色んな人から結婚を勧められるのだが、この地を去るつもりでいる彼は結婚に乗り気ではない。しかし、ヌライという義足の女性はなかなか良い感じだった。サメットは、ケナンが両親から結婚しろとせがまれていることを知っており、そのため、ケナンに合うんじゃないかと考え、ヌライとケナンを引き合わせることにした。
しかしその後、少し状況が変わる。トルコでは、教師は最低でも4年間は赴任地に留まらなければならないと決まっているそうなのだが、例外があり、障害者はいつでも異動出来るのだという。サメットは、彼女がここにしばらくいると思っていたからケナンと引き合わせたのだが、ヌライがいつでもこの地を離れられるなら話は別だ。急に惜しくなったサメットは、自分が引き合わせたにも拘らず、むしろケナンとの仲を邪魔するような行動を取るようになり……。
ざっくりそんな話である。
そういう造形がなされているから意図した通りだとは分かっているのだけど、とにかくサメットがクソ野郎でイライラさせられた。教師にも拘らず、とにかく「自分本位」でしか物事を捉えていない。生徒(小学生か中学生)に対しても高圧的な振る舞いをするし(さすがに、これがトルコの教師のデフォルトなはずがないだろう)、上手く隠してはいるものの、観客からはセヴィムへの贔屓は露骨に映る。それに、サメット・ケナン・ヌライの関係性においても、とにかくサメットの醜悪さが浮き彫りにされるし、全然好きじゃない。表向き「良い人」っぽく振る舞いながら、メチャクチャ嫌なやつという感じだった。
で、そんな嫌なやつの話を198分も観ることになるので、なんだかイライラしてくる。他の登場人物は、「底知れない」みたいな部分も含めて魅力的なんだけど、サメットは全然好きになれない。
もちろんサメットも、「自分の意思ではなくこんなクソみたいなところに4年も留め置かれている」みたいに感じているし、まあそういう苛立ちみたいなものは理解できるわけだけど、「教師」という職だからこそ尊敬され、セヴィムとも仲良くなれているのだし、また、そんなに嫌なら教師を辞めればいいわけで(どうやらサメットにはそのつもりもあるらしいが、ただそれでも仕事が見つからないみたいだ)、なんかイライラする。ヌライも、サメットと2人で長い長い議論をするシーンの中で、「すべてを土地のせいにしていない?」みたいに突っ込むのだけど、確かになという感じだった。
物語全体としても、「セヴィムの思いがけない行動」と、「サメット・ケナン・ヌライのややこしい関係性」がメインで、ストーリー的にはとてもミニマムである。まあその過程で、「人間の愚かさ」とか「思想の対立」みたいなものが浮き彫りにされていく感じがきっと面白いのだろうし、それはそれで分からないでもないのだけど、そうだとしてもやっぱり「長ぇな」という感想が先に来てしまう感じがある。
まあ、ちょっと僕には合わなかったという感じである。
作中では、なんとなく「クライマックス」みたいに思わせる「サメットとヌライの議論のシーン」は、普段なら結構面白く聞けるはずなんだけど、その時点で「クソ長ぇ」と思っていたこともあり、あまり内容が入ってこなかった。やり取りはかなり抽象的・概念的な話で、「好きな人は好きだけど、嫌いな人は嫌い」という両極端しか存在しないような中身だった。僕は「好き」側なんだけど、この議論が始まった時点で既に、本作に対する「退屈さ」みたいなものが強まっていたので、なかなか真剣に聞けなかったなぁ。
その議論にざっくり触れておくと、「理想を高く持って、仲間と連帯しながら世界に貢献する」という生き方と、「連帯は群れなどを否定し、個人的な自由を重視する」という生き方の対立と言っていいだろう。ヌライが義足であることには既に触れたが、それは、国内で「左派」と呼ばれる社会主義的な集団に属し活動する中でテロに巻き込まれたことが原因だ。彼女は、「主義主張の中身はともかく、同じ考えを持つ者同士が連帯し、協力しながら、世界に貢献する生き方をするのが理想的」と考えているし、そういう方向でサメットに議論をふっかける。
一方のサメットは、ヌライからの「あなたの主義はどこにあるの?」「あなたはどうやって世の中に貢献するの?」という問いをはぐらかし続ける。彼は、ヌライがそう問いかけるその前提に疑問を呈し、「君が前提条件にしていることが受け入れがたいから、そこから発せられる問いにも答えるつもりはない」みたいなスタンスで議論に臨んでいる。
まあそんなわけで、2人の議論が噛み合うことはない。そんな議論が10分近くも展開されるのである。
さて個人的には、この議論の後で「えっ?」という状況が映し出される展開にちょっと驚かされた。あれは一体何だったんだろう? 正直、全然意味が分からない。どんな必然性があって組み込まれた場面なのかイマイチ理解できないのだが、ただ「斬新だなぁ」とは思ったし、意図があるなら(あるだろうけど)知りたいものだと思う。
まあそんな3人のややこしい関係性も面白いと言えば面白いのだけど、個人的にはセヴィムの方が気になった。正直、セヴィムが映し出されるシーンはあまり多くないのだけど、印象はかなり強い。特に、セヴィムが書いたラブレターを読もうとしていたサメットのところにセヴィムがやってきたシーンは、凄く雰囲気があったなぁ。公式HPによると、本作で映画デビューだそうだ。映画のメインビジュアルも彼女が大写しにされているし、物語的にもう少し絡んでも良かったのになという気もしなくはない。
どんな映画もそうだと言えばそうだけど、ハマる人にはハマるし、ハマらない人には全然ハマらない作品だろうなと思う。僕にはちょっとあまり向いていなかった。
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