【映画】「愛を耕すひと」感想・レビュー・解説

これはなかなか素敵な映画だった。実話を元にしているようだけど、どこまで実話なんだろう。1755年から始まる18世紀の話であり、偉業を成した人物の物語とはいえ、本作で描かれている感じからすると、「主人公本人が何か記録を書き残していない限り、詳細は分からないのではないか」と感じた。公式HPによると、「実話を元にした歴史小説」がベースになっているそうだが、「ある程度の創作は含まれているだろう」と思いつつ観ていた。

あと、実話かどうかの話で言えば、ラストシーンが本当にあった出来事なのかはとても気になる。最後の最後、僕は「嘘でしょ」と呟いてしまった。とてもじゃないが、実話とは思えない展開だったからだ。本作中で、最も気になるポイントかもしれない。

ではまず、本作の設定と、主人公であるルドヴィ・ケーレンが一体何をしたのかから触れていくことにしよう。

18世紀のデンマークには「ヒース」と呼ばれる不毛な土地があった。ユトランド半島の土地であり、これまで多くの人が開拓に挑戦し、入植を果たそうと努力してきたものの、まったく敵わなかった荒れ地である。デンマークでは当時、「ヒースは開拓不可能」とさえ考えられていた。

一方、父親不明、母親は使用人、本人は元庭師でありながら、25年かけて大尉にまで上り詰めたケーレンは1755年、救貧院にいた。貧困者を救済する施設である。彼は、大尉にまで上り詰めながらも、かなり困窮していたのである。

そこでケーレンは、財務省に出向く。そしてそこで、「ヒースの開拓をやらせてほしい」と訴えるのだ。当初は鼻であしらわれたケーレンだったが、「金は自分で工面する。軍の年金を充てるから金を出してもらう必要はない」と宣言してから風向きが変わる。実はヒースの開拓は国王の悲願であり、彼ら財務省としても、「どうせ開拓など出来ないだろうが、この男を送れば自分たちの顔が立つ」と考えたのだ。彼らは、「開拓が成功した暁には、貴族の称号と、相応の領地と使用人がほしい」というケーレンの話を受け入れ、ヒースの開拓を任せることにした。

こうしてたった1人ヒースにやってきたケーレンは、黙々と土を掘り返しては状態を見ている。ケーレンは財務省の面々に、「国土の1/3が未開拓なのは不名誉では?」と話していた。デンマークの国土は九州とほぼ同じらしいので、彼が開拓を目指す土地の面積は「九州の1/3程度」ということになる。九州地方から2つの県をピックアップして合計したぐらいの面積になるだろう。

彼は来る日も来る日も土を掘り返しては移動し、掘り返しては移動していた。何かを確かめているようだ。そしてついに、手始めに開拓を始める場所を見定めた。家の材料を手配し、さらに領主から逃げ出した小作人夫妻を食事付き(賃金は無し)で住まわせ、家事と労働を手伝わせることにした。

こうして、「不可能」と言われた開拓が始まったのだが……。

さて、こんな映画が作られるぐらいなので、「ケーレンは実際に開拓を成し遂げた」わけで、まあさすがにそれは書いてもネタバレにはならないだろう。かなり偉業と言っていいだろうし、デンマーク国内でどれだけ有名な人物なのか(教科書なんかに載っているのかなど)は知らないが、褒め称えられて当然の人物だと思う。

しかし、本作はそういう「ルドヴィ・ケーレン頑張ったね!」みたいな話では全然ない。彼は、「荒野の開拓そのもの」とはまったく違う形でメチャクチャ大変な状況に置かれており、その「争い」こそが本作のメインになるのである。

その争いは、大小2つに分けられるだろう。まずは大きな方から触れていこうと思う。

ケーレンが開拓をスタートさせると見定めた土地の近くに、シンケルという裁判官がいた。彼は、貴族になったことが分かりやすいようにと、自分で勝手に「デ」を足して「デ・シンケル」と名乗っていた。親から譲り受けた土地と屋敷を持つ領主であり、その有力者ぶりから、ノルウェーの貴族が自身の娘を婚約者にと送り込むほどだ(当の本人エレルは、全然そんな気はないのだが)。

そしてこのシンケルがケーレンに、「お前が開拓しようとしている土地は俺の土地だから勝手なことをするな」と言いがかりをつけてくるのである。ケーレンが「あそこは王領地だ」と主張しても耳を貸さず、「証拠はあるのか?」と聞いても「測量図を無くしてしまった」とのらりくらり。さらに、彼自身が裁判官であるため、「こうしないと捕まえるぞ」とか「こうしたら罪を見逃してやる」みたいな話を繰り出してくるのだ。

とにかく、死ぬほど嫌なヤツである。まあでも、当時の貴族としてはよくある感じだったのだろうとも思う。こんな奴と関わらなければならないのだから、本当に災難としか言いようがない。

ケーレンはとにかく、シンケルに対して毅然とした態度を取り、どんな懐柔にもなびかない。シンケルは、ケーレンのところで働く人間に2倍の賃金を出すといって働き手を奪い去ったため、シンケルから逃げていた小作人夫妻(そう、彼らはまさにシンケルから逃げていたのだ)しかいなくなってしまう。そしてそんなヨハネスとアン・バーバラも、いくら違法な小作人とはいえ無給で働かされている現実に嫌気が差していて、「しばらくしたらここを出よう」と話している。はっきりとした指摘はなされないものの、恐らくケーレンは「貴族の称号」のためだけに開拓を目指しているので、手伝ってくれる人間のことを特段大事にしようとはしないのである。

ケーレンは、シンケルが提示した条件を呑めば資金も人手も手に入ることは分かっていた。しかしそれは、「ケーレンがシンケルの小作人になること」を意味していたし、また、開拓が終わった後の収穫についてもかなりの割合をシンケルに渡さなければならなくなる。貴族を目指しているケーレンには、呑める条件ではない。

そこで彼は、奇策を繰り出す。

彼らが住んでいた家には時々、女の子がやってきては鶏を盗んでいた。ケーレンには、その存在に心当たりがあったため、ある夜、少女の到来を狙いすまして他の仲間のところへと案内させたのだ。

彼女は南方に住むタタール人の子どもだった。しかし、デンマーク国内ではどうやら、タタール人は嫌われていたようだ。鶏を盗みに来る子どもをどうして捕まえないのかとケーレンが問いただした時に、「南方の子は不吉だから」と返していたし、タタール人のリーダー的な男は、「俺たちを雇うのは違法だが、いいのか?」と聞いていた。

そう、ケーレンは、違法であることは承知の上でタタール人を雇い、開拓の手伝いをさせることにしたのである。

こんな風にケーレンは、シンケルからの嫌がらせに屈せずに、「独自に開拓をやりきって貴族になる」という自身の目標のために突き進むのである。

しかし、やはり貴族は強い。強いというか、何でもありのやりたい放題という感じで、狂気的でさえある。いくら国から開拓を承認されているとはいえ、そんな狂気的な人間に、徒手空拳の退役軍人に出来ることは多くない。彼はじわじわと押し込まれ、相当な窮地に追い込まれるまでになってしまう。

そういう中で開拓を成し遂げ、見事貴族の称号を得るという話なのだが、しかし決してそれだけではない。そしてこの点に、小さい方の争いが関係してくることになる。

小さい方の争いというのは、鶏を盗んでいた少女アンマイ・ムスの存在に関わるものだ。いろいろあって彼女は、ケーレンたちと暮らすことになる。しかし、開拓が進み、入植者が送られてくるようになると、やはり「不吉な南方の子どもがいる」という事実が問題として浮上することになる。

しかし、これがどう問題なのかについては詳しく説明しないことにしよう。本作ではここまで説明したように、「ケーレンによる開拓」と「ケーレンとシンケルの争い」がメインで描かれていくわけだが、さらにその背後でずっと「ケーレンの内的変化」が起こっていて、特に物語後半はその内的変化にこそ焦点が当たる感じがある。

この点については、これから映画を観る人の興を削ぎたくないので詳しくは触れないが、しかし本作の良さでもあるので、ふわっとした感じで書いておきたい。

本作ではとにかく、ケーレンがほとんど喋らない(表情で語る感じ)なので、これも結局憶測でしかないのだが、「ヒース開拓の目的」が当初から大きく変わったということなのだと思う。そのことは、映画のラスト近くで字幕表記されるある事実によっても理解できる。正直、ちょっとその行動には驚かされた。

そして、本作で描かれるその展開を踏まえると、邦題である『愛を耕すひと』はとても良いと思う。

デンマーク語による原題は『Bastarden』は「私生児」「ロクデナシ」という意味らしいし、英題の『The Promised Land』は「約束の地」という意味だろう。どちらも作品の内容に合う部分はあるが、しかし邦題の『愛を耕すひと』が一番しっくりくる。まさに「耕す」という行為によって「愛」が成長していく、そんな物語だからだ。

特に、先程も触れたが、字幕表記されるある事実が示すケーレンの決断は、ちょっと信じがたい。ラストの結末が実話であればその方がより驚かされることは間違いないが、「事実であると確定していること」の中では一番びっくりである。そして観客目線からすると、「そうであってくれて良かった」という気もした。なんというか、色んな意味で救いの少ない物語なので、ケーレンのその決断は、本作の中での大きな「救い」に見えたのだと思う。

しかしそうなってくると、開拓に着手する前、つまり軍人として生きていた頃のケーレンにも興味が湧いてくる。つまり、「それまでにそういう経験はなかったんだろうか?」と感じてしまうからだ。時代背景を考えれば、そうだとしても不思議ではないが、そうだとしたらやはり大分しんどい人生だったんだろうなとも思う。

そんなわけで、ポスタービジュアルや邦題からはちょっと想像できない感じのハードさのある作品で、そういう時代だったから仕方ないと言えばそれまでだが、かなり胸糞悪いシーンも多い。しかし、最小限のセリフしかないが、「ケーレンの内的変化」が随所で読み取れて、最終的にはとても素敵な展開になっていくところは凄く良かったなと思う。この記事ではあまり触れなかったが、アン・バーバラも実に良い雰囲気で、特に、彼女にとっての最大の見せ場(なんて表現をしてもいいのかは分からないが)のインパクトは相当大きかった。かなり惹きつけられる、印象的な作品だ。

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長江貴士
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