【映画】「スープとイデオロギー」感想・レビュー・解説
冒頭から、「監督の母」が画面に映し出される。大動脈瘤の手術をした直後から、これまで聞いたことのなかった「済州4.3事件」の記憶を語りだした、という場面だ。
そんな始まり方をする映画なので、僕は当初、この映画は「『監督の母』についての映画」なのだと思っていた。
ただ観ていく内に、なるほどそうではないのかと気付かされた。これは「『監督自身』についての映画」だったのだ。
そもそも僕は「済州4.3事件」のことを知らなかった。1948年に起こった事件だ。まずこの事件と監督の母との関わりについて触れていこう。
済州島出身の両親の元、大阪で生まれた康静姫(監督の母)は、第二次世界大戦での大阪空爆から逃れるために、両親の故郷である済州島に疎開を決めた。その後朝鮮半島は、アメリカとソ連が対立するような形で、韓国と北朝鮮に分かれる。
日本の終戦から3年後の1948年、康静姫が18歳の時、済州島である動きが起こる。韓国が独自に選挙を行おうとしていた動きに反対する声が上がり始めたのだ。韓国側で独自に選挙を行うことは、南北の分断を決定づけることになってしまう。そう懸念した住民による抗議の声だった。
韓国政府はこの抗議を鎮圧するために、手荒な手段に出た。済州島の住民を無作為に銃殺していったのだ。政府は済州島のある地域を「武装勢力が多い」と判断、その周辺の封鎖し、動く者がいれば銃殺していいと、「アカ狩り」を名目に住民を虐殺していく。康静姫の記憶では、校庭に並べられた住民が警察から撃たれ、農作業中の住民が次々に殺されていったそうだ。
これが「済州4.3事件」である。公式HPには、「韓国現代史最大のタブー」と書かれている。
さて、僕は知らなかったのだが、この映画の監督であるヤン・ヨンヒはこれまでも、自身の家族と「北朝鮮」との関係をドキュメンタリー映画として描いてきたのだそうだ。
そしてそのような映画を撮り続けてきた背景には、「北朝鮮にそこまで肩入れする母親が理解できない」という感覚がずっと横たわっていたようである。
康静姫にはヨンヒの他に、3人の息子がいる。ヨンヒにとって兄に当たる。彼ら3人は全員、「帰国事業」で北朝鮮に渡った。大阪の朝鮮学校でとにかく優秀だった長兄は、「書記長への人間プレゼント」として指名されての北朝鮮行きだったそうだ。
康静姫は、「済州4.3事件」から逃れるために、妹と弟を連れて密航船に乗り、再び日本へと戻ってきた。そして、生まれ育った大阪で後に夫となる男性と出会う。夫は朝鮮総連の活動家として奮闘し、勲章も多く得た。後に康静姫自身も、レストラン経営を止めて北朝鮮の活動家に転身することとなる。
ヨンヒの疑問は、「両親は、兄3人を北朝鮮に送るほど、どうして北朝鮮に肩入れするのだろうか」というものだった。
兄3人が北朝鮮に渡ってから、ヨンヒは大阪で一人っ子のように育てられた。同じく朝鮮学校で学んだが、彼女は教科書の内容に「白けていた」と語っている。しかし、そんなことおくびにも口に出来ない。優等生のフリをして、つつがなく学生時代を終えたそうだ。
ヨンヒはこれまで、自身の家族を題材に「在日コリアン」の現実を切り取ってきたそうだが、そこにはずっと足りないピースが存在したことになる。それが「済州4.3事件」だ。康静姫は、大動脈瘤で入院するまでその話をしたことがなかった。最初にヨンヒにその話をした時、「絶対に誰にも言ってはいけない。恐ろしいことになるから」と、普段気丈な母が怯えた様子だったのが印象的だったという。
そしてヨンヒは、この「済州4.3事件」こそが、母をこれほどまでに北朝鮮に駆り立てることになった大きな存在だったのだと初めて気づくことになる。
「済州4.3事件」の慰霊祭に母と参加したヨンヒが、「済州4.3事件研究会」の会長である女性に向かってこんな風に語る場面がある。
【4.3がそこまで大きなものなのか、私はこれまで理解できなかったのです。
実は母を心の中で責めていました。なぜ3人の兄を北朝鮮にイカせたのか、と。
でも4.3について詳しく知ったことで、責められなくなってしまいました。
私は困っているんです。】
これは、「ヨンヒ自身」の映画なのだ。
これまで康静姫は、「済州4.3事件」の慰霊祭に参加したことがない。正直はっきりとはその事情を理解できなかったが、日本生まれである康静姫には韓国国籍がないことが背景の1つにあるようだ(あとは、北朝鮮と深い繋がりを持っているというのも影響しているのだろう)。しかしムン・ジェイン大統領が就任後にそれまでの方針を改めたことで、康静姫も参加できる状況になったらしい。
しかし、ドキュメンタリー映画の起伏という意味では「絶妙」と言えるかもしれないが、ヨンヒ家族にはとても僥倖とは思えないような状況が待っていた。
まさに翌年、「済州4.3事件」の慰霊祭に参加できそうだというタイミングで、康静姫が認知症になってしまったのだ。
本当であれば、慰霊祭に参加し、そこで昔の記憶がさらに語られるという展開が、物語的にもヨンヒ一家的にも望ましいものだっただろうと思う。しかし運命がそうはさせない。済州島にやってきた康静姫は、18歳の時に結婚を約束しながらも、「済州4.3事件」で命を落とした婚約者のことも朧気にしか思い出せない。
「物語」的には、中途半端に終わってしまったと言えるだろう。しかし人生はそんなものだとも感じる。
「済州4.3事件」や認知症など、どうしても重苦しくなってしまう題材の映画で、ある種の「清涼剤」になっていたのが、ヨンヒの婚約者(後に夫)のカオルさんだろう。なんとこの映画では、「カオルさんが康静姫に結婚の挨拶に来た日」の映像も収められている。まさに、ヨンヒの人生丸っと映像に落とし込んでいるという感じだろう。
あと、映画とはまったく関係ない話だが、監督のヨンヒ、見た目がメチャクチャ若い。結婚時点でカオルさんが39歳、12歳差と言っていたのでヨンヒは51歳のはずだが、とてもそうは見えない。30代後半と言われても別に違和感はないし、なんならカオルさんの方が年上に見える。まあ、全然関係ない話だけど。
凄く良かったかと言われると、ちょっと何とも言えないが、悪くはなかったという感じが正直なところ。リアルを描き出しているから仕方ないとはいえ、もう少し何かあってほしかった。
あと、「もしこの映画が配信されるようになったら、途中で観るのを止める人が多いのではないか」とも感じた。「済州4.3事件」などについて語られるのがかなり後半で、それまでは康静姫の生活や、カオルさんが関わるようになってからの変化など、ホームビデオのような映像が続くからだ。監督のネームバリューがあるような気もするのである程度は大丈夫なんだろうけど、もう少し前半から、「済州4.3事件」の話を含めた、この映画では一体何を描こうとしているのかが分かるような構成の方が良かったような気がした。
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