【映画】「動物界」感想・レビュー・解説
いやー、これはなかなか刺激的な映画だったなぁ。初めて予告を観た時から、「この映画は絶対に観よう」と思ってたけど、やっぱり観て良かった。なんというのか、脳みその無意識的な部分がぐりんぐりんかき混ぜられているみたいな感じで、とても新鮮な映画体験だった。
さて、まずは本作がどのような舞台設定の元で物語が展開されるのかを説明しておこう。この世界で描かれるのは、ある種の「パンデミック」である。
しかしそれは、ウイルスや感染症などではない。突然、人間が動物化するという奇病なのだ。どんな性質を持つ人物がどんな動物に変わってしまうのか、みたいなことは、恐らくまだ判明していない。作中の医師の発言からすると、世界でこのパンデミックが起こってから2年ほどしか経っておらず、まだまだ研究途上のようだ。ちなみに、映画の舞台はフランスだが、世界中で同様のパンデミックが起こっていることが示唆される。作中で主人公が、「ノルウェーでの対応」に言及する場面があるからだ。
そんなわけで、世界では既に「人間が突然動物に変異してしまう」という奇病については認識されている。どうやら、その奇病に罹る確率はそう高くはないのだろう。一般市民は「自分が動物化してしまったどうしよう」という懸念よりも、「動物化した人間に襲われたらどうしよう」という心配をしている。恐らく、数万人に1人みたいな感じの確率で動物化が起こってしまうのではないかと思う。
ちなみに、フランスでは、動物化してしまった人のことを、正式には「新生物」と呼称しているようだが、一般的には「獣」と呼ばれているようだ。一般市民の中にも「新生物にも自由を」と、その権利を認める動きがあるのだが、そのような動きがあるということは、フランスは国家としてはそのようには動いていないというわけだ。フランス政府は「新生物は隔離する」という方針で対策を進めている。
その対策の一環として南仏に作られたのがセンターである。新生物を隔離しておく施設である。そしてこの南仏が本作の舞台となる。
主人公のフランソワは、妻ラナが動物化してしまったために離れ離れにされてしまった。フランソワは、妻が動物化してからも自宅に匿っていたのだが、息子エミールに危害を加えたことがきっかけで施設へと収容されてしまった。フランソワはそのことに納得できない想いを抱きつつも、政府の方針だからと無理やり納得させようとしている。一方エミールは、そもそも「母親が動物化してしまった」という事実をまだ受け入れられていない。冒頭のシーンは、フランソワとエミールが渋滞に捕まった車内の様子が描かれるのだが、前々から日程を伝えていたにも拘らずエミールは病院に行きたがらず、あまつさえ渋滞の間に車を降りて帰ろうとしたほどだ。よほど動物化してしまった母親に会いたくなかったということだろう。
そしてそんな母親が、新しく作られるセンターに移されるということで、2人も一時的に南仏に生活の拠点を移すことにするのである。そこから物語が始まっていく。
エミールは転校し、新しい学校に通うことになるのだが、そこで「母親は死んだ」と嘘をついた。この地域では、センターから新生物の脱走が時々あるようで、その度に外出禁止令が出るそうだ。そんな場所で「母親が動物化した」などとはやはり言えないだろう。
さてそんなある日、思いがけないことが起こる。嵐で木が倒れ、それがバスに当たって横転してしまったのだ。最悪なことに、そのバスは新生物の移送中だった。憲兵隊や軍が周辺の創作をし、行方不明になった新生物の捜索の乗り出すのだが、なかなか上手くいかない。
そして、行方不明になった新生物の中に、フランソワの妻ラナも含まれていたのである。そのためフランソワは、ラナの行方を探そうと奮闘するのだが……。
物語はとにかく、細かな説明をしないまま「この世界では人間が動物化します」と宣言して始まっていく。何故そんなことが起こるのか、どんな条件で動物化してしまうのか、そういうことは一切説明されない。とにかく「そんな奇病が蔓延した世界である」ということだけが提示され、そのことが前提で物語が進んでいく。
こういう物語は、コロナ禍の前後で大分捉え方が変わってきているだろうなと思う。コロナ禍前だったらきっと、「完全なSF」みたいな受け取り方になるだろう。しかしコロナ禍を経て、「未知の病気によって世界が大混乱に陥ることがある」と理解した我々は、この物語を「完全なSF」とは受け取れないんじゃないかと思う。
さらに言えば、昔何かの本で読んだ知識だが、「人間は、受精してから赤ちゃんの形になるまでに、それまでの進化の過程をなぞっている」みたいな話を読んだことがある。例えば受精卵から人間の形になる過程で「魚のエラ」みたいな構造が出来たりするらしい。となれば、僕らの身体には「かつて魚だった」「かつてネズミだった」みたいな「遺伝子の記憶」があるのかもしれないし、とすれば、それらが何らかの要因で刺激され、人間が進化の過程を逆転する形で何らかの動物みたいになってしまうことだって、荒唐無稽とは言えないだろう。
そして、そんな設定を中心に据えながら、本作では、現代社会でも様々なところで問題になっている「分断」が描かれていく。そういう意味で僕は、本作を観ながら、以前観た映画『CURED』のことを思い出した。これは、「感染するとゾンビ化してしまうが、その中の一部の人は、ゾンビだった時の記憶を残したまま治癒することがある」という設定の物語だった。「分断」をかなり複雑な設定で描き出した非常に興味深い作品だったが、本作もそれに近い雰囲気を感じた。
映画『CURED』でも本作『動物界』でも、結局問題になるのは「元々同じ人間だった」ということだ。よく分からない「奇病」によって、「人間から外れてしまった者」と「ずっと人間のままでいた者」に区別されてしまい、その間で深い分断が起こってしまうのだ。
映画の良さは、ビジュアル的にわかりやすく「分断」を描き出すことだろう。僕らが生きている社会で散見される「分断」は、「宗教」や「支持する政党」などの「内心」に関するものが多く、見せようとしなければ見せずに済む類のものだ。だから、とても分かりにくい。もちろん、「外見」に起因する差別・区別は昔からあったわけだが、『CURED』や『動物界』で描かれる「分断」はそれとは少し異なるように思う。
例えば「黒人差別」の場合、白人側は黒人に対して「元々同じ(人間)だった」という感覚を抱かないように思う。生まれた時から異なる存在であり、だからこそ受け入れられない、みたいな判断をしているのではないか。
しかし、『CURED』や『動物界』では、奇病によって「昨日まで家族・隣人だった者」が変質してしまうのである。これはやはり本質的に異なるだろう。そしてそれは、「宗教」や「支持する政党」などによる「分断」に近い。「宗教」は「生まれた時から決まっている」みたいなパターンもあるとは思うが、そうではなく、自らの意思で選択したみたいな場合もあるだろう。つまり「生まれた時」には同じだった存在が、その後の後天的な選択によって「宗教」や「支持政党」で違いが生まれてしまう、というわけだ。そして「奇病によって動物化してしまう」というのは、そのような状況に近いように感じられる。
だからこそ余計に難しい。「かつて同じだったこと」に注目するのか、「今違ってしまっていること」に焦点を当てるのかで捉え方がまったく変わってしまうからだ。
そして、そんな「分断社会」を断片的に描きながら、本作はやはり「家族の物語」である。フランソワは、動物化してしまった妻のことを今でも愛しているし、フランス政府の「新生物は隔離する」という方針にも納得できずにいる。冒頭でフランソワがエミールに、「不服従こそが本当の勇気だ」と口にするのだが、彼はそのスタンスを実践し続けていると言っていいと思う。
正直なところ、フランソワの「俺が言っていることが正しいんだ」的なスタンスはあまり好きにはなれないのだが、しかし、彼が心底から家族のことを想っているのだということは理解できるし、その辺りの受け取り方もなかなかややこしいなぁと思う。物語の中盤ぐらいから、「なるほど、そういう展開になっていくのか」という感じになるのだが(公式HPではその点に触れられているが、ここでは伏せることにする)、それに対するフランソワの対応にも受け入れがたい部分があったり、一方で「まあそうするしかないよなぁ」とも感じたりと、どこからどう見るかで捉え方が大分変わる登場人物だと感じた。
コロナウイルスや、あるいは先程紹介した映画『CURED』では、「他者に感染させてしまう」という問題があったため、感染してしまった者は「感染した」と自己申告するしかないという状況に置かれるのだが、その点に関しては本作『動物界』は異なる。恐らくだが「空気感染などでは発症しない」という共通理解になっているのだろう、だからこそ、「感染したことを伏せる」という選択肢が生まれることになる。もちろん「動物化」というのは見た目が変わるので、隠すにも限界があるわけだが、「罹った当初はまだ隠せる」という要素が、物語をより奥深くしていくと言えるだろう。
また、フランソワが憲兵隊のジュリアと割と親しくなるということも問題をややこしくする要素だと言える。憲兵隊はもちろん、国の方針に従って「新生物を隔離する」というスタンスでいなければならないわけだが、フランソワはそんなスタンスに歯向かおうとしている。ジュリアは比較的理解力のある人だから協力してくれる場面もあるのだが、しかし、憲兵隊という立場上無理なこともある。その辺りの人間模様もまた見どころと言えるだろう。
そんなわけで、舞台設定はかなりダイナミックと言っていいと思うが、描かれているのは繊細な人間関係であり、その辺りのバランスが凄く良かったなと思う。なかなか脳みそを刺激する、魅力的な作品だった。