【映画】「ハマのドン」感想・レビュー・解説
いやー、これはメチャクチャ面白かった!全然期待してなかったのもあって、まさかこんな面白いとはって感じだった。素晴らしい。ちなみに書いておくと、僕は横浜市民でもないし、
「ハマのドン」と呼ばれている人物が誰なのかも知らなかったし、何度かテレビで放送されたらしいけどそれも観たことがないし、最後に映し出される横浜市長選の結果も覚えていなかった(っていうかたぶんそもそも知らなかった)。それでも、メチャクチャ面白かったなぁ。
一番良かったのは、「ハマのドン」こと藤木幸夫が「伝わる言葉」を持っていることだ。この点にとにかくメチャクチャ驚いたし、これだけ言葉に力がある人なら、国家権力に戦いを挑むなんていう無茶なことも実現させられるかもしれない、と思った。
僕が政治家のことが好きになれない一番大きな理由が、「言葉を伝えようとしていない人が多すぎる」ということだ。色んな政治家の発言を聞く度に、「ホントにそれを本心から言ってるのか?」「仮にそれが本心なんだとして、その本心を伝えるための言葉選びや話し方を選んでいるか?」と感じてしまう。とにかく政治家の大半は「言葉が嘘くさい」。だから話を聞く気にならないし、「ホントにそんな言葉で人の心を動かせると思ってるのか?」と感じることばかりだ。
藤木幸夫は別に政治家というわけではないだろうが、横浜港を始めとする全国の港湾関係者を取りまとめる「顔役」として、政治にも深く関わっているし、選挙戦にも何度も関わっている。自民党の二階俊博や麻生太郎とは2人で飯を食いに行く仲だそうだし、横浜市議会から国政へと菅義偉を送り出したのもまさにこの藤木幸夫なのである。政治家ではないが、政治家みたいなものだと言っていいだろう。
御年91歳だというそんな政治家みたいな存在の言葉が、まあ届く届く。これには驚いた。
少し脱線するが、僕は「本心かどうか」と「言葉が届くかどうか」というのは別物だと思っている。そして僕にとっては、「本心かどうか以上に、言葉が届くかどうかの方が重要」である。結局、口から出た言葉が「本心かどうか」を判断する方法などない。聞いた側が「本心」だと信じるかどうかの話だ。だからこそ、「言葉」が重要なのである。
そして藤木幸夫の言葉は、「この人は本心を言っているんだろうなぁ」と思わせる力がとにかく強い。凄いなこの人。
初めの内、僕は藤木幸夫という人物について何も知らなかったので、「言葉が届く人物」だなんて思っていなかった。だから、映画の前半の方では、「聞こえの良い言葉を上手いこと口にする人なのかもしれない」ぐらいに思っていた。例えば、山下ふ頭でのIR事業に反対することを決めた彼がこんなことを口にする場面がある。
【男には、一度こうと決めたらその道を歩かなきゃいけない、そんな道があるんだよ。
俺はその道を歩く。一人でも】
正直、この言葉を聞いた時点では、「キレイなことを言う人だなぁ」ぐらいにしか感じていなかった。
ただ徐々に、「この人の言葉はいいぞ」と感じるようになっていった。
IR事業に反対する藤木幸夫は、自身が経営する会社(横浜港での荷役を管理する会社だろう)に対する「嫌がらせ」とも思える対応を受けることになる。世界最大の船会社との契約に市の許可が下りないかもしれない、という状況が突然降って湧いたのだ。
このことについて藤木幸夫はこんな風に言っていた。
【我慢しなきゃなんなないよ。なにも殺し合うわけにはいかないんだから。
それに、役人は言われたらしょうがないよ。人事権とか予算とか握られちゃってるんだから。
俺はそんなことには負けないよ】
あるいは、当時の横浜市長である林文子が、それまで「白紙」と言い続けてきたIR事業について「進める」と発表した直後の会見では、こんな風に言っていた。
【俺は今日、顔に泥を塗られたよ。ただ、どうも市長に文句を言う気にならないんだよなぁ。だって、泥を塗らせた奴がいるんだってハッキリわかってるから】
「泥を塗らせた奴」として暗に指摘しているのは、当時の首相である菅義偉である。
僕が書いた文字を読んでどこまで感じてもらえるか分からないが、僕はこのような発言から、「この人の言葉、メチャクチャ届くな」と感じるようになっていった。「本心を言っている感じがする」と思えるのだ。
ホントにこれは凄い。91歳という年齢で、しかも「政治」という海千山千と戦わないといけない世界で揉まれに揉まれているだろうに、その中で、ごくごく一般的な人間にちゃんと伝わる言葉で話せるというのは、とんでもない強みだと感じた。
こういう人も世の中にはいるんだなぁ、というのが、この映画全体を通じての僕の強烈な
実感だったし、とにかく面白いポイントだった。「言葉の重み」という意味ではホント、すべての政治家が彼を見習うべきじゃないかと感じた。
この映画のもう1つの面白ポイントは、「村尾武洋」という人物の存在だろう。上映後のトークイベントでプロデューサーが、TV版では使用されなかったこの村尾武洋の素材を監督から提示されたことで、劇場版もいけると判断したと語っていたが、たしかに彼の存在はこの映画を一層面白くする要素として重要だと言える。
村尾武洋は、アメリカでいくつものカジノを設計してきた人物である。そんな人物が、なぜ藤木幸夫の物語に絡んでくるのだろうか?
彼は何かの番組で、藤木幸夫がIR事業に反対している映像を観たそうだ。そして、彼の語る言葉に感じ入り、「この人しかいない」と自ら手紙を送ったそうだ。どうせ返信などこないだろうと思っていたのだが、藤木幸夫の直筆による巻物のような長文の返信が返ってきて、その誘いに応じて村尾は藤木幸夫と関わるようになる。
村尾武洋はなんと、カジノ設計者でありながら、IR事業に反対する藤木幸夫の主張を裏付けるような証言をするのである。実際にカジノの設計に関わっている人物による「反対」は、とんでもなく説得力が高いだろう。
もちろん、「そんなことをして、仕事が無くなったりしないのか?」と疑問に思うだろう。彼は家族からもそんな風に聞かれたそうだ。しかし村尾は、「時代ごとに、出来る人間がやらなきゃいけないことがあるもんじゃないですか」と言って、藤木幸夫と共に「横浜への(というか日本への)IR進出」に反対の声を上げる決断をするのである。
具体的には映画を観てほしいが、村尾武洋の主張はシンプルだ。設計者の立場から観て、カジノがいかに「カジノから人をなるべく外に出さず、長時間中に留まってもらうか」が考え尽くされているかということだ。だから、「周辺の街に還元する」なんてあり得ないと断言していた(もしそうなるとしたら、僕ら設計者の負けだ、とさえ言っていた)。設計した人物がそう言っているのだから、これほどの説得力はない。彼は、実際に設計図とカジノ内部の写真を見せながら、「カジノの危険性」について語っていく。
さてここで、映画の内容とは離れるが、僕自身の「IR・カジノ」に対する考え方を書いておこう。
まず、「IR・カジノに賛成か反対か」という問いに対して、シンプルに答えを返すことは難しい。まあ、良い面もあるだろうし悪い面もあるだろう。つまり、「条件次第」である。
で、僕が重要だと感じる条件は、「現状の『ギャンブル依存症者』に対して何をしているのか」である。僕がIR・カジノに賛成できるかどうかは、ほぼこの点に掛っていると言っていい。
日本には、パチンコ・競馬・競輪など様々なギャンブルが存在するし、最近では「ガチャ」の仕組みを有するオンラインゲームなんかもギャンブルに含めていいだろうと思っている。そして、それらのギャンブルによって「ギャンブル依存症者」が生み出されている。
であれば、まずはそこから手を付けなければならないのというのが僕の意見だ。
もちろん、カジノを誘致したい人の、「カジノで増えた税収でギャンブル依存症対策費用を捻出する」という意見も分からないではない。分からないではないが、やはり僕は順番が逆だと思う。何故なら、カジノを誘致するかどうかに関係なく、現時点で存在するギャンブル依存症者は問題だからだ。「カジノで増えた税収でギャンブル依存症対策を行う」というのは、僕にはちょっと納得できない。
ギャンブル依存症は、単に本人だけの問題ではない。家庭が崩壊し、貧困に陥り、子供が苦労させられる。藤木幸夫がIR反対に動いた大きな理由もそこにある。彼は児童養護施設の関係者と連絡を取り、ギャンブル依存症による家庭崩壊の現実をヒアリングしたそうだ。そして、「そんなものは横浜にはいらない」と反対の声を上げたのである。
もちろん、「既にギャンブル依存症になった者」だけに対処すればいいわけではない。IR推進派は「IRでは入場規制などを厳しくやる」みたいなことを言うが、だったら僕は、現状存在するパチンコや競馬などに対してまず制限を掛けるべきだと思う。つまり、「現時点で存在するギャンブル依存症者に対処し、さらに、現時点で存在する公認ギャンブルに対して制限を加える」ということをまずはやるべきだと思うのだ。それをやるなら、IRだろうがカジノだろうが、別に好きにすればいい。僕は別に行かないけど、それが必要だと思う人がいるなら進めれば良かろう、という考えである。
というわけで、「今存在するギャンブル依存症者・公認ギャンブルに対処する」という施策を取らない限り、IR・カジノは許容できない、というのが僕の基本的なスタンスである。
あとそもそもだが、ギャンブルというのは「何も生み出さない」という意味でもどうも好きになれない。有形の何かが生み出されるわけでも、技術が革新されるわけでも、知識が積み上がっていくわけでもない。どうせ大金を掛けるなら、何かを生み出すものであってほしいな、という気持ちがある。先に紹介した村尾武洋が、「25セントのスロットが、1日で5万ドル生み出さなければ、置き場所を変えるなど対策を取る」と語っていたのが印象的だった。まったく何も生み出さないスロットが、5万ドルも叩き出すというのはやはりおかしい(村尾武洋もおかしいと言っていた)。
藤木幸夫が携わる横浜港は、「世界で最も早く、信頼度の高い荷役を行う港」として評価されているそうだ。どう考えても、僕にはその方が価値があると思う。大阪は確か、元々ゴミの最終処分場だったところを埋め立てて万博、そしてIRの土地にしようとしていると思うで、ある意味で「元々マイナスだったところ」だからまだマシと言えるかもしれない。しかし横浜港の場合は、元々大いにプラスの場所なのだ。そのプラスをわざわざ減らしてまでカジノを作る意味が、僕にはよく分からないなと思う。
横浜市は、そんなIRに反対するために市民が動き、住民投票を請求する(言葉の使い方が違うかもだけど)ために必要な法定数の3倍以上となる19万もの署名を集めたが、横浜市議会は僅か3日の審議でこれを棄却した。とにかく横浜市議会としては、「IR誘致に全力を尽くす」構えである。
これを止めるためには、市長選で勝つしかない。映画の最後で描かれるのは、この市長選である。僕は覚えていなかったが、結果は書いてもネタバレとはならないだろう。藤木幸夫が擁立した無名の候補者が、現職林文子だけではなく、菅義偉が「奇策」として投入した小此木八郎も打ち破り、大差での圧勝となった。これはなかなか痛快な結果だよなぁ。
あと面白かったのは、山口組三代目としてよく知られている田岡一雄との関係である。藤木幸夫の父・幸太郎が、田岡一雄と、住吉会会長だった阿部重作と並んで写っている写真が映し出される。田岡も阿部も、港湾の仕事を幸太郎に学びに来ていたそうだ。
さて、映画の中で藤木幸夫が、「港湾は、世間で最も誤解されている」と言う場面がある。これまでも映画などで繰り返し、ヤクザとの関係が指摘されてきたからだ。実際、港湾で働く者たちにとって丁半博打は「唯一」と言っていい娯楽だったし、だからこそ後にヤクザが入り込んできたりした。しかし父・幸太郎がヤクザとの関係を断ち切ったそうだ。既に全国の港湾を取り仕切る人物になっていたから、横浜港に限らず、全国的にそうなっていったそうだ。
その点について、藤木幸夫が凄いことを言っていた。父・幸太郎が田岡一雄を、横浜港の理事長に誘ったというのだ。もちろんヤクザとしてではなく、ヤクザから足を洗えという意味での誘いである。しかし田岡一雄はこんな風に断ったそうだ。
【今、私のために旅に出ている者が100人ほどいる。それが帰ってきたら受けましょう】
もちろん、そんな日が来ることはない。なにせ、無期懲役の人間もいるのだ。だからそれは丁重な断りの文句なわけだが、なんか凄い話だなと思った。
藤木幸夫は父から「ヤクザとは関わるな」と厳命されていたそうだが、同時に、「カタギになると決めた者には優しくしてやってくれ」とも言われていたそうだ。またこの父親は、藤木幸夫が地元の不良を集めて作った野球チームの面々に本を読ませ、時々議論の議題を与えては意見を言わせるみたいなこともしていたそうだ。藤木幸夫や、当時の野球チームのメンバーは、「あの議論は、大人になってから役に立った」と口にしていた。
ラジオ局「横浜エフエム」を立ち上げたのも藤木幸夫だそうだが、彼は当初から営業に「消費者金融のCMは取ってくるな」と言っていたそうだ。その教えは、今でも守られているという。借金などで家庭が崩壊するようなことに加担したくはないという気持ちが強かったのだろう。その想いが、IR反対の根底にもあるなと感じた。
思いがけず、興味深い人物の存在を知ることが出来て良かった。繰り返すが、それが本心かどうかはともかく、ちゃんと届く言葉を持っている人間は魅力的だし、何よりも強いと思う。
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