【映画】「インスペクション ここで生きる」感想・レビュー・解説
アメリカについて別に何か詳しく知っているわけでもないのだが、それでもこの映画は「ザ・アメリカ」みたいな映画だなぁ、と感じた。それは反面、日本人にはあまり刺さりにくい映画と言えるかもしれない。
物語は、とにかくシンプルだ。「ゲイであることを理由に16歳で母親に捨てられた黒人青年が、人生に残された唯一の選択肢として25歳の時に海兵隊入りを決断し、そこでの厳しい訓練と差別を乗り越えて成長していく」という物語だ。この説明だけで、様々な要素がゴリゴリに含まれていることが分かるだろう。「LGBTQとその差別」「ゲイであることで息子を認められない母親との関係」「生きるための選択肢が『軍』しかないという現実」「様々な人間との衝突」「仲間との友情」などなど、「アメリカっぽい」「現代っぽい」要素が満載である。
僕は、誤解を恐れずに言うと、最近の映画に多い「ポリコレ的な要素を詰め込みました」的な話が、ちょっと好きではない。まあそれは、「みんなが前ならえみたいな感じで一斉にその方向に進んでいるように見える」という、時代の風潮に対する違和感の方が強いだけで、決して個々の作品に責任があるわけではない。また、どういう形であれ、「社会に蔓延る問題」は取り上げられ、広く知られるべきであり、そういう意味でも、映画という娯楽作品がそういう現実を伝えるという状況も良いと思う。ただ、やっぱり、ちょっと多いよね、と思っている。
さて、そういう中で、この作品がまだ許容できると感じる点は、この物語が「監督の実話」をベースにしているという点だ。監督は、実際に16歳からホームレスであり、海兵隊に入隊、その後海兵隊在職中に映像記録担当になったことから、後に本作を撮る映画監督になったという経歴の人物である。冒頭で、「実話に着想を得た物語」と表示されたので、すべてが事実ではないかもしれないが、物語の骨格を支える要素については事実だと考えていいんじゃないかと思う。
「実話である」という見方をすると、逆に、「こんなに現代的な社会問題ゴリゴリの現実を生きてきた人がいるのか」という受け取り方になる。だから、さっき書いたような「ポリコレ的な要素を詰め込みました」的な雰囲気が薄れると言える。そういう意味で、この作品は「アリ」だなと思う。
さて、映画を観て、「あぁ、そうなのか」と感じる部分があった。
主人公が海兵隊に入隊する場面。バスから降りてすぐ、上官から大声でいくつかのことを問いただされる。重犯罪歴がないか、共産主義者か、麻薬の経験はあるか。そしてその中に、「過去、あるいは現在において同性愛者か」というものがある。ゲイだと知れたら海兵隊に入隊できないと理解していた主人公は、これらの問いに「NO」とはっきりと答える。
しかし、映画の後半で、主人公が上官からこんなことを言われる場面がある。「軍からゲイを排除したら、軍は存続し得ない」。
この、「入隊時の質問」と「軍にもゲイがたくさんいるという事実」はなかなか相容れない要素だと思うし、知識のない僕には良く分からない部分だった。
公式HPに、その答えが載っていた。帝京大学文学部准教授の藤本龍児という人が文章を寄せているのだが、その中に「DADT」という、1994年に制定された規定についての記述がある。
「DATA」というのは、「Don’t Ask, Don’t Tell」の略だそうだ。つまり、「訊くな、言うな」ということだ。これはつまり、「ルール上、性的マイノリティーは軍に入隊できないが、本人が言わなければ容認するし、上官も敢えて訊かない」という方針のようだ。確かに映画の中でも、この「Don’t Ask, Don’t Tell」というセリフが出てくる。
そうなると、主人公が「生きていくための場所」として海兵隊を選んだ理由もなんとなく見えてくる。同じく藤本龍児氏の文章の中に、「アメリカの軍隊には1万5000人ものトランスジェンダーが所属しており、最大の雇用先とも言われる」のように書かれている。恐らく、性的マイノリティーのコミュニティにおいては、「最悪、軍に入ろう」というような選択肢が昔からあったということだろう。というか、「それしか選択肢がない」というわけだ。
つまりこの映画は、海兵隊を描くのと同時に、「軍しか行き先が存在しない」というアメリカの性的マイノリティーの現実をも照射しているというわけだ。
さて、このような知識を理解してみると、映画の中の様々なシーンの見え方がちょっと変わってくる。特に、映画のラスト、まさに「Don’t Ask, Don’t Tell」のセリフが出てくるシーンの意味合いは、知識を持たずに観ていた時の印象とは大きく変わった。このシーンで語られる「Don’t Ask, Don’t Tell」は、なんというのか、映画で描かれたありとあらゆる事柄を全部吹き飛ばすような力を持つものであることが、この感想を書きながらようやく理解できた。
というわけで、このような知識を持たずに映画を観ても、ごく一般的な日本人にはなかなかすんなりと受け入れ難い映画であるように思う。そういう困難さが、この映画にはある。
さて、「軍が性的マイノリティーの雇用先として機能している」という事実を理解すれば、映画で描かれる他の要素も分かりやすくなる。例えば映画には、イスラム教徒の新兵が出てくる。兵舎ではきちんと、メッカの方向に向かってお祈りもしている。
実はこのお祈りのシーンを、上官が目撃している。しかし上官は、何も言わない。映画の舞台である2005年は、イラク戦争真っ只中であり、そのイラク戦争は、元はと言えば9.11に端を発するはずなので、「イスラム教徒、憎し」みたいな感覚があったはずだと思う。
しかし、上官は何も言わない。恐らくこれも、「Don’t Ask, Don’t Tell」の基本ルールが発揮された場面だったんだろう、と思う。このように軍に入隊する者の中には、性的マイノリティーに限らない、あらゆるマイノリティが含まれることになる。
そして、自身もマイノリティとして辛く厳しい人生を歩んできた主人公は、立場が異なるマイノリティに対しても平等な眼差しを向ける。主人公は実は、かなり早い段階で、新兵や上官にゲイであることがバレてしまっていた。そのせいで、かなり苛烈なイジメに遭っているという状況だった。というか、もはや「イジメ」と呼べるようなものではなく、映画を観れば分かるが、その扱いは凄まじいものがある。特に驚かされたのは、上官が積極的にイジメに加担しているという点だ。これは、「軍が性的マイノリティーの最大の雇用先」というのとはまた別の軍の側面だと言えるだろう。
そんなわけで主人公は、自身がそもそもかなり厳しい状況に置かれていたにも拘わらず、他の者を助けたり、傍に寄り添ったりする。それは、「マチズモ全開」とでも言うべき軍にあって異質であり、そしてだからこそ、その異質さが周囲に変化をもたらすことにもなっていく、という展開になっていく。
海兵隊の話で言えば、新兵に対して異常なまでに厳しく接する上官のある発言は興味深かった。映画では時折、就寝前の点呼のシーンが描かれるのだが、最初は20人いたのに、最後に近づくに連れ12人まで減っている。8人が、あまりの苛烈さに脱落したということだろう。
そんな上官は、部下の1人から「あなたのことは尊敬しているが、厳しすぎないか?」みたいに問われて、こう返す場面がある。
【俺たちの仕事は海兵隊員じゃない。「怪物」を作ることだ】
その上官はかつて、恐らく海兵隊の中でも伝説化されているのだろうある作戦に従事していた人物である。その作戦に関わる前、上官は、「すぐにケリがつく」と考えていたそうだが、結局今も戦争は終わっていない。だから、俺たちで「怪物」を生み出して、戦争を早く終わらせるんだ、みたいな意図の発言なのだと思う。
とにかくこの上官の「やり方」は許容できるものではなく、嫌悪感さえ抱かされるほどだが、彼の信念なのだろう「『怪物』を作る」という発想には、ちょっとなるほどなぁ、と感じさせられてしまった。
以前観た『セッション』という映画でも、似たような場面が描かれていた。名門音楽校内で結成されるバンドを指揮する教授は、チャーリー・パーカー(愛称:バード)の話を引き合いに出した後で、「1人でも次のバードが見つかればいい」みたいな発言をする。これはつまり、「その1人が見つかれば、他のやつらは壊れようが死のうが関係ない」みたいな意味なのだ。
上官の発言も、まさにそのようなものだろう。他の全員が脱落しても、たった1人「怪物」を生み出せれば、それに勝るものはない、というわけだ。個人的にはこの考え方はあまり好きではないのだが、しかし、そうでなければ乗り越えられない状況もあるよな、とも考えてしまう。なかなか結論を出すのが難しい問題ではある。
さて最後に、主人公と母親の話に触れて終わろう。
映画を観ながら一番凄まじいと感じたのが、母親のスタンスである。そもそもだが、「息子がゲイだった」というだけの理由で、16歳で我が子を放り出すのである。映画は、主人公が久々に母親の元を訪れる場面から始まる。海兵隊の入隊には出生証明書が必要だからだ。初めは、チェーンロックをつけたドア越しに話をしていたが、母親はチェーンロックを外し、息子を中に入れる。そして主人公はソファに座ろうとするのだが、その時に驚くべき行動に出る。
なんとソファの上に、手近にあった新聞紙を敷き始めたのだ。まさに「バイ菌」のような扱いである。その後も、まるで息子と対峙しているとは思えない態度で接する。
「赤の他人がゲイだった」というじゃないのだ。実の息子なのである。にも拘わらず、「ゲイである」というだけの理由でこれほどまでの対応になるという事実に、まず驚かされた。
この母親は、映画の最後にも登場する。海兵隊の修了式に駆けつけたのである。当初母親は、息子の海兵隊入隊を全身で喜ぶ。なんと、入隊までの1ヶ月、どこかに部屋を借りるよと言った主人公に対して、「うちに戻って来ない?」と提案するほどだ。この豹変を見て僕は、「なるほど、アメリカにおいては、海兵隊の入隊というのはよほど凄いことなのだなぁ」と思った。
しかし、そういうわけではなかった。
ウキウキの母親は、息子が戻ってきた後の生活について、「近所の若い女の子が、海兵隊に入隊した息子に会いたくて行列を作るだろうね」みたいなことを口にする。それを聞いた主人公が、「海兵隊に入隊するからと言って、ストレートになるわけじゃない」と返す。そしてその瞬間、母親の態度が表現するのだ。
つまりこういうことである。母親は、「息子の海兵隊入隊」を喜んだのではなく、「海兵隊を修了できたのだから、もうゲイではない」という事実に喜んでいたのである。この母親の反応を踏まえると、アメリカ国内においても決して、「軍が性的マイノリティーの最大の雇用先である」という事実は、一般的に知られているわけではないのだろう。
とにかく母親にとっては、海兵隊に入隊したかどうかに拘わらず、「ゲイなら許容しない」というスタンスを徹底的に崩さないのだ。
この態度に、僕はとにかく驚愕させられた。舞台が2005年なので、今はまた違うのかもしれないが、日本なんかより遥か以前から様々な意味で「多様性」にさらされ続けた国家においても、未だにこのような強硬な態度を取る人がいるもんなんだなぁ、ということに驚かされた。
主人公にとっては、「社会に居場所がない」という問題の大半が、「母親との関係が上手くいかない」という点にあるのだろうと感じる。まあ、「そのお陰」と言うのが妥当だと思いたくはないが、海兵隊に入隊し、映像記録担当になったことで映画監督の道へと続いたわけだから、結果から見れば「悪くない」かもしれない。しかし、監督のような道筋を歩める人はそう多くはない。世の中のほとんどの人は、そのような未来を描けずに、社会の中で朽ちていくばかりだろう。
「社会」という大きな存在が受け入れるには時間が掛かって仕方ないと思うが、せめて「家庭」という小さな単位では、マイノリティが受け入れられてほしいなぁ、と願わずにはいられなかった。
さてそんなわけで、アメリカの軍や性的マイノリティーに対する基本知識がないとなかなか上手く受け取れないという意味で日本人にはちょっとハードルが高いかもしれません。公式HPに書かれている情報を事前に頭に入れてから観ると、ちょうどいいかもしれません。
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